2001年07月16日
豊葦原の瑞穂の国と自分たちの国を呼んでいた頃から千何百年もが経っている。その時代々々を祖先たちは、それなりに、ひたむきに生きてきたことだろう。しかし、
「日本が世界のために何ができる」
という実感を、確たる国力の裏づけを持ち得た時代はない。せいぜい、西欧の世界支配の波を瀬戸際で食い止めたことが、結果的にアジア人の奮起の一つのキッカケをつくったと言えば、言えるくらいのものである。
ところが今や、日本の国力は、それをしようとすればできるところまで伸びてきた。
「世界のために何ができる!」
という大きな夢が持てる国民になったのである。「アジアのために、日本は健在であらねばならぬ」と国民が発想すれば、国内問題である筈の国づくり、人づくりにも、真新しい世界史的な意義が加わる。
国としてだけではない。個人で考えてみても、いま日本の青年は世界に馳せることができる。昭和の初め、若者が夢を馳せ得たのは、せいぜい、満蒙の天地。南太平洋などは子供たちの空想の果てに霞んでいた。それが今ではどうだろう。それから先の、地の果て、潮路の果てまで、若者が雄飛を夢見ることができる。
吹きさらしの世界ではあろうが、試練がなければロマンもない。ロマンティシズムをそうとらえたら、今ほど前途の視界が開けた時期は肇国(ちょうこく=国のはじまり)以来ない。教育の分野での「世界のために何かしよう」と少年の心を弾ませてやることを考えていい、一つの潮時ではあるまいか。
貿易摩擦も、日本の力が伸びてこそ起こる。伸び盛りに特有の試練と見るのが順当で、それをお先真っ暗のように言うのがそもそも間違っている。方向感覚が狂っている。
小さい美に愛着を持ち続けた一つの時代から、大いなるものへも目を向ける新しい時代へ、世界に貢献する日本を設計して行こうではないか。
【魁(さきがけ)10号=昭和61年9月18日】
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