「魁け討論 春夏秋冬」1992年夏季号 |
世界新秩序2―武力制裁の初ケース、湾岸戦争とアメリカのリーダーシップ― |
目 次
本号討論の背景について この討論は昨一九九一年三月から七月にかけて行われた数回にわたる勉強会の成果を集約したものです。
一、はじめに 司会 中東の風雲も、地上戦百時間でケリ、イラク軍がこんなにあえなく潰え去るとは思いませんでしたね。あと二十四時間もやられたら、フセイン大統領の、すくなくとも政治生命は断ち切られていたでしょう。
さあ、そこでここが思案のしどころ、この現実は、世界全体のために喜ぶべきことなのかどうか。今回は、去年の八月からこの春までのアメリカの行動をたどり、リーダーたるの資質が充分かどうか、突っ込んだ討議をしていただきます。 二、アメリカはなぜイラクの暴発を抑止しなかったか 司会 まず事件の勃発から見ていきましよう。大隈さんどうです。 大隈 イラクがクウェートに進攻準備をしていた段階で、アメリカはそれを察知できなかったのかなぁ。その能力は十分あつたはずなんで、ウッカリしていたなんてのは言訳にならない。知っていて警告も出さないでいたなら、もっと由々しい問題だ。イラクが手を出すのを、待ち構えていたことになる。アメリカには、どうもそんなところがあるもんだから気になるんだ。 太平洋戦争のときも、日本に先に手を出させて、国内の戦争反対論を雲散霧消させ、一挙に、世論を戦争一本にまとめ上げてしまったフシがある。タチが悪いよ。 板垣 大隈さんのいわれるように、イラクの軍事行動発動前から、アメリカのトップがイラクをやっつける肚を決めていたとなると、弁護はかなり苦しくなりますね。地域覇権を目指して突進するイラクが、アメリカにとってあつらえ向きのタイミングでさきに手を出した、ということになる。 大隈 たとえフセインの性格がどんなに異常だったとしても、おとり捜査みたいなのはいけないよ。それにしても、この点の詮索をどの国もそれほどしないのは不思議だ。アメリカのリーダーシップを認めるにしても、そのクセはクセで知っておく必要があるよ。 板垣 ちょっとそれた話で申訳ないですが、イラクがクウェートを占領したあと、何度か国連決議がありましたよね。最後は十一月、クウェート撤退の期限をつけ、それに従わなければイラクヘの武力行使を認める、というきついものでした。その時点だと、もうアメリカの肚は決まっていたのだと思います。フセインも、そして海部さんもわが外務省も、そこいらを読み切れなかっただけのことで、読み切れなかったほうがどうかしている、と私は思います。だって、世の中で、駆け引き上、こんなことはよくあることじゃありませんか。ある時までは本気で交渉をまとめようとしてやっているが、それからは決裂の肚を決めてかかる。相手が呑めないことが分かつていて、難しい条件を持ち出す……。 大隈 ホンネの話としては合点がいくが、表面に持ち出したらそう簡単にはまかり通らんよ。というのは十一月のあとの国連総長やフランスやロシアの動きは、泳がされたに過ぎないことになってしまうからだ。べーカー国務長官の動きもあれは一体何だったのかと、攻め立てられたら弁解は苦しい。 板垣 肚が決まるのと、最終の決定にはズレがあるんで、肚はきまっていても相手の出方次第で最後のドタン場で和平に戻ることはありますがね。 大隈 外交交渉の機微だ。こうなると、いい悪いではなくて、どちらが役者が上かという話になるんだろうね。真珠湾攻撃直前の日米交渉が思い出される。 三、アメリカの派兵と「国連軍」 司会 ところで事件発生直後のサウジ派兵。アメリカの過剰反応だという批判がとくに日本では多かったようですが。 板垣 そのときは私も、なんであんな大兵力が、と思いましたが、あとで考えてみると、タイミングといい、兵力といい適切、適量だったと思います。あの時のイラクの勢いを押し止めるには、あれくらいやっておく必要があった。軍事的にひ弱い近隣の国々に、アメリカの並々ならぬ決意を分からせるためにもです。なにしろイラクは五十万人の大軍、しかもイランとの実戦で鍛え上げられているんですから、サウジの五万人なんか、イチコロですよ。 大隈 近隣の国にアメリカの決意を分からせるのだったら、一万人か二万人の兵力投入で十分だよ。いわゆるプレゼンスの威力がものを言うんだから。そうしておけば本当の意味で和戦両様の構えになる。
