2001年07月01日
「有権者は神様。そのレベルアップ? そんなことを言ったら選挙は絶対に上がらんぞ」
「ウソでもいい。選挙民の喜びそうなことを言いまくるんだよ」
と選挙通の人々が言う。確かに経験則だと思う。
だが、そのままでいって日本の民主政治に明日があるだろうか。
もののたとえだが、酸性土壌では雑木しか育たぬ。酸性の土壌をそのままにして苗木を論じて何になるのだろう。日本の政治がいま直面している一番基本的な課題は「土壌の改良」であって、政治化に注文をつけることよりも、政治化を上げたり落としたりする有権者のレベルを高めることであるまいか。
有権者の機嫌を損じては大変とばかり口をつぐんでしまうから、そこに聖域ができ上がる。間違いはそから始まるのだ。治すのはここからだ。何十年かかってもいいから…………。今必要なのはこの聖域に踏み込む勇気なのだ。
大体、日本の有権者はそんなに悪い土壌ではない。購読者が減ったり票が減ったりするのを恐れて、土壌培養の任にある人々がハッキリモノを言わないから有権者の視界が利かなくなるのだ。お世辞ばかり言われてスポイルされるのだ。これだけ大衆が世界を見て廻っている国も珍しい。この素地があって良質の有権者が生まれないということがおかしい。
ただそう言ってはみても事は容易でない。何十万人という有権者を相手の仕事だ。名前を覚えて貰うだけでも大変なことなのだ。民主主義には制度上の欠陥や構造的な弱点がいくつもあることをハッキリ認めてかからなくてはならぬ。
勇気とねばりと工夫が必要だ。
何十年もかける覚悟でないと、土壌改良のような大仕事は仕上がらない筈である。
【魁(さきがけ)3号=昭和60年3月1日】
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