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2001.08.26
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大正13年(1924年)高知県生まれ。父乙衛、母美智子。 昭和18年(1943年)海軍経理学校を優秀な成績で卒業、恩賜の短剣を拝受した。 太平洋戦争中は南太平洋の戦闘にも参加、海軍主計大尉で終戦となった。 戦後、東京大学法学部に学ぴ、 在学中に高等試験司法科に合格した努力家である。 昭和23年(1948年)1月、片岡久子と結婚。 昭和26年(1951年)GHQのパージ解除により、外交官試験に合格。 昭和27年(1952年)外務省に入省。 アジア局、移住局、サンフランシスコ、南アフリカ共和国、パキスタン駐在を経て 昭和44年(1969年)経済協力局技術協力謀長となり、 開発途上国援助制度の基礎を作った。 昭和47年(1972年)中山素平氏に請われて青年海外協力隊事務局長に出向、 アジア、アフリカ、中南米の途上国に展開する日本青年の指揮をとった。 同氏の援助哲学は今も隊員活動の支えとなって高い評価を受けている。 昭和52年(1977年)駐中国日本公使として北京に赴任、しぱしぱ臨時代理大使となる。 日中平和条約の締結に心血を注ぎ、妥結にこぎつけた功績は大きい。 また難問であった政府借款交渉での粘り腰も有名である。 歴史的な大平総理大臣の〃北京スピーチ〃を起草 昭和55年(1980年)北京から帰国 昭和55年(1980年)2月、政治を志して退官、高知県で弁護士を開業。 平成13年(2001年)5月26日死去。 著書に「ボランティア・スピリット」(講談社)がある。 家族:妻久子(高知市在住)、長女美喜子(クアラルンプール在住)、長男武澄(共同通信社勤務)
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