2001年05月19日
日本には革命の素地がない。
血を流して革命を仕上げた体験がない。
だから日本でのデモクラシー論には、真剣味が発酵して来た試しがないとも言われる。
選挙という、無血革命の道具が憲法にセットされていても、潜在意識の中でさえそのことに気づかないで、革命オンチが国民性になっている。
だから、小泉の地すべり的な自民党総裁当選ぶりを見ても、国民の目はまだぼやけていて、今でもその革命的な意義に気づいていないのではないか。気づかないままで、またとない貴重な時間をやり過ごしているとしたら大変だ。
「革命の時至る!」とか「世直しや!」とかいう熱気のあるときはウソのように大案件が片付くことがある。
小泉は圧勝の余勢を駆って、あと一つか二つ、平時なら内閣を一つ潰しても仕上らないようなことをこの機に一気呵成に仕上げたらどうか。
その一つが、うまく好機が掴み得たらの話だが、空席補充の形で閣僚の民間登用枠を更に一人分でも増やすことだ。それがすぐにうまくいかなくとも、世論の共鳴を固めながら、民間登用の柱を強力に地固めしておくことが重要だ。
こうして2種類の閣僚を国会審議の中で競わせておけば、閣僚の資質向上は期して待つべしだし、国会論議は下手な日曜(政治)番組よりも視聴率を上げる可能性さえ孕んでいる。
政治に対する有権者の無関心と無気力は吹っ飛ばされるかもしれないのである。
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