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"戦犯"合祀の適否判断は日本人の心で2000年03月21日元中国公使 伴 正一 | |
ご意見 | どの国でも、祖国のために命を落とした戦士は、永く同胞の尊崇を受け、国によっては一家一門の誉れにもなっている。それだけでなく近代国家では、外国からの元首級の公式訪問に際しては、空港での栄誉礼と同じように無名戦士の墓に詣でることが慣例になっている。 日本の総理も外国へ行ったときはその国の戦没者に花束を捧げているが、それは個人の資格で自由時間に立ち寄っているのではない。訪問している国への尊敬を表す重要な公式行事としてお詣りしているのだ。 その総理が自分の国に帰ると、戊辰の役以降戦場に散った二百六十万柱の英霊には公式参拝を憚(はばか)らねばならぬというのだから事態は"いびつ"である。こんないびつな事態を解消できないでいる日本は、まだ国として完全には立ち直っていないと言われても仕方があるまい。 解消できないで苦慮でもしているのなら分るが、そんな気配もないまま放置されているのだから、日本の国はやはりまだどこかおかしいのである。 そこで公式参拝の是非を問う前に、遡ってその前提となっているA級戦犯合祀の適否を、純粋に日本国民の立場から考えてみよう。靖国神社は、国のため戦陣に散った人々を顕彰する目的で創建されたものであり、いくら偉くても戦死者でない乃木大将や東郷元帥は祭られていない。 また、お参りしている人々の胸の中に、もっと生きることができたはずの戦友や身近な人に寄せる鎮魂の思い切なるものがあることも容易に察しがつく。 我が国では「よくやった」という気持ちを表すのに、やや持ち上げ気味に"銅像が建つ"とか"神と祭られ"と言うことがあるが、神と祭られるという日本文化特有の表現部分を除けば、靖国神社という顕彰形式には、外国の無名戦士の墓(碑)に相通ずる部分多々見受けられる。A級戦犯の合祀は、このような素朴な感じで捉えてみて、果たして納得がいくだろうか。 その上、国家指導者としての功罪いかんともなれば、邦家の隆替に深くかかわりながらその責めを全うし得なかったという結果は歴然としており、「罪、萬死に値す」として自ら死を選んだ古武士的風格の士のあることも思い合わせると、将来とても国民一般の評価がプラスに転ずることはなさそうに思われる。 そうなると戦死の解釈を広げて合祀を正当化する根拠は益々乏しくなるのではないか。 法的には戦争が終っておらず、死刑が敵国だけからなる裁判の執行として行われたという理由で処刑を戦死に準ずるという見解も理屈としては理解できるが、まともに考えて日本人の道理感覚に添うものとは思えない。A級戦犯の合祀問題は我が国独自の立場で是正すべき事柄である。そしてそれが実現すれば、公式参拝問題は自然に消滅する性質のものでもある。 中曽根内閣時代、総理の公式参拝が日中間の問題になっているころ、私はかねて交友のあった文遅大阪総領事から夕食の招待を受けていた。旧交を温める場ではあったが丁度いい機会なので、こちらから靖国神社の話を持ち出す。 陪席館員の剣幕が凄くて論争気味になったとき、始めのうちは口数が少なかった文遅氏が話を取って物静かに弁じ始めた。 日本に対する賠償放棄にあたり、周恩来がその根拠として用意したのが「悪かったのは一握りの軍国主義者で、日本人民は中国人民と同じようにその被害者だった」という論理でありそこから「結果的に日本人民を苦しめることになる賠償は取るべきではない」という結論が導き出されたと言うのである。 それなのに"一握りの軍国主義者"が祭神に列している靖国神社に、内閣総理大臣が公の資格で参拝となると、周恩来の苦心は何だったのかということになり、中国側としては黙っていられないというのが文遅氏の説明だった。相手の立場になってみればそれも分る話だと私には思えた。 それからしばらくして、中国大使館の次席である丁民公使が、同じ趣旨の説明を当時の自民党、二階堂幹事長にしたと報ぜられたが、記事の扱いは首をかしげるほど小さかった。 中国側は、賠償を放棄するのに理由までつけ添える要はあるまいという感触だったのかも知れないが、その時はその時、今となって更めてこちらから事情の解明を求めるのは軽率、というより不見識と言うほかはない。 中国側が今の段階でどう考えていようとも、我が方は純粋に国内事項としてA級戦犯合祀の不手際是正に取り組むことが肝要であって、その解決が自ら全体の解決につながって行くのだという自信たっぷりの構えでいることが切に望まれるのである。 |
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