青年海外協力隊時代、私は口癖のように「技術協力は江戸期に学べ」と言っていたものです。
江戸時代、名工の丹精こめた努力や藩政に尽瘁(じんすい)する英邁の士の着眼から数々の優れた産品が世に出ました。戦後の地場産業など顔負け、高級品の名をほしいままにして今に至っているものも少なくありません。
名著「日本的性格」の中で長谷川如是閑が、これこそ日本精神と言い切った職人気質(かたぎ)の、見事な開花振りであります。
人づくりが主眼の技術協力で最も威力を発揮するのは、実はこの類いの職人的な「ソフト」でして、昨今の審議会答申に見られるような言語過剰のペーパーではありません。
その土地の風土にどっぷり漬(つか)る。そしてその中から職人的な勘が閃いて現地の実情に即した着想が生まれる。技術協力では、こういう、江戸期模倣型の段取りでいくのが一番賢いやり方である場合が多いのです。
また、この類いの閃きは、学歴に関係なく現地の人の中にもあっておかしくない。草履取りの"木下藤吉郎"みたいな逸材は開発途上国にもいるはずで、その意見を取り上げる人がいないだけなのかも知れないのです。
そのことに気づく,と言うこと自体が職人的な勘の良さかも知れないんで、外務省で技術協力課長になったばかりのとき私は偶然、幸運にもそんな人に出会うことができました。
国連からインドネシアに派遣されていた星山という専門家で、現地の人との間で交わすさりげない会話に出てくる面白いアイディアを(専門家である)自分の発想にして当局に採用させて行った。「私の仕事は吸い上げポンプ」とは言い得て妙、目のつけどころが江戸期的だと思いましたね。
現地の人の閃きなら当人の発案として上に上げればいいようなものですが、職場にはそんな空気はない。
「名は星山案でも実はオレの考えが通ったんだ」という、せめて半分量の満悦感を下積みの労働者に味わせていけば、積もり積もってかなりのインセンチヴになるだろう。インドネシアの発展を願う星山さんのそんな心情が伝ってくる思いでしたね。
それだけでなく、この話で私の連想を喚んだのが、薄々私の記憶に残っていた次のような江戸期物語です。
無暗(むやみ)に朗読させ、暗誦させておいて「読書百遍、意自ら通ず」で押し通していた寺子屋流儀も荒っぽい。とても合理的とは言えませんが、この程度なら禅の不立文字(ふりゅうもんじ)と似たり寄ったりで分らんでもない。
ところが、弟子を仕込むのには教えるよりも盗ませるに限るというに至っては言語道断、奇抜も度が過ぎるというものですよね。
でもこんな、世界のどこへ持って行ったって通用しないような教育手法がかなり広く行われていたというのですから、江戸期が面白いんです。
論より証拠、明治開国となって西洋の先進技術をあんなに素早く、あんなに巧みに取り入れることができたのは、こうして鍛え上げられた職人たちのど根性の賜(たまもの)なんですから。
生業(なりわい)に発して〃道〃に到る、とでも言いましょうか、江戸期の奥行きの深さ、その頃の達人たちの知恵や気合いの入れ方。総じて職場に育(はぐく)まれていた精神文化の高さには粛然として襟を正さずにはいられません。
少し褒め過ぎたかも知れませんが、一度は明治維新、二度目は米軍占領でダブル・パンチを食らい、その到達していた精神の技(わざ)を不当にも「旧来の陋習」でなで斬りにされたのが江戸期であります。
それだけに、260年に亘る父祖の歩みを謙虚に見なおし、この期のために名誉回復を計ることは、平成の世に生きる我々子孫にとっては、ゆるがせにできない務めだと思うのです。
事のついでに申し添えますと、よく人の口に上る武士道も"武士たちの職場"で打ち鍛えられた精神文化と見れば、広い意味の職人気質と言えないこともありません。
こうして展望を広げて行きますと、江戸期の名誉回復は、単に平成世代の務めというだけでなく、日本のナショナル・アイデンティティを求める上でも欠かすことのできない知的作業になってきますが、武士道は別に日を更めて論議すべき独立のテーマと考え、ここではこれ以上触れないことにしたいと思います。
