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私の大戦回顧 その62000年1月23日元中国公使 伴 正一 | |
ご意見 | ●人命は尊いが人命至上主義は行き過ぎ(1) ウルトラ平和主義、と私が呼ぶものと車の両輪で、戦後日本の平和思想を形成して来たのが、人のいのちを何物にも代え難い価値として絶対視する、人命至上主義の風潮でありましょう。 戦後アメリカが持ち込んできた人命尊重の思想は、果てしない広野に人煙稀だった建国当時が偲ばれる思想で、人が多過ぎ人命軽視に陥り勝ちだった日本には良薬と言っていいものだったと思います。ただ、持ち込んだアメリカには日本の精神的武装解除という占領目的があったため、持ち込み方が荒っぽかった。 戦勝国の威を振りかざして日本人の厭戦気分を煽り、国に尽くすことをあたかも危険思想でもあるかのように宣伝したものですから、日本人側の虚脱症状という事情もあって、「国のため」という言葉はすっかりタブーになってしまいました。 それだけでなく、その巻き添えをくらったかのように、公(おおやけ)という観念も影を潜め、日本人の物の考え方は、自分のこと、それも損か得か一色のものになるわけであります。 そんなことも裏腹になって、戦後日本の人命尊重は、本家のアメリカを通り越して、危ないと見たら逃げることを無条件で容認するようなものになっていました。 それを一挙に固め、根付かせてしまったのが、キャッチ・フレーズ作りの名人と言われた福田総理の名文句 「人命は地球より重い」です。 ハイジャックされている人質救済のためとは言え、犯人の要求に屈してまだ刑期も終ってない連合赤軍の大物を釈放する、という違法措置が内閣総理大臣の命令で執り行われた。それを正当化するため総理自身が口にしたのが、西洋生まれのあの名文句だったのです。 表現が奇抜だし、耳ざわりがよくて覚え易いものですから、誰にも一ぺんで覚えられてしまい、それからは、「平和」や「民主主義」と肩をならべ、反論が許されない道義的権威を持つものになって今に至っているのであります。 大いなるもののために一身を顧みないということは、特に日本では、美徳の最たるものとして何世紀にも亘り受け継がれて来たものです。 これあってこそ奇跡的にも明治維新は成就したのであり、それから後の国難克服も可能だったと言えましょう。 仏法用語の「大我」というのも同じ思想に根ざす素晴らしい言葉だと思います。 「大いなるもの」と言い「大我」と言い、究極的には世界、人類というところに落ち着くのでしょうが、その手前には国があり、地域社会があり、一番近くには家がある。そのどれもが、おのれ一身の「小我」に較べて、大いなるもの、大我と呼ぶに値するものでありましょう。 しかし先に述べた戦後日本の人命至上思想はひどく絶対主義の傾向を帯びていまして、違った考え方の存在を容認する雅量は全くありませんでした。 そこで、前置きが長くなりましたがいま日本と日本人に問われている問題は、と言いますと、国もさることながら世界の平和を守るため、具体的には紛争地域の戦火を消し鎮めるために、なにがしかの日本人のいのちを危険にさらすことは是か非かという厄介な課題です。 これは難問です。 前向きに答えるには非常な勇気が要ることです。さりとて否定する論理を正直に立てようとすると、アナーキズム(無政府主義)に行ってしまう可能性が充分にあります。だからこそ我が国では、名だたるオピニオン・リーダーたちが、いまもって誰一人正面切って取り組もうとしていないのではないでしょうか。 誰だって命は惜しいし、母親なら手塩にかけた息子を戦場になど送りたくない。それは世界中どこの国にも共通する心情で、日本だけのものではありません。 しかし日本以外の国では、国をなす以上戦争は起り得るし、戦争が起これば 戦死者も出るということが、有史以来の経験則として、言わず語らずのうちに社会通念として了解されて来ています。 従って、出兵の目的が、世界平和のための"火消し"作戦参加ということになっても、日本で起こることが予想されるような、神学的な"いのち論争"が起ることは考えられません。 ところが日本は、自らの国を守るために命を危険にさらすことさえ、まだあらかたのコンセンサスが得られていないのが現状でありまして、遠いバルカンの戦火を消し鎮めるためと言ったって、からけし何のことだか分らないのではないでしょうか。 講和条約の前、アメリカのダレス特使に再軍備の話を持ちかけられた際、時の吉田総理がそれに応じていたらどうなっていたでしょう。 その時期だったら占領軍の意向で憲法の手直しはできたに違いありませんから、五千人規模でいい、軍と名のつくものさえ創設していたら、日本だって多分、とっくの昔、世界各国並みの常識が通用する国になっていたのではないでしょうか。 今どき、容易なことでは埒のあきそうにない神学論争の火だねを抱え込むことはなかったでありましょう。 しかし過ぎ去ったことをボヤいていても始まりません。 今となっては、史上いかなる国も経験したことのない"死生観に揺れる"試練の時期を経なければ、日本は各国並みの常識に合流し、それらの国々と噛み合った意見の交換をすることはできますまい。 死生観の問題は理屈だけで形(かた)のつくものではありません。 いくら「大いなるもの」を説き、人間には「命より大切なもの」があるのではないかと持ちかけても、それで説き伏せるところまでは行かないでしょう。 突きつけられている課題は、知性の領域であると同時に、武士道における死生観のように、人生を芸術と見立てたやに思える美意識の問題でもありましょう。 名誉を重んじたローマ興隆期の精神や、ノーブレス・オブリージュの言葉に残る西洋騎士道の精神にも共通したものがあるかも知れません。 そこで一つの段取り、手始めとして重要なのは、父祖が育(はぐく)み、慈(いつく)しんできた死生観を、日本人固有のすぐれた直感で読み取ろうとする、現代日本人の新たな努力ではないでしょうか。 平たく言って、生活文化の視野で捉えた「日本美の再発見」です。 |
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