板垣 それも分からないではありませんが、兵力の小出しというのは、いいようで大きな災いももたらす。フセインが北ベトナム気取りで、本当に攻めかかって来たらどうしますか。
司会 湾岸戦争の中には、これから先の教訓になる個所がずいぶんありますね。今年は真珠湾攻撃五十周年でもあり、戦争開始論議だけでも話はつきないと思いますが、今日は総ざらえの日ですから、先を急いでつぎのテーマに移ることにしましょう。
大隈 そりゃアメリカの身になってご覧なさいよ。作戦・用兵の上で、多国籍軍のほうがずっとやりやすい。圧倒的主力が米軍で、その米軍は大統領が思うように指揮できるのだから。なまじ国連が介在し、安保理、さらにはその下にできる軍事参謀委員会にまで容喙されはじめた日には、機密は漏れるわ、作戦のタイミングは外れるわ、たまったものではない。というのがアメリカの首脳や軍幹部の実感だろう。無理からぬことだ。戦争は命懸け、ちょっとのミスで何千人もの人命が吹っ飛ぶのだから。 板垣 だけど、それをいっていたらいつまでたっても国連軍はできませんよ。
大隈 難しいところだ。このままでいくと世界の安全保障は、やっぱりアメリカということになって、国連は浮き上がる。国連軍創役の動きも見えないような国連なら、どの国だってあてにしない。イザというときに備えて、直接アメリカに守ってもらうことを考える。実質アメリカ、形式多国籍軍方式の方へなびいていくだろうね。そうでないと、安心して軍備の削減なんかできぁしない。
板垣 しかし、はたしてアメリカに、これからさきもずっと、 一国で世界の安全を請け負う用意があるのかどうか。アメリカが主力ではあってもアメリカだけではない。という構成の、恒久的な国連軍をもっと真剣に考え始めるべきではないですか。思い通りにならないことがあっても、そこは我慢するしかないのだという見極めをいい加減でつけないと、構想は前に進まない。 たまたま湾岸では大勝を博し、いまのところアメリカ軍も国民も意気軒昂ですが、いつまでそれが続くか。アメリカ国民だけが持っている(といってもいい)使命感、そしてそのために血を流す気概、これを世界新秩序へのエネルギーとしてつないでいくには、アメリカ国民の士気の高いうちに、将来のことを考えておく必要があります。士気を長続きさせるにも、背中の荷物(出血の負担)をできることなら軽くしておく配慮が必要。その深慮・遠謀が、いまこの時期に切に望まれる。強大な軍事的ライバルが姿を消そうとしているこの時期にです。 大隈 君のいっていることはいちいちもっともだ。しかし、同時に、多国籍軍の長所、短所をじっくり研究し、この方式でシステムを構築するのも一案ではないか。アメリカが主力ではあってもアメリカだけではないというのだったら、多国籍軍だってそうじゃないか。また多国籍軍だって国連をまったく無視はしない。国連から安保理決議というお墨付きをもらって動いたじゃないか。 何といっても、アメリカの嫌がるものを押しつけるわけにはいかないよ。一番血を流すはずなのは、アメリカ人なんだから……。 板垣 ちょっと待って下さい。そのところなのです、問題なのは。アメリカが嫌がるから、で投げ出す手はありませんよ、こんな大事なことで。アメリカに向かって問題提起をすることが、大切じゃないんですか。それが問題提起はおろか、日本人同士の議論までやめてしまうなんておかしいですよ。いやがるかってことだって、どの程度いやがっているか、当たってみなくてははっきり分かりませんよ。 大隈 議論はこうしてやっているじゃないか。前回の討論も国連軍か多国籍軍か、という内容だったし、国連軍論議は続けるという合意がその時の結論でもあった。僕の方でもつぎの機会までに、多国籍軍のメリットを理路整然と説明できるようにしておくが、ここで一言いっておきたいことは、国連軍方式でやっていたら、湾岸戦争のあんな軍事的成功は、覚束なかっただろうということだ。 板垣 それは私も否定しません。ただ私の方も一こといわせてもらうと、一つ惜しいことをした。私がブッシュ大統領だったら、作戦完了、撃ち方やめ、となった時点で、子どものままごとみたいだといわれるかも知れないが、十カ国近い多国籍軍を国連軍に編成替えしようとしたでしょうね。こうして、たった数週間でもいいから、アラビア半島に残留する三十万人、四十万人の大部隊を国連安保理の管理下におき、軍事参謀委員会の指揮を受けさせたでしょうね。 