Sakigake Touron
Shoichi Ban   
 

魁け討論春夏秋冬

ご意見


 

連載コラム第七回 橋本・小泉の論戦
2001年04月23日 


 二人の一騎討ちという形で進行した前前回自民党総裁選の論評です。6年以上前のものですが、いま読み返してみても結構面白いので、あまり筆を入れずに転載配信します。



 勝負が始めから決まっていたので、龍虎相搏(う)つの大勝負にはならなかったが、橋本、小泉の論戦は面白かった。

 もっと上手な司会がいたら、小泉にスッテンと尻餅をつかせるなど、面白さを数倍に増幅させることができただろうに、と惜しまれるくらいである。

 二人が、特に小泉が、論戦を引き立てていったことは近来の快挙。小選挙区制の総選挙を控えて示唆されることの多い名舞台だった。社会党の党内で、あれだけの論戦が、日の丸や日米安保について行われたら……。できないことと分りつつもそんな思いが去来したものだ。

 河野洋平が橋本との一騎討ちを放擲したことは、政界初の、ディべートらしいディべートを期待していた私を痛く失望させた。それだけでなく、自民党内長老の宮沢喜一が、それを賢明と評したのには開いた口が塞(ふさ)がらない。

 マスコミで、久米宏ほど影響力抜群のニュースキャスターが、各局、各社の論戦報道を過剰と決めつけていたのも驚きである。

 こんな、゛前デモクラシー的状況”が政界やマスコミに存在していただけに、橋本、小泉の論戦は、日本デモクラシーの歴史の中で画期的なことだった。

  そんなのに、今、二人の論争にケチをつけるような批評をするのは気が進まない。だが、ディベート的攻撃、防禦の巧拙となると若干,未成熟の個所を指摘しておくことも、そういう指摘をする人がいないだけに、意味はあるというのがホンネの感触である。

 ●小泉は郵便でなぜもっと攻め立てぬ

 先ず論戦のハイライトだった郵政三事業の民営化だが、橋本の応戦は、官僚世界なら模範答案になりそうな理路整然たるものだった。要旨は、官と民の役割分担を先ず充分に議論する必要があるというもの。

 難しい課題を先送りするのによく用いられる定石ではないか。小泉は何故、そんな定石など蹴飛ばして再度同じポイントで反撃に出なかったのか。でなければサッと論点を(三事業のうち)郵便事業の一点にしぼり込んで、民間参入をほのめかしたといわれる橋本を、もう一歩、二歩、追い詰めなかったのか。

 海外から日本に出す郵便料金や、クロネコヤマト宅急便の現行料金などを例に挙げ、政府答弁に見られる感覚のズレを指摘するのに、小泉元郵政大臣ほどの適役はいないはず。その小泉が官でなければできない理由は何なのかと迫っていったら、小泉攻勢で沸き立つ見せ場はあといくらでもあったに違いない。

 面白いだけではない。いつも役所の隠れ蓑に使われる審議会のぬるま湯論議を嘲(あざ)笑うように、その点だけでは ゛部分連合的”に、両候補の合意が成立した もともとディべート(討論)には、言い合うだけでなく、分り合って互いに納得し、争点を一つ、二つ消去する建設的な機能もあるのだ。

 ●冴えない連立論議

 かなり話が弾(はず)んだように見えていて、連立論議も、村山内閣という変態政権のよしあし談義から一歩も出ることがなかった。

 連立論議こそ小泉、橋本それぞれのデモクラシー観が映し出される誂え向きのテーマではなかったのか。どちらに取ってみても、政界再編の展望を論じ合って国民を啓蒙する絶好のチャンスだった。司会の力量で論議を盛り上げる余地もたっぷりあった。全く以て「ああそれなのに」である。

 七月の参院選前には、かなり待望気味に ゛連立の時代” というコトバが言い交わされ、その根拠に価値観の多様化が挙げられていた。それと、二大政党交替論とが激突して大論戦になって欲しいところだったのだ。

 ●総理は直接、国民が決めるべし-私の二大政党論

 振り返って思うに、二年前の総選挙のとき、当時を鮮明にしてさえいたら、あの総選挙は、反自民連合通り自民党々内の総裁選びに任せるのか、その選択を国民に問う、総理選び的な選挙になり得たはずである。

 かく言う私も、選挙がそうなっていくことを期待していた。日本新党のためにかつての伴票を掘り起すべく、細川からの「反自民」のひとことを待ちあぐんかでいたのである。

 そんなことはどうでもいいが、もし細川のこのひとことがタイムリーに出ていたら、反自民連合では以心伝心、総理は羽田という雰囲気になっていたのだから、そこを上手に打ち出してオリーブ戦略で戦う手もあっただろうし、そうすれば選挙は随分面白いものになっただろう。面白ければ盛り上りも出て投票率も上がったに違いない。

それにもし自民党が総裁改選を三ヶ月繰り上げ、新総裁を頭にし、そのイメージて戦いに臨んででもいたら、選挙の面白さがは更に倍増したであろうこと請合いである。

 このようにあれこれ考えを巡らせていて思うのだが、誰に天下を取らせるかの総理選びを、総選挙で決めず選挙後の各政党の折衝に委ねることは、政権作りのプロセスを著しく分りにくいものにする。

 分りにくいだけではない。 永田町談合の匂いがフンプンとし、国民不在の政治を強く印象づける。これで政治への関心を減退させるなというのは注文する方がムリというものだ。

 第三政党以下の行動基準が取り上げられなかったことも、物足りないことの一つだった。

 英国の自由党のように(他日を期するところはあっても)第三党である間は、政権づくりに加わらない、という行動原理に見習う余地はないのか。こんな議論が加わったら、連立論議は見事に立体化し、政界再編論議に思わぬ精彩を加えることができたかも知れないのに……。

 ●マスコミは血の巡りが悪い

 マスコミが世の木鐸を以て任じているのなら、自民党総裁選をもつと大所、高所から把えてかかるべきだった。折角、政策通で鳴る橋本と直言居士の誉(ほまれ)高き小泉が、十日も論戦をやろうというのに、大事な司会者選びにトップが苦労した跡など全く見られない。何という識見のなさ。ああ、また何をか言わんやである。


 追記(平成13年4月23日)

 小泉は、今回の選挙運動を締めるにあたって
「小泉当選という結果が出たとしたら,私はそれを実質上、党による新規路線の採択宣言と受け止めて行動を起こしたいと思います

。  党の古い体質,不治の病にさえ見える“問題先送り”のクセを絶ち切ることがその第一歩であります」くらいの明快な声明を公にしておくことが肝要ではあるまいか。

 どうせ「総裁にはしても思う通りのことはさせまい。せられては堪らん」と思っている人は党内にもいるに違いないし、そういうグループが寄ってたかって小泉の足を引っ張る危険は十分にあるからだ。


TopPageに戻る  @1998-2001 I HOUSE.All rights reserved.