魁け討論 春夏秋冬



私の大戦回顧 その9

2000年3月3日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
 ●ナンバー・ツーの資質を目指せ(21世紀、日本の志)

 昭和19年6月19日の朝、今度こそは勝つぞと勇んだ太平洋上の短い時間が、生涯に亘って私のアメリカ観に決定的影響を与え続けています。国の滅亡を思うまでに色々の想念が去来した悲運のマリアナ沖海戦ではありましたが、ただの負け戦さではない。堂々と”決勝戦“に臨んで敗れたのだという思いが、この半世紀の間に定着してしまっているのです。

 この思いがなければ、「ナンバー・ツーを目指せ」などという発想が私の脳裡に浮かぶことは多分なかったでしょう。

「アジアのために日本は健全であらねばならぬ」という前号紹介のモットーには、ただの「元気を出せ」とは一味違った、「父祖に恥じぬ」の思いがこめられているのですが、それと同じように、今回の「ナンバー。ツーを目指せ」にも、世界最強のものに挑んだ往年の闘魂が、どこかで動機付けになっていることは否めません。

 勝者がどうあろうと負けた方は潔(いさぎよ)くあれ勝者への憾みつらみやアラ探し的言辞を弄することは”さむらい”の品位に悖(もと)る。「お互いによく戦ったなあ」でいいのだ。私の心の中には先ずそのことがあります。  言い出したらキリのない愚痴っぽい話はもうやめにし、長い冷戦を勝ち抜いて世界唯一の超大国になったアメリカに、さっぱりした気持ちで慶賀のメッセージを送ればいいではないですか。

 次に控えている目標は「実効性ある平和新秩序」です。「頑張れ、アメリカ」。惜しみない声援を送ればいいではないですか。そんな今の私の心境も、私の青春、マリアナ沖の海戦絵巻と無縁ではありません。

 以上を前置きにして本論に入りましょう。

 1.アメリカのかたち(世界のナンバー・ワン)

 これからの世界で最も責任の重い国はアメリカです。その責任の中でも、アメリカならではの中心は安全の保障(軍事とはコインの裏表のような)平和の仕事であります。アメリカ人にはそのことは分っているはずですが、さて有権者としての自覚となると果たして充分と言えるでしょうか。

 そのあたりのところに焦点を当て、その立ち振舞に表れる責任感に照射を当ててみましょう。司馬さん流に言えば”アメリカのかたち”というところでしょうか。

 冷戦時代の世界は、二つの国家群対立の時代でした。それぞれのグループは単なる、平等な主権国家の集まりではなく、棟梁格の国があって、安全保障の面ではその国の意向を無視できない関係にありました。共産圏におけるソ連の締め付け振りは、国家集団の域を越えたエンパイアの観を呈していましたし、西側も中世封建期(神聖ローマ帝国)のヨーロッパなどよりは、ずっと一つの国に近い国家集団になっていたと思われます。

 ということは取りも直さず、それぞれの集団内は、かなり実効性のある安全保障状態に置かれていたということになります。

 それが何と、敵陣営がバラバラになり世界でたった一つの超大国になったのですから、アメリカはそこで大きく深呼吸をしなければならなかった。孤独に耐え、”天下人の器量”で急変する世界に臨むべきではなかったでしょうか(国内問題に軸足を切り替えたいところを我慢し)、冷戦40年の成果として西側に定着していたアメリカの存在感を土台に、安全保障の実効性に向けて総力を挙げるべきではなかったでしょうか。

 第二次大戦の勝利が見えた時もそうでしたが、「勝って兜の緒を締めよ」を地で行く様子が遂に見られなかったことは残念でした。二重の意味でその引き合いに出されるのが湾岸戦争です。

 多国籍軍とは言ってもアメリカの投入兵力50万、その実勢からすれば実質米軍の大戦果と言っていい。それが、固唾を呑んで戦況を見ていた世界の国々の実感でもあったのですから、その余韻消えやらぬ潮時に、ちょうど一触即発だったバルカンに進んで介入していたら、その昔ヒットラーを増長させた「ミュンヘン会議」の二の舞をすることはなかった。多分”一兵も動かさずに”死者、難民数百万の惨禍を食いとめ、野心暴発抑止の先例を鮮やかに打ち立てていたことでありましょう。

 このあと手綱を緩めず、幾つか続けざまに無血成功の実績を挙げれば、実際の武力行使は湾岸戦争だけで、待望久しい実効性が遂に安全保障世界で陽の目を見ることになる。冷戦40年の労苦も報われる、の感慨も一入のものだったに相違ありません。

 そんなにすらすら物事が運ぶとは限りませんが、紆余曲折はあっても夢まぼろしではなく、実現の可能性は充分あったと思われるのです。

 ロシアや中国の動向は更に長い目で見なければならないとしても、アメリカによる手綱の締め方、捌き方に安心感が持てるようになっていたら、世界全体の死者や難民の数はもう何分の一にも減っていたことでありましょう。惜しいことをしたものです。