数え切れないくらいの任命行為が必要になる。戦時に準じた形で命令が伝えられ、報告が上がり、伺いが立てられる。そうすれば実験的に組織体をこしらえ、どんな具合に血が通っていくものか、よく観察することができたでしょうよ。形だけとはいっても、史上初の国連軍ですから、その誕生にあたっていろいろなゴタゴタも起こるし、難しい課題も浮上する。けれども作戦は終わっているんだから、そんなことは試行錯誤のいい材料にこそなれ、戦局全体の命取りになることはない。 こうして国連軍の試運転をやっておいてご覧なさいよ。それから先の国連軍論議がどれだけ地についた、現実味を帯びたものになりえたか。 湾岸戦争はアメリカの大成功だといえますが、勝って兜の緒をしめよ、遠く世界の将来を考えての布石まで、配慮は行き届かなかった。 大隈 確かにそれはやってみる価値があったな。アメリカの威信が絶頂期にあった。その時だったらやれたよ。海部さんがそれを進言でもしていたらなぁ、ブッシュも日本を見直したろうに。 司会 モノとカネ、汗と血、そのほかにも英知というかソフトでの貢献という際限のない分野がありますものね。 四、ブッシュの戦争突入決断と戦闘行動 司会 ところで一月十六日の戦争突入ですが、国連決議の期限が十五日に切れる。その翌日に武力行使発動となったんですから、国連からみて法的にはまったく問題はないはずですね。ただ政治的というか、さらに高い見地から見て、アメリカの決断に問題はなかったか。これが討論のポイントだと思いますが、その前に、ここで脱線をあえてして、「この際の武力行使に日本が加わるとしたら」という根源的な設問について、入口のところだけでいい、お二人の意見をうかがいたいのです。多国籍軍への日本参加は是か非か。日本の思想界はこの論議を尽していない。 板垣 尽してないどころか、入口にも入ってない。論議することそれ自体がタブーで半世紀近くが経過してしまったんですもの。言論の自由もどこへやらですよ。湾岸での多国籍軍の武力行使は、日本国憲法九条の武力行使とは性質の違う武力行使です。日本がこれに参加することを憲法は禁止していない。 それが私の解釈です。この解釈が成立たないと、一三〇億ドルの支出の根拠が怪しくなりますよ。こんどの多国籍軍の武力行使が、日本でなら禁止されている性質の行動なら、そんな武力行使をカネで支えることも共犯、幇助罪になるじゃないですか。 去年、国連平和協力法案が国会に上程され、審議が始まろうとする前日でしたか、海部総理の発言を受けて外務省が、いまの私の意見と同じことをいいましたね。 大隈 でも、官邸は何ものかにおびえるように、そそくさと引っ込めたじゃないか。君のような解釈は最高裁へ持ち込んでも十五人の裁判官の半分以下の支持しか得られないよ。
まともに読んだら君や外務省のような結論には絶対ならない。本当は自衛隊も違憲だ。最高裁だって自衛隊問題が上がってくると、門の入口のところで理屈をつけて上告を棄却し、本体のところの判断は逃げている。いまさら違憲といったら大ごとになるし、さればとて合憲だなんて判定はとても出せない。判断を避けているんだ。その苦衷、よく分かるじゃないか。 板垣 こんどの多国籍軍の武力行使が、いわゆる紛争の解決の手段として発動されたものでない点は認めるのですか。 大隈 もちろんだ。ブッシュとフセインを並べて紛争当事者みたいに扱っている多くの俗論とは袂を分かつけれども、九条の解釈は別だといっているんだ。戦力を持ったり交戦権があることにしたら、屁理屈をつけて紛争解決の手段に使う心配があるから、そんな余地を完封してしまおうというのが九条だ。中国での宮刑(男根を取り除く刑)みたいなものと思えばいいんだな。犯すことを禁ずる上に犯せないようにしてしまう。 考えても見給え、憲法ができたころ、日本は打ちひしがれた敗戦国。「もう二度と侍になろうなどという気は起しませぬ。弓矢を手にすることら一切しません」という調子なんだ。それが、九条二項の正体なんだ。 司会 含蓄のあるご指摘ありがとうございました。
