I HOUSE SPECIAL 政治を語る
「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(1) 橋本と小泉
1996年11月00日 | |
ご意見 | 平成7年の秋、私は青年海外協力隊30周年に当り、 隊員OBグループに、協力隊に寄せる夢を語ったものでした。本稿はそのときの録音テープを基に、講話のスタイルは残しながら、加除訂正は勿論、内容にも取捨選択を加えてまとめたものです。事によると青年海外協力隊についての最後の論述になるかも知れません。
そんな思いから、私の協力隊在任中に帰って来られ、帰国隊員面接で話を伺った隊員諸兄姉には、現住所の判る限り全員に、本稿をお届けすることにしました。 ─ 願わくば、咲く花の匂うが如く、に ─
司会 皆さん、こんばんは。きょうも大勢の方にお集まりいただきましてまことにありがとうございます。きょうは協力隊の歴史の第3回目ということになります。協力隊発足7年目からちょうど4年10ヵ月にわたって、協力隊事業のファウンデーションというか、基礎の部分を十分に固めていただいた。日本社会に協力隊みたいなボランティアというものが、果して定着し得るのだろうか、どうだろうか。このことが正念場だった時代の舵取りをして下さったのが、今日の講師の伴先生で、その結果現在の協力隊があるわけでございまして、その4年10ヵ月にわたり情熱をそそぎこまれたときの真意などにつきまして、きょうは大いにお話をいただきたいと思います。 すでにご承知と思いますが、お手元にある資料など見ていただきたいと思います。これは先生が協力隊に在籍中に国内的な、あるいは対外的な基盤の整備ということでいろいろとお書きになった文章でございます。きょうはこれにつきまして一々触れられるかどうかわかりませんが、後ほどこれに目を通していただければと思います。含蓄のあるといいましょうか、味のある文章ではないかと思います。すでに先生は協力隊を去ってから17年たつわけですが、いまだに生きている文章という気がいたします。私も日々事業を進めていく上で、ときに参考に読ませていただいたりしながらやっている状況でございますので、みなさん方もそういう文章を大いに生かしていただければありがたいなと思う次第でございます。 それから、もう一つついでながら紹介させていただきますと、先生が協力隊における4年10ヵ月が終わって、いよいよ中国に公使としておいでになる直前に原稿が書き上がり、その後、講談社より本になった『ボランティアスピリット』というものがございます。これは日々事業運営にたずさわっている人々にとってはバイブルとして、おりおり活用いただいているかと思いますが、協力隊も図書室に蔵書として在庫がございますのでどうぞ機会があればまた目を通していただければありがたいなと思います。貴重な時間ですので、ご紹介はこの辺にいたしまして、先生が思いを込めた4年10ヵ月にわたる協力隊での事業展開についての思いのたけをきょうはお語りいただきたいと思います。 では、先生どうぞよろしくお願い申し上げます。
橋本と小泉伴 こんばんは。協力隊の話をするのはもう7年か8年目です。それで何を話そうかと、この1ヵ月あまり思い迷ったのですが、結局こういうことにさせていただきたい。お手元に「協力隊OBに寄せる」というのがありますね。こ れをたたき台にしながら、協力隊に寄せる私の思いを述べて参りたいと思い ます。導入部門として適切かどうか問題ですけれども、いま自民党総裁選で橋本、小泉の論戦が展開されてますね。結構おもしろい。殊に小泉純一郎はなかなか型破りなことを言うもんだから、ときどき相手に一泡ふかせる場面があって、下手な漫才よりおもしろくなる。私もできるだけフォローしてまいりましたが、これは実に画期的なことです。日本の政治家がこんな形で論争するなんて本当に画期的なことです。まだ、始まったばかりだからそう上手にいくわけはないんだけども、いいことだと思いますね。 ただその中で日本の進路とか、世界に生きる日本、というような視点から見ると、失礼だけどまことにお粗末、触れているのは国連安保理入りのくだりぐらいなもんですね。それも、先ずこれからの世界がどうあるべきか、ということから説き起す格調のある議論じゃなくて、日本はこれだけしかできないよという腰の引けた姿勢での融通性のない議論だった。 日本が安保理の常任理事国になるんだったら、日本は、軍事衝突が起こりそうなどんな地域のどんな事態についても見識を持っていないといけませんよね。いろんな重要案件で、何か名案はないかと、世界中が知恵を絞るようなときに、さすがは日本だといわれるような案がときどきは出るぐらいの見識が日本になくてはならない。それが期待できないようでは、安保理事会の常任理事国になったってたいしたことはないと私は思うんです。 例えばボスニアヘルツェゴビナ。あれは日本から遠いところだけれども、現実に平和が破綻しているわけでしょう。銃声が鳴り響いているわけでしょう。人はどんどん死んでいるわけでしょう。日本が真に世界全体の平和を願っているんだったら、世界のどんな地域で戦さが始まろうと、迅速に対応して早く戦火を終息させるように大汗をかくくらいじゃないといけませんよ。あれはヨーロッパの話だなんて、のんきに構えているようでは常任理事国になる資格なんかありゃしませんね。 ところが、実際はどうだったかというと、ボスニアヘルツェゴビナでセルビア人勢力がどんどんどんどん勢いを延ばし、モスレム地域を攻め取っている最中でも、亡くなった人のことを言うのは悪いけども、当時の外務大臣の渡辺美智雄さんにある記者が質問したとき、答えはまるで、そこらの八百屋のおばさんでも答えられるようなものでしかありませんでした。早く戦乱が収まればいい、というようなことでしたかね。 そんなことですから、折角の橋本、小泉論戦も世界の問題とか、日本の進路とかという問題については、郵政3事業論議の10分の1も議論が盛り上がっておりません。橋本さんは「元気を出せ日本」というのがキャッチフレーズなんですが、そんならついでに「ボーイズ・ビー・アンビシャス」青年よ大志を抱け、ぐらいの呼びかけがあってよかったんじゃないですかね。これは小泉純一郎も同じ。国民に夢をもたそうなんて発想はゼロ。どれもこれもみんな対応策ばかりです。 日本全体で世界を考える、というような国民にはとてもじゃないけどなっていないということを、イヤというほど思い知らされたものです。
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