2001年04月14日
昭和54年(1979年)大平総理初訪中のスケジュールが決ったのは年の瀬、円借款の合意と並んで注目されていたいたのが、政治協商会議ホールで行われる総理の基調演説であった。
この行事が終わり次第、退官のため帰朝命令が出ることになっていた私には,実質上演説下書きの一番手という、時の境遇にふさわしい役目が与えられた。
その知遇に応えるべく4半世紀にわたる外交官時代最後の情熱を振り絞って起草したのが,今度のコラムに載せる「大平スピーチの初原稿」である。
10年後、日中友好会館理事長時代(一天雲なく晴れ渡ったような北京在勤当時の両国蜜月時代を回想しつつ)小冊子に要約して旧友に送ったのが今回配信するコラムである。
うっかり筆をいれては温度差を拡げる心配もあるので、今回はあえて堅い原文そのままで載せることにした。
1.
中国が安定した足取りで経済・社会建設を進め、それによって、世界に向かって開かれ、かつ、世界の中で中国にふさわしい地位を占める。それは中国の人々の願望であろうし、かつ、われわれ日本人の期待でもある。
ただ中国がそのような国になっていく過程は、中国にとって苦難の道であるのみならず、すぐ隣にあるわが国にとっても試練の過程である。
多くの面で日本と中国とが相互補完関係を築き上げる可能性は大きい。だがそういう相互補完の関係を実際に打ち立て、維持、発展させていくためには、苦難の道を歩む中国と、試練にさらされる日本の双方が、時には身を削るような激痛に耐える覚悟が要る。洋々たる前途は必ずしも担々たる道ではない。 その上、日中両国はこうしたそれぞれの歩み方を二国間の視野でみているだけではいけない。両国関係の変化と発展が世界でどういう意味を持つことになるかを常に念頭に置いていなければならないのである。
日中双方はそれぞれ違った意味においてではあるが、何れも大きい影響力をもった国である。それだけに、その影響力の善用について語り合う要があり、このことは日中関係の中で、これから作り出していくべき一つの童要な局面だと言わなければならぬ。そしてこのような次元に日中関係を高めることは実に容易ならぬことである。通常の意味での両国関係を維持、発展させながら、その上更に苦心に苦心を童ねて築ぎ上げるものであろう。
2.
これからの日中関係構築の上で先ず留意しなければならないのは双方の平和関係が、国家の理念や政治的イデオロギーに従属する戦略手段などであってはならないということである。日中両国は政治、社会体制を、相容れないまでに異にしながら、そのことを認め合った上で、「どんな遠い将来のどんな場合にも、その相違がモトで平和が決潰するようなことはあり得ない」ことを確認し合っておく必要がある。
次に余りにも当然のことながら、何を考え何を行うに当たっても、礎となるのは両国民がそれぞれ相手をよく知ることである。
この大切なことが忘れられ、その時々のムードや漠然たる近親感で日中関係を築き上げようとする安易な風潮がわが国では今もって支配的である。しかし相手を知るということは、実は安易な業ではない。2000年の繋がりということも、見方によってはかえって互いに知ろうとする努力を安易なものにし勝ちであり、このことは論より証拠、過去一世紀の日中関係が何よりも雄弁に物語っている。ついでながら、この不幸な時期を忘れることは、前に進むという意味においては正しいだろうが、そういう時代を生んだ真の原因を追求しようとする努力を棚上げにしてしまう危険がある。
よく知らないでいて、知っていると思い込んでいる状態ほど危険な状態はないが、中国のことについて日本人はよくこの錯覚に陥るのである。日中関係が対等な関係に到達し得たこの時期に胆に銘ずべきことは、お互いがまだ殆ど相手を知っていないということである。相互の間のすべての施策をこの原点に立ち戻って考えることが肝要と思われる。
3.
日中関係を経済中心に把え、例えば経済上の相互補完性を基軸にものを考える風潮が見受けられるが、補完性を言うなら精神的な相互補完性にこそ先ず目を向けるべきではなかろうか。広大にして大陸的な環境風土の中に大集団として育った中国人と、海洋的な環境を持ちながらも、狭小な国土と比較的小規模な集団として育った日本人とは、自ら人間形成の環境を異にし、一方の長所は他方の短所という関係にあると言うことができる。殆ど見境のつかない顔立ちをし、一衣帯水の間柄にある両国民の間にこのような認識が出来上がれば、これは互いに尊敬し合い互いに助言を与え合う益友の間柄、永続的な真の対等関係をもたらすのではなかろうか。
国力には長い歴史の中で互いに消長がある。このことは日中二千年の間にもこれを見ることができ、これからの歴史の中でも生ずるであろう。そういう国力の消長がその時々に或る程度優越感や劣等感を起こさせることは避け難いが、真の対等感が定着していればいるほど、一時期の国力の消長に起因する優等感や劣等感の発生は最小限に抑えることができよう。
互いによく知っていないことを認め合い、互いに知ろうとする努力を重ねて行く。それをこれから先どういう形でやっていくか。それがこれからの実践課題になるのであろう。
(つづく)
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