板垣 アメリカは国連から順序よく決議を引き出し、イラクヘの締めつけを強化しながら、クウェート撤退を促しています。ロシアやフランスにまで、やれることは全部、かなりスタンド・プレーめいたことにも文句を言わずにやらしている。平和的解決のための努力は完璧だった、といえるでしょうね。 大隈 それは形の上でだよ。イラクを叩く決心でいて、手を尽した形を整えただけのことであって、やり方は巧妙だが、アメリカ嫌いの人間に言わせたら狡猾。フセインが越前朝倉攻めの兵をあっさり引いた織田信長くらい機敏な人間だったら、一月十四日にクウェートから全軍を撤退させてアメリカに肩すかしを食わせただろうな。こうなれば五十万人の派兵は過剰行動だったという非難を免れなかったに違いない。ブッシュも危ういところだった、といえる。 板垣 その式の見方でいくと、ブッシュ大統領は内心ハラハラしていたのでしょうね。二重の意味で、一月十五日の期限切れが待ち遠しかったに違いない。 大隈 二重の意味というのは? 板垣 アラビア半島の砂嵐の季節がじわじわ近づいてくる。それに、異境の沙漠で年越しをした五十万人将兵の士気がいつまで持つか。ブッシュさんも、そんな中での決断だったことを考えると、運もよかったが、タイミングは絶妙。将来国連軍が、似たような状況で軍事行動を起こす場合のいい参考例になると恩います。
大隈 アメリカが独断に近い形で戦争に突入したから、君のいう絶妙のタイミングもつかめたのだ。国連軍だととてもそうはいかない。こんな鮮やかな采配の振り方はできなかった。国連軍を作るときは、こんどみたいな一糸乱れぬ作戦行動にかどこまで近づくことができるかが大事なポイントになる。 板垣 やはり第二次大戦このかた、連合軍、そして自由陣営の旗頭として戦ってきたアメリカとアメリカ軍の底力を評価しないといけないでしょうね。
大隈 その点では僕も同意見。問題は、さきほど君がいっていたように、アメリカの強さがいつまで続くかだ。 司会 いつも先を急がせて悪いのですが、つぎは戦争行動そのもので、アメリカ軍をどう採点したらいいか。 板垣 民間施設の空爆、民間人の殺傷などがマスコミに大きく取り上げられましたね。でも、あの規模の戦争があの程度のエラーで収まったということは、百点満点で失点が二点か三点しかなかったようなものです。 だって、第二次世界大戦のときのことを考えてください。日本人は戦後五十年、「戦争を起こしたことがこんな結果を招いたのだ」という論理で、戦争中アメリカ側の(戦時国際法上の)無法な行動を不問に付してきました。昭和二十年になって激しくなったB−29の無差別都市爆撃、毎日一つの都市が焼かれていったわけですよね。そのほとんどが民衆の住まい。 中でもひどいのは広島、長崎への原爆投下。日本がなかなか手を上げないから、戦争終結を早め、米軍の死者の数を少なくしようとした、というのがアメリカ国民への説明ですが、広島だけでも二十万人ではすまない非戦闘員を殺しているのですよ。 残虐は日本軍だけだった、と思い込んでいる大多数の日本人は、そのころのアメリカの戦いぶりや、米軍の比ではないソ連軍の悪逆無道ぶりを、史実に照らして客観的に見ておく必要がありますよ。 大隈 その比較はあまり意味ないよ。だって、一カ月半の戦争と三年八カ月の世界大戦とでは全然戦いの種類が違う。それはアメリカ側の戦死の数だけ比較しても分かることだ。 日本への原爆投下説明だって、いまなおそれを是としているアメリカ人がたくさんいるんだぜ。イラクがもっと頑張って米軍にも死傷者が続出したら、何をやったか分かりはしない。それにエラーが少なかったのは、アメリカが人道的になったというより、兵器の精度がよくなったから、の方が大きいよ。 侵略を討伐する軍は、敵に対して圧倒的に精鋭でなくてはならんということだ。 五、撃ち方止めと戦後処理におけるヴィジョンの欠落 司会 ではつぎに、戦争の止め方について。早すぎた、ということがあとで言われたりもしましたが……。 板垣 二十四時間早すぎたかな、という思いが私にもないではありません。フセイン政権を存続させてしまった。クルド難民二百万人、世紀の悲劇が発生した。どれもこれも早くやめすぎた結果なのだと考え出しますとね。しかし、後になっていうのはやさしいんで、戦争の終結くらい難しいことはない。敗者にとってはもちろん、勝者にとっても。 戦争終結がたった一週間遅れただけで、その後の歴史がすっかり変わった例の一つが太平洋戦争です。
