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読者へのお詫び2000年7月16日元中国公使 伴 正一 | |
ご意見 | 魁け討論、春夏秋冬を読んで下さっている方々へ。 先月下旬から強度の腰痛で病床に在り、総選挙中と直後の思いを、切実感消えやらぬ中に書き留めようという「戦すんで」の連載企画が頓挫しています。 気力回復後では、書く私にも、読まれる皆様にも、時期遅れ感の影響が避けられないと思いますので、上記「戦すんで」の連載企画は残念ですが、第一回だけで終りにさせて頂きます。 ただ、こんな時の埋め合わせにはどうかと思いますが、普段単独では気恥づかしくてとても申し上げられないような1文「私の幸福論」をつけ添えさせて頂きます。 人間が爽快さを感じるのは、自分の持っている機能を巧みなリズムに乗せて使っているときであろう。欲求不満にもバテ気味にもならないで適度の緊張感の下で人間機能が躍動している時である。休息が楽しいのも、右のような状態の中に間合いよく休息が織り込まれているときであろう。そして、ところどころに全力投球部分を配しながら、節目、節目で人間成長―機能発達―の成果を確認できれば、爽快さは更に倍加する。 幸福とはこのような爽快さのことではあるまいか。 確かに「富を築き生活水準を上げていく過程」も幸福には違いないが、「物質的な幸福」には、何時かの段階で、それ以上自分を豊かにしようとすると、どこかで他人を搾取しなくてはならなくなる時期がくる。 人間成長の楽しみにはそのような行き詰りはない。何時までも追って行くことのできる爽快さ、幸福である。それどころか、人間は成長すればする程、その育った力で他人のためになることが多くできる。それが爽快さをさらに倍加する。「小我」から「大我」の世界を目ざすことである。 伴 正一 |
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