魁け討論 春夏秋冬



選挙雑感   (2)

2000年6月10日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
T. フォーラム形式は雄弁大会でしかない

 一口に討論の名で呼ばれていても、その実態は誠に種々雑多、そのほとんどが討論とは別物であるのが日本の言論の実状だ。

 期待されていた国会での与野党党首討論も今のところ、まだ単なる質疑応答でしかない。(この間亡くなったばかりの方のことを今時論評するのは憚るべきではあるが、小渕さんに討論は無理な注文だったと思う。)

 選挙がらみの公開討論もほとんどが昔ながらの"立会い演説"で、たった2人の場合でさえ、持ち時間平等のスピーチ・コンテストに終っている。

 政治番組ケースの多いNHKの日曜討論などは、それでも手が挙って反論が飛び出す場面があるだけまだ"まし"な方かも知れない。先週郷里で見た高知放送のテレビ討論などありきたりのスピーチ・コンテストの典型だった。

 県内に三つある小選挙区毎に立候補予定者を並べ、[出馬の決意]に始まり景気、連立…と続くテーマで、司会(高知新聞政治部長と添え役の女性1人)の指名に従い、立候補予定者が神妙に2分間程度の陳述をする有様は、スピーチ・コンテストで審査をうける学生さながらだ!

 10年前私自身も立候補者として番組参加した"立候補者討論会"以来何も変わってはいない。「激動の10年」はコトバの綾、その実は十年一日の如しではないか。そんな思いに駆られながら流石の私も退屈をこらえるのにやっとだった。

   第3区の番が回ってきたころは夜中の丑みつ時,出演者には申し訳ないがとうとう睡魔に負けてスイッチを切ってしまった。

2. 討論の妙味は一騎討ちに在り

 私の知る限り今までのところ一回だけ討論になりかけていた例がある。前回都知事選の時だ。NHKだったか民放だったか、1対1の討論を基本に据えた番組編成である。

 各候補に、どの相手と論戦したいか申し出させた上で組み合せを決めたのがミソだった。

 時間を充分に取るため番組を連載にして何回かに分け、手順は面倒だろうがテーマも双方合意に漕ぎつけ得るものは漕ぎつけて決めることができていたら、何倍もすばらしいものになったことだろう。

 だがそれでも、司会がサマになってないことがこの場合も致命的だったことは、個人に対する論評としてではなく指摘せざるを得ない。

3.司会の重要性

 発言の順番に多少のバリエーションをつけたり、各人の持ち時間を守らせるのが司会なら人気者のニュース・キャスターにやらせるのもいいだろう。

 だが討論の司会とはそんなものではない。

 片方の言ったことが,虫がよ過ぎたり矛盾していたりしたら機を逸せず相手側に「それでいいのですか」と反論を促し、発言のスキを衝かせる。反論が鈍かったら「私からも確認させてもらいますが」と割り込んで反論の補充までやる。

 話を逸らそうとしたら制止して本筋に戻す。

 そうこうした上で、幾つかの点で対立を解消し、争点を減らすところまで持っていくのが実は討論の段階での役目であり、そこまでのプロセスを経て採決に持ち込むのがデモクラシーの基本型であるはずだ。

 それくらいのことを弁え、それに合致した手さばきができるくらいでないと司会は一人前ではないと言わなければならない。またそれが世間の常識にならない限り,聴きごたえのある討論にお目に掛る日はやって来ないだろう。

 何と言っても日本は言論文化,特にデイベートの手法で未成熟な国である。

 目上相手だと[お言葉を返すようですが]というセリフの一つもあっていいとされる風土であって、そもそもデイベートは日本人には苦手なのかも知れないのだ。

 だからこそ余計に司会の介添えが重要視されなくてはならないし、そこから司会を育てることが課題として大きく浮上するのである。

  4.マスコミは競って分野ごとに司会の達人を育成せよ

 今までと違ってこれからの司会者には、タレント性もさることながら、討論のテーマに精通し、討論者が一目置くくらいの重厚な見識の持ち主であることが望まれる。分野別司会の待望論だ。

 そうなれば、有権者をペテンに掛けるようないい加減な発言など影を潜め、討論はピタッと姿勢の決った攻撃、防御の応酬になり得よう。

   肝腎のところで茶の間の視聴者も手に汗を握るような場面も珍しくなくなるだろう。

 討論がここまでくれば、視聴率の上でも政治がスポーツや娯楽番組と肩を並べる時代がやって来ておかしくない。何も真夜中に時間帯をセットしなくても、ゴールデン・アワーにたっぷり時間が取れるということにもつながる。

 マスコミ各社は部内で、分野毎に司会の達人を揃え、我が国における討論文化興隆の先陣を競って欲しい。

5.差し当たり今度の選挙で行動を起こせ

 太平の眠りを覚ます内からなる蒸気船(黒船)だ。今度の総選挙で何か一つ破天荒なことを企画してはどうだろうか。

 完全主義のとりこになってマンネ化した他社の選挙報道を尻目に、大新聞中の一社が決起し、社長司会の党首討論番組を持ちかけるのも1案に思える。

 うまく実現すれば、両党首が試されるように司会者も試されはしようが、田原総一郎など変り映えのしない評論家にオンブしてきた淀んだ空気を一変させるショック療法にはなるだろう。

 かりに目をつけた政党のどちらかが恐れをなして実現に至らなくても、話を持ちかけたことを予め大々的に報道してさえおけば、結構それで選挙や政治の問題点がいくつか浮き彫りになり、社のために万丈の気を吐く快挙になって"我が社"の士気は揚がるのではないだろうか。

 マスコミは観客デモクラシーから早く足を洗え。         


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