魁け討論 春夏秋冬



多神教の名誉回復

2000年10月14日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
          多神教の名誉回復

 前回「ボランティア考」のコラムでは、森総理の「神の国発言」に触れましたので,今回のコラムではそれにつないで、できるだけ物語風に多神教を論じてみたいと思います。

 インドネシアはイスラムの国ですが、バリ島だけは例外でヒンヅー教ですね。

 これも青年海外協力隊時代、隊員派遣の下見にインドネシアに立ち寄ったときのことです。
 この島の山奥、観光都市で有名なデンパッサールから離れた辺鄙なところで、高校生たちの学芸会があると言うものですから、断るのも悪いと思って重い腰を上げました。
 ところが行ってみるとどうでしょう、その素人離れしたセット・アップや演技にうならされてしまうのです。
 豪華絢爛、私の幼少時の学芸会などとは、どだい較べようがない。例えば足運びの仕草など日本の能,狂言を彷彿(ほうふつ)させるではありませんか。吹奏部門も子供とは思えない。主役は女の子でしたが本当に泣いている。

私は参りましたね。

 ところが翌朝のことです。本番の視察に村落方面に向かう途中「昨夜の場所ですよ」と言われてまた驚いた。椰子の葉で葺いた屋根を十数本の粗末な柱がつっかい棒のように支えているだけではありませんか。
 ゆうべは夢でも見ていたのか、という錯覚にとらわれてしまうのです。

 ジープに揺られながら、またその晩は一人になったあと、考え込んでしまいましたね。
 これはどうも多神教と関係があるのではないか。神々の前で演ずる歌舞,演劇に自由がある。

 コンスタンチノーブルの陥落で古代ギリシャの文物がフローレンスへ。そして文芸復興(ルネッサンス)へ。
 そんな中学時代の知識が甦ってくるのであります。

 そのことがあってから私の多神教に対する興味は、大きく私の世界観を揺るがせていきます。
 そして、アフリカなどを歩いていているうちに芽生えていた、"くらげなす漂える思い"を価値多元論へと仕上げていきます。

 西洋文明二大源流の一つになったギリシャ文化だって多神教の下に花開いたものではないか。
 塩野七生さんに言わせれば興隆期のローマが、さしも広大な多民族国家の統治に成功したのは多神教だったからこそというではありませんか。

 連想は連想を喚んで、ギリシャ神話ならぬ我が国の"神代史"にも行き当たります。
 神話として語り伝えられているどころではない。それにつながる形で伊勢神宮や出雲大社、そして全国津々浦々に氏神様の社(やしろ)が、(仏教の寺院と共生しながら)現実に多様な社会機能を営んでいるではありませんか。

 私自身の中にも、神話と通底しているかのように、山の荘厳さに打たれ、さわやかな日の出に"お天道様"の恵みを、浴びる思いで感じる情緒がまだ残っているのです。

 原始宗教さながらとは言え、信心深かった亡き母の面影に重なり合うこうした敬虔な姿をニベもなく斬って捨てていいのか。

 こうして私は、大人もいいところ、五十近い年頃になってやっと、中世この方ヨーロッパを席巻し、今も欧米諸国を一神教世界たらしめているキリスト教に、自分なりに納得のいく距離を置こうとし始めたのです。

 デカルトからマルクスへと言われる西欧合理主義の理性信仰から自由になって行く自分を漠然と実感するようにもなりました。

 それから二十年、いま、日本のナショナル・アイデンティティが問題として脚光を浴び始めたのを見ると誠に感慨深いものがあります。

 非ヨーロッパ世界における多神教の名誉回復とか、安易に人類普遍の原理を振りかざす「理性信仰」を控え目にさせるとかは、アジアの台頭などを契機にして二十一世紀における主要な文明論テーマにしていいと思いますね。

 これだけそれぞれに違った国があり民族がいる世界で、個性や年齢に相当するものがどの国にも民族にもあるんでしょうから、好みに合った考え方、感じ方、生きざまが程よく所を得て世界を多彩なものにする方が、人類共同体のあるべき姿として、どれだけ人間的で、自然の摂理にも適っていることか。

 こういう雄大なテーマの中に日本民族の役柄にぴったりの足場を築き、一役も二役も買うところがあっていいではないですか。

                (つづく)      


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