 それだけではなく、この10年ばかりの大統領選挙を見ていても、在来型の国益に軸足を移せという主張がかなり幅を利かせており、ひと頃のブキャナン(共和党)のように、モンロー主義復帰に近い提言をする候補さえいて、あれだけの国力と人命を注ぎ込んでかちえた冷戦40年の成果をどうする積りなんだ、と詰め寄りたくなることが少なくありません。現にアフリカ地域ではもうサジを投げているのではないかと思わせるフシさえあります。

 しかしそうは言ってみても、”アメリカの役割”は、どこの国でもが代って果たせるようなものとは性質が違います。またいくらアメリカがもたついていると言っても、アメリカくらい世界のために何ができるかを考え、行動する心意気のある国は世界のどこにもありません。(そんな資質をアメリカが備えていることを見失ったアメリカ論議が日本でよく見受けられるのは残念なことです)

 ただ、それだけの資質を備えてはいても、政治、交は選挙結果に大きく左右されるわけで、世界に対する責任感もその出来映えはよく行って70点か80点、下手をすると60点すれすれになることもあるでしょう。私などは期待感が強過ぎて先ほどのような厳しい見方になり勝ちなのですが、いまの点数比較くらいの感覚でこれからの議論は進めて行った方が、足が地から離れないでいいかも知れません。

 2.待たれる御意見番(ナンバー・ツー)

 こうなると、アメリカが一目置くような知恵袋役の国、アメリカを天下人たらしめる天下の御意見番にあたる国が欲しくなりますね。ナンバー・ワンに取って代ろうという下心のある国ではいけませんが、能で言えばシテの名演技を支えるワキの役を果たすような国が。そうしたら世界にとって大切な国であるアメリカの動きは見違えるほど冴えてくるのではないでしょうか。実例を挙げればチャーチルやサッチャー時代の英国のような感じになりますか。

 以上は、折角のアメリカを誤らせたくないという気持ちからの感想ですが、立場を変えて日本の側から見た映り具合はどうでしょう。

 優れた素質に恵まれながら、夢と希望を失い始めている日本、「後からお先へ」でもないでしょうがアメリカの隆盛を目の当たりにしながら、早々と衰えの気配を感じさせる日本に、ナゾか暗示をかけられている感じがしませんか。「まだ老い込むのは早いぞ」という父祖の声が、どこか遠いところから聞えて来るように思えるのですが。

 困るのは、敗戦のショックから“小国意識”がすっかり根づいていて、世界第2の経済大国になってもさっぱり変りそうにないことです。大それたことを考えることが間違いという”戦訓”が生きつづけているということです。小沢一郎が7年前に書いた本で打ち出した「普通の国」という目標なんか、かなり常識的なものだと思いますが、国家の改造を大上段に取り上げているところがお気に召さないのか、小市民であることをよしとしているらしい有権者はさっぱり飛びついて来ません。(マスコミでさえピンと来てないのではないでしょうか)

 ですから、それを越えた大構想に一般人の注目を惹き付けるにはどうしても何か”つなぎ”の工夫が必要です。

 そこで考えてみたのが前号で提唱した「アジアのために日本は健在であらねばならぬ」というモットーに結び付けることでした。このモットーに「できればナンバー・ツーの資質を目指せ」とさりげなく付け加えるのです。ナンバー・ツーと言っても、ポストとか地位を目指すのではない。、役立ちたいと思う役割を見定め、それに見合った力をつけることだと、分り易く説明しようというわけです。

 ひろく国民の共鳴を得るにはどちみち苦労はつきものだと思います。10年か20年の目標を考えるのなら、「普通の国」くらいが手ごろなところでありましょう。しかし、21世紀を通じて涸れることなく、夢と希望を与え続ける国是級のモットーを求めるなら更に手間が掛る。

 ”父祖に恥じぬ”自覚をきちんと呼び覚まし、日本ならではの役割と最後は誰しも共鳴するような目標を立てる設計努力が必要でしょう。それを格調をやや高めにして打ち出すということだと思います。そんな国にはなれないよ、とひるまれてはこまりますので、司馬さんの「明治国家」は繰り返し語り続けさせて貰わねばなりません。

 3.世界を見つめる眼

       総論はこれくらいにして、あと極く簡単にナンバー・ツーなら見識を研ぎ澄ましておきたい項目を幾つか拾ってみましょう。何と言っても”リハビリからやり直す”覚悟が要るのが安全保障の分野です。多岐に亘りますので、基本課題に触れておく程度にしておきます。

(1)武力の行使は物騒なことだけにその発動には
(2)”自制”が求められる。厳に國家間の領土
(3)保全目的に限定すべきではないか。

 (いくらカリブ海がアメリカの裏庭だと言っても、ハイチに軍事政権が出来たからといって武力で是正を図ろうとするのは度を越えている)

