|
協力隊に寄せる思い2000年04月23日元中国公使 伴 正一 | |
ご意見 | 最近友人が送ってくれた「ケネデイの遺産」という本を読んでいて、平和部隊構想の思想的背景になっていたニュー・フロンティア論の気宇広大なのに更めて感心したものでした。 ◆海を越えた平和部隊の進取の気性 アメリカ建国のバック・ボーンとも言うべきフロンテイア精神が、カリフォルニアの開発で終りを告げることがあってはならないとし、海を越えた開発途上の地域こそ我々アメリカ人の進取の気性を持続させるに格好の新しい(ニュー)フロンテイアだというわけです。 選挙運動中のケネデイ候補の構想打ち上げには大きな手応えがありました。翌年の春までに1万の志願者が現われ、しかも初年度に最も多くの参加者を出したのがハーバードと加州大バークレーのニ大名門校だったといいます。理想が人の心を揺さぶるものであった当時のアメリカ社会でも、水際立って光彩を放っていた平和部隊でした。 それと見較べるのは適切でありませんが、日本性悪説の風靡するさ中に発足した日本の海外青年協力隊に、建国精紳や「維新この方の歩み」を大上段に振りかぶるメンタリティーは望むべくもありませんでしたした。 当時のアメリカ社会はまた、アメリカン・ウェイ・オブ・リビングに揺るぎない自信を持っていました。それによって世界の人々を変え、幸せにすることができると信じ切っていました。平和部隊の若者たちはそういうアメリカ社会の空気を背に世界史的使命を担うくらいの心意気で海の彼方のフロンテイアに赴いたのであります。 こんな勇ましい、かっての日本の八紘一宇を思わせるような理念を、謝罪ムードの日本で言い出せるわけはありません。 尤も、アメリカが冷戦での勝利を達成し、ある意味で世界を変えることができたのは、ケネデイが平和部隊に托したこういう草の根活動によってではなく、徹底的な軍拡競争でソ連を息切れに追い込んだレーガン(大統領)の果敢な行動によるものだったことは皮肉な巡り合せと言うしかありません。 そんなこともあって、創設から40年”自由”を説く平和部隊に昔日の面影はないように感ぜられます。また それを補って余りある新たな理念を構えるにも肝腎の”ケネデイ”がいないのが、今のアメリカではないでしょうか。 ◆ステーツマンを生む土壌がOBから検出されたら こうなって来ると、今まで考え方のスケールや格調の上で平和部隊に水を空けられていた格好の我がの青年海外協力隊に、奮起の気運が出てきていいですね。日本全体としても、プライドを忘れていた時代よ、さようならという時期に差し掛かっているのですから。 庶民教育の天才。そんな日常生活上の知恵や、職場文化と言ってもいい職人気質など、日本人持ち前の資質を、目一杯協力隊に反映させる余地はまだ無尽蔵と言えるでしょう。今まで通りの地道な努力を脇目も振らず続けて行くことの重要性は多言を要しません。 しかしそれと同時に、発足時の平和部隊を思わせるような、優れて国家的な意味を持った存在に協力隊が育って行く可能性はないものでしょうか。次ぎのようにあれこれ思いを馳せ巡らせてみました。 先般の「21世紀日本の構想」最終報告にも見られる我が国知識人の構想力の貧しさ! 日本を離れたところから日本を見た実体験のあるOBたちの間から、これではいかんという思いが浮上しては来ないものか。 1人でも2人でもいい。広がっても静かなブーム程度でいい。国士(ステーツマン)を生む土壌がOB仲間の中に検出されたらどんなに素晴らしいことだろう。 制度化になじむような問題ではないが、草の根から天下人へ、の控え目な環境作りで、自然に芽生えてくるものを助長するくらいのことは考えていいのではないか。 何時の日か、新しい国の歩みの思想的な先導部分にOBの姿が散見される状況が出て来たら、協力隊は一段と次元の高いものになっていると考えていい。また、そうなればいわゆるエリート層の参加も増え、質の上ではどこから見ても往年の平和部隊にヒケを取らぬ存在になることだろう。 ◆期待したい平和部隊を追い越す意気込み 日本のこと世界のことでOBたちが構想力を発揮し得る分野は色々あるわけですが、差し当たり、日本が一番ふらふらしていて世界の笑いものになりそうな平和と安全保障の分野を例に取って、私がひそかに期待しているところを述べてみましょうか。 これから先この地上で聞こえる銃声のほとんどは、アフリカや中近東のような開発途上国からのものと予想されますが、そういう状況を日本人の中で最も身近に見たり聞いたりするのが協力隊だということになりますと、隊員たちが、平和の問題に臨場感を持った貴重な存在になることは必定です。(平和国家を自負しながら神学論争に明け暮れている我が国では、このことが特に強調されていいでしょう) 隊員やOBにその志があれば、実効性のある貢献方法に焦点を当てた国の平和政策を考え得る、先駆的な有権者グループになることはそう難しいことではありません。 思想的な意味で国の先導部分にいるということは、例えばそういうことでありまして、相当な知的体力をつけて掛る必要はありますが、その覚悟でじっくり取り組めば出来ない相談ではありません。 「義を見てせざるは勇なきなり」で、その時々のボランティア活動に良心のはけ口を求めながら安心立命の境地を持続するのも一つの立派な生き方ですが、ボランティア時代の貴重な体験を生かし切る「心ある有権者」として国全体をよくすることに立ち上がる人もあっていいし、更に進んで世の木鐸を目指す元気者も出て来ていいではありませんか。 要は能力の問題ではなくそれぞれの志の問題だと思います。 日本とアメリカは、それほど違わない時期に、太平洋を挟んで頭角を現わすようになった元気な国だったのです。一旦は敗れましたが、もうそろそろ対等感を取り戻していい頃です。 協力隊もその一環として、アメリカの平和部隊を追い越すくらいの意気込みで成果と格調を競ったら痛快ではありませんか。 ◆アジアのために健在であらねばならない日本 いま私は、アジアという言葉に開発途上国全体を代表させながら、「アジアのために日本は健在であらねばならぬ」と言い続け、これと思うOBには「何をするにも、背中にアジアの視線を感じてやれば、やっていることが数段次元の高いものに思えてくるよ」とアドバイスしています。 彼らが私の年になる頃にはアジアの相当部分が目覚しい発展を遂げ「アフリカのためにアジアは健在であらねばならぬ」と言う時代になっていることを願いつつ私のお話を終りにいたします。 |
© 1999 I House. All rights reserved. |