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私の大戦回顧 その81999年2月12日元中国公使 伴 正一 | |||||||
ご意見 | ●来し方150年、これからの1世紀(つづき) 前号は、後半日本の進路に話を進めて我が国知識人の思考力の無さを慨嘆したところで終りにしましたが、今回は、 「それじゃあ、お前に案はあるのか。」と訊かれた場合を想定して、未熟で少し早過ぎますが、整理不充分のまま私見を述べてみたいと思います。
「清国が阿片戦争に破れる。香港が取られる。北では黒龍江以北、ウスリー江以東を次々に失う」 例えば坂本竜馬が一介の"剣術使い"から、脱藩してまで国事に奔走するようになる動機は、これしか考えられません。 因みに、世界の海援隊が竜馬のユメで、明治維新は手段だったという、感嘆をこめての司馬遼太郎説は、西郷に語った竜馬のホラを司馬さんが真(ま)に受けての誤解に相違ない。それは土佐人で、しかも竜馬に私淑してきた私には想像がつくのです。 一歩誤ったら国が滅びるという、片時も心から離れることのない危機感の中で、日本は一つ一つ危急を脱して祖宗の国の保全に成功して行きます。 その過程で、抑圧されていたアジア諸民族が目を覚ますわけです。日本がロシアを破った、その報道に少年ネルー(後に、インド独立時の首相)がいたく感動したことは自叙伝にも出て来る有名な話ですよね。アジアの先覚者たちが日本の"後姿"を見て奮起して行く姿です。 今から思えば夢のような、そんな一時期がアジアにあったという史実は見逃せません。 それはまがいもなく日本にとって名誉なことであり、二十一世紀日本の在り方に深い示唆を与えるものではないでしょうか。もっとも1980年代になると、経済に関してだけですが、日本を先頭にした"雁行型経済"という譬(たと)えが登場することになります。 確かに明治の末頃から日本に思い上がりの気が芽生え、いくつか取り返しのつかぬ過ちが相次ぎました。その謗(そし)りは免れませんし、先人に対して不明を恥づべきことも論を待ちません。しかし、数世紀にわたって西力東漸の波に洗われ続けたアジア屈辱の歴史を通観すれば、その高潮のさ中にあった日本150年の歩みは、さしも険しかった辛酸の道への感慨と、その間に成し遂げた成果への心のときめきを感じさせずにはおきません。 前置きが長くなりましたが、そのような感懐をこめて私は、自分たち日本人同士のこれからの切磋琢磨を目指して、 「アジアのために日本は健在であらねばならぬ」と言うモットーを提唱したいのです。 大東亜戦争を自分でも戦ってきた私には、"アジア不戦の誓い"(説明は別の機会に)と同じく、まるで天の啓示みたいに、極く自然に口を突いて出てきた言葉なのすが、合理的根拠を後から整えるとしたら、 心にロマンの灯をともす立志型目標を掲げるという発想そのものだと言えますし、そのことによって民族の活力を持続させようとする点は、新しい国益論として立派に筋が通ると思います。 犠牲でもなく、ましてや偽善や"お為ごかし"では全くありません。むしろ前号で簡単に触れた、利己でも利他でもない、その二つが融合したような大我の思想になると言った方が端的で分り易いのかもしれません。大我なら、いっそのこと「世界のため」でよくはないか、という指摘があっても不思議ではありません。 ただ、問題は"アジアの共感"が今の日本人には死語になっているかどうかで、そうなっているとすれば話は深刻だといわなくてはなりません。 日本人にとってアジアと世界はどう違うのか、どう使いわけるのかということは、日本の進路を考える上でこれから重要なテーマになって行くに違いありませんが、その際、アジアの語感に被抑圧の歴史、そして日本にとっては特に明治この方、ともに生きて来た幅広い体験や思い出が織り込まれていることを捨象するわけには参りません。 貧富強弱を"ごった混ぜ"にした「世界」の語感とは違ったものがあるのは当然でありまして、「アジア」はこれからの一世紀も、そういう実体を支えにして日本の活力を喚ぶキー・ワードたり得るのではないでしょうか。 一昨年9月のホーム・ページに、株の知識もない私が次のような趣旨のコラムを書きました。理想に走り過ぎで見当違いも甚だしいかも知れませんが、私の気持ちを汲んで下さることを願って簡単に要旨をのべさせて頂きます。
政治にだって同じことが言えるのではないでしょうか。形ばかりの今の日本デモクラシーを何十年掛ってでもいい成熟させ、本家の英米顔色なしというところまで行けば、明治の一時期のように、アジアの国々は日本の後姿を見て何かを学び取ってくれるでしょう。 私の青年海外協力隊事務局長当時の隊員、今ではOBでも年長組になる諸君に、これから期待し時には口に出して言ってもいるのは、 「日本にいたままでも協力隊時代の続きができるよ」ということですが、これも同じ考えから出たものです。 日本での村づくりだって、「アジアの視線を背中に感じながら」やるのとそうでないのとでは、同じ仕事をしていてもやっている本人の意識にはお月さんとスッポンの違いが出てくる。 任地で気の合っていた仲間に 「この俺を見てくれ」と言って恥づかしくない自分になることを目指すところに、生き甲斐は生まれロマンは根を下すのではないでしょうか。 日本人の深層心理にまだ根が残っているはずの恥の文化、名を辱めまいとする心を上手に生かして動機づけにしよう。やや勇み足なことを言えば、"アジア"はモラルでも仕事に対する取り組み姿勢でもヨーロッパに負けてなるものかというわけで、 「アジアの視線」思想をOBたちに吹き込んでいるのです。 今までの歴史的な行きがかりからアジアと言っているのであって、アジアは他の開発途上すべてを代表していると思ってくれと断りながらです。 もう一つの私の持論、 「世界新秩序の中でナンバー・ツーを目指せ」は長くなりますので次ぎの号に譲りますが、その前に一言だけ。国是というものは、内容がよくこなれていて素直に人の心を打つものでなくてはなりませんが、目にも鮮やかに行く手を指差す励ましのモットーを工夫して勢いをつけないと、エンジン全開までには参りません。その周到な仕組みがないと本当の馬力は出てこないのだと思います。 明治の「富国強兵」に比して小渕総理の「富国有徳」がさっぱり人の口に上らず冴えないのは、そういうことかも知れません。 |
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