 自由や民主主義は、武力を使ってまで他国に押しつけるべきものではない。以上のような自制が利いていてこそ、平和目的に限っての武力行使の正当性を世界に納得させることができる。パックス・アメリカーナを支えるものは武威だけではない。それと並んで、道義に立脚した思慮分別が必要である。

(2)人道問題は難しいけれども避けて通れない。
 適切な収容場所を難民発生国の領土内に設定して”駆け込み寺”としてはどうか。(周辺諸国へのタレ流しを封ずることにもなる)それには設営場所の軍事占領を例外的に容認する要がある。
(3)いくらアメリカの腰が引け気味だからといって
(4)安全保障の仕組みをリージョナル・ベースに切りかえるべきではない。アジア一つを取ってみても、アメリカの出る幕のない地域主義構想は、域内大国間の覇権争いを誘発させるだけだ。さりとてグローバルVステムの完璧を狙って世界連邦を目指すのにも実際上の無理がある。人口60億もの世界を一挙に一つの国にしてしまって運用の目途が立つものかどうか。その前に中国やロシアを含む世界の国々が、”版籍奉還“式に主権を放棄するとは考えられない。
(5) 国連改革問題の中には、一国内での省庁機構
(6) 改革の場合と同じ感覚で取り組んでいいものと、それでは國際政治の現実には全く噛み合わないものとがある。集団指導の建前で行く限り、安保理改革は決定打を打ち出せないで終る惧れなしとしない。國際司法裁判所については、本格的な領土紛争がもっと持ち込まれるように仕向けたいところであるが、武力による判決執行が実現しない限り事態は”百年河清を待つ”に等しい。(1960年代の後半、旧ドイツ領南西アフリカ(今のナミビア)に対する南アの委任統治権限失効の判決が出たものの、南アはこれを無視し続け、國際社会もなす術もなくそれを傍観した)

 ●4.ひたむきに生きる

 安全保障以外の広大な裾野をこの一回で網羅することはとても出来そうにありません。そこで沢山のテーマの中から一つだけ選んで要点を述べることで今回は終らせて頂きます。

 アメリカが人類普遍の原理と銘打って振りかざしているものには、そこまで言っていいのかと思われるものが少なくありません。アメリカン・ウェイ・オブ・リビングと一体化していてアメリカ人には何の説明も要らない価値観でも、それが世界中無条件で通用すると思ったら大間違いです。

 冷戦に勝って自分たちの価値観に自信がつき過ぎ気味のアメリカ人に、そんなものではないよと嗜(たしな)めることは容易ではありますまいが、日本人にはその”素地”がありそうに思います。その素地を伸ばして行けば日本は、米中両国の間に斡旋する力量を、双方がら買われる国になることも可能になると思うのです。

 戦前から、というより明治この方、東西文化の架け橋になることが、日本の史的使命だと言われて来たものです。それが敗戦による自信喪失で半ば死語になりかけていましたが、千年紀、ミレニアムはいいチャンス、今こそ先人の気宇、気概を想起して志を新たにしてはどうでしょうか。

 ただここで一つ留意しなくてはならない重要なことがあります。維新この方日本人は本当によく西洋のことを勉強して来ましたが、目立ってまだ勉強不足と思えるのが政治思想の分野でしょう。この領域では更に一層の研鑚を積んで理解の度を深めなくてはなりますまい。「彼を知り己を知る」、相手の論理、論法に乗せてこちらの言いたいことを述べ切れなくては、東西の架け橋はおろか、アメリカ人に一目置かせることもできません。

 さあこうなると理屈ではない。右顧左眄しないでまっしぐらに突き進むことです。役立とうとすれば向上せよ。向上すれば役立つというわけですから、ここで久しぶりに雄心勃々の気を漲らせたらどうでしょうか。

 アメリカが本家(格)のデモクラシーでも、うっかりしていると実際運用面で日本にお株を取られるぞ、とアメリカが危惧し始めるところまで肉薄して行ったら痛快ではありませんか。しかも知性や徳性上の体質強化は、経済分野でのシェアー拡大などと違って何処の誰に実害を与えるものでもありません。

 やっかみ的な黄禍論は出ないとも限りませんが、脇目も振らずその道に精進する「日本健在」の様子は、その後姿を見つめるアジアの更なる発奮を促すでしょうし、長い目で見ればアメリカやヨーロッパ諸国の日本評価を高めることにもなりましょう。日本の若者頑張れ。日本の有権者頑張れであります。

 以上を以って「私の大戦回顧」を終らせて頂きます。途中から題名を逸脱した内容になっただけでなく、どこを取っても充分な時間を掛けて論議を重ねて行かねばならない、また反論の余地の多い話ばかりだったと思いますので、読まれた方の忌憚ないご叱正を期待してやみません。


 感想、ご意見をお待ちしています

お名前 

感 想 



© 1999 I House. All rights reserved.