ところでこの10年近く、言論界は日本ダメ論一色の観を呈して来ましたが、その中で極く少数の人が心配無用論を唱え続けており、その論拠に今も中小企業などに息づいている職人気質の頼もしさを挙げているのは特筆すべき卓見ではないでしょうか。
以上、職人気質から得られる技術協力のヒントとでも言うべき話をしてきましたが、現代語に訳せば「プロの根性」となる職人気質を、素人イメージで通っているボランティアに期待するのはお門違いではないかという指摘もあります。
ボランティアというと、いいことの代名詞みたいになって独り歩きしている今のご時世ではありますが、確かにその語感には、誰にでもできる善意の無償行為という、ある種の気楽さが漂っていることは否定できません。
事実ボランティアで専門グループが活躍しているのは医療チームくらいのもの、と言えなくもありますまい。
ただ協力隊はどうだとなると、正直なところ、すんなり答えが出せそうには思えないのです。
当初の米国平和部隊はピタリ、ボランティアでよかったと思いますが、日本の協力隊はメシの種にしろ余技にしろ技術、技能を身につけた概して言えば専門屋が、ボランティアとして海外奉仕に出掛けて行くという実体でスタートしています。
大部分の隊員は、プロの道を歩み始めたか、プロたるの素養をあらかた身につけたばかりのところだと言うことができましょう。
確かに「プロの根性」を口にするには早過ぎるけれども、仕事に対する取り組み姿勢の面では、プロの素質を備えていると見ていいのではないでしょうか。
そこをしっかり踏まえておけば、やや重みに欠ける憾(うら)みはあり、少々気楽さが心配になるところはあっても、総体としてはボランティアでいい。そうしておいて隊員一人ひとりに見られる職人気質の度合いを一律に規制せず、そのバリエーションを大切に見守るということでいいのではありますまいか。
このような隊員の特質に着目して、人生で感受性の最も豊かな時期に当たる2年を充実させ、できることなら更に一歩を進めて世界と〃くに〃に開眼することに期待を寄せていいのではないですか。
そこで最後にこれに関連させて是非お話をしておきたいのが、シニア・ボランティアのことです。
シニア・ボランティアは、プロとして成熟の域に達する時期ですから、職域でもそう身軽な状況にあるとは考えられず、家庭的、社会的諸条件まで勘案すると、2年もの海外ボランティア活動に飛び込める人は多くないと思います。
更に言えばプロとしての完成期には、適正な報酬ということも重要で、単にゼニ、カネの問題とは言い切れない。
その人の到達している技術に対する評価の物差しであり、本人にしてみればプロの見識という意味合いもあって、専門家として適正な品定めを受けての活動でもないのに、ボランティアだからといって気安く話には乗れないというのが、極く普通の人の考えることではありますまいか。
ところが定年を過ぎる年齢になると、別途、今まで予想もしなかった新しい問題がクローズ・アップして来たため、話がすっかり変わって来る。
平均寿命の延びた現代ではどう見たって老齢と呼ぶには早過ぎる60台を、如何に賢く生きていくかという、前代未聞の課題に我々は直面しているからです。
体力的には今までのように無理が利かなくなっても、専門知識と経験は豊富で、そこから湧いてくる知恵は壮者を凌ぐものがある。
そんな人があり余る程いて髀肉の嘆(ひにくのたん)に暮れているというのですから、こんな勿体無い話はありません。
肉体的な抵抗力の面で青年協力隊と張り合ったりしないで、比較的寛いだ執務環境でたっぷり任国のお役に立つことができれば、一つの素晴らしい選択肢ではありませんか。その年にもなれば無償だからと言ってプロ仲間に後ろ指を指される心配もありますまい。
プロとボランティアの見事な結合という点で全く問題なし。シニア・ボランティアの世界ではそのうち「花の60台」という言葉が飛び交うようになっても不思議ではありません。
(おわり)
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