ともあれ、ソ連参戦が三八度線での南北分断を生み、戦後の朝鮮半島を極東の火薬庫にしてしまった。シベリア抑留だって 日本人孤児問題だって北方領土問題だって、その本はソ連参戦からきている。 ところで湾岸戦争ですが、侵略軍を占領地から排除するのが目的の戦争だったのですから、それプラスアルファ、侵略者をかなり痛い目にあわせたところで追撃を止めた。正しかったのではないですか。勝者は往々にして当初の戦争目的を超えて深追いしがちなものですが、ブッシュはそれをやらなかった。見事な鉾の収め方ですよ。 大隈 ちょっと待った。侵略軍を不法占領地から排除するだけだったら、敵を追ってイラクに攻め入るのではなく、クウェート、イラクの国境で進撃を止めなくてはならん。クウェートにいるイラク軍を追い出すための包囲作戦としてイラク領を進撃するのは一種の作戦として許容されようが、クウェートの奪回ができたあとの進撃、すなわち懲罰の意味でどれくらいイラクを叩くべきかの判断は、作戦用兵上から出てくる性質のものではない。 本来なら武力行使容認を決定した国連安保理が判断すべき事項だよ。湾岸の場合は初めてのケースだから仕方がないが、これから先、鉾を収めるタイミングは、誰が決めるのか、よくつめてはっきりさせておかなくてはならない。追撃中だって刻々人命が失われていくわけだしね。 司会 では「戦後処理」に移りましょうか。戦争というのは、どうしても撃ち合いの華々しさが大映しに報道され勝ちで、撃ち方止めのあとはぐっと扱いが小さくなる。本当は、停戦から講和までの時期は、後々の歴史に大きい影を落とすという意味で、戦争行動に負けず劣らず大切な時期のはずなのにですね。
大隈 停戦協定の中身は一度事務的に報ぜられただけだし、その後の協定の実施状況も、イラクが核研究施設の査察を拒んだときにニュースになっただけで、ろくに報道されていない。
板垣 でもあんなに世界に大変動、大事件が矢つぎ早に起こったんですから、アメリカも大変ですよ。
太平洋戦争での停戦協定は戦艦ミズーリー艦上で行われました。それからサンフランシスコでの講和条約まで日本は占領されてしまう。寛大だったと思っているアメリカの占領政策ですが、かなり無茶なことをしていますよ。 第一、占領軍がひとつの独立国家に憲法草案を押しつけるなんてひどいと思いませんか。日本の脅威をなくするという目的は、平和条約での、たとえば十年間再軍備を認めないというような規定で達することができるじゃありませんか。 事後法で敗者だけを裁くというのも、インドのパル判事が指摘しているように、普遍的な法のルールに反しています。何十年もの左側通行を、占領軍の都合で変えている。こんな例まであげ始めたら切りがありませんよ。
大隈 過去との比較はそれでいいが、私がいま気にしているのは将来展望の問題。せっかく侵略に対する武力制裁を断行しておきながら、あと始末の段になって世界新秩序へのグランドデザインがその片鱗も見えないことだ。 侵略行為を鎮定した後には、侵略国に対する処理を決定するという大仕事がある。それなのにその適正な基準を模索し、先々のために貴重な参考例を残そうという意欲がさっぱり伝わって来ない。本当なら、世界新秩序のことなんだから、世界中が、誰からいわれなくても深い関心を寄せ続けていなくてはならないことなんだが、世界にその自覚がない。それなら、せめてアメリカが、一極集中とまでいわれる状況の中で、もっとリーダーシップを発揮してよくはないのか。
……commit ourselves to making the UN stronger in order to protect human rights,……to deter aggression…… 何だこれは。たった、これっきり? しかも凡庸な。これがあの湾岸戦争の直後サミットの問題意識なのか。どこへ行った世界新秩序は。そんな数々の思いがいまでもまざまざと心に残っている。 板垣 大隈さんの失望はよく分かります。ただ、強いてアメリカのために、推測まじりで弁解を試みるなら、戦争の最終段階で多国籍軍側は二つ重要なことをしています。 追撃戦で、深追いこそしなかったがイラク軍精鋭部隊のかなりの部分に、潰滅的打撃を与えた。そしてこのことによって、(1)侵略の再発防止(2)イラクヘの懲罰、という目的を半ば達成していると思うのです。 限度をわきまえつつも、追撃戦でイラク軍をこっぴどく叩いた効果は認めなくてはなりません。そこではちゃんとリーダーシップを発揮していると評価していいのではありませんか。そして対日占領のようなやり過ぎがない点も。 大隈 その点は認める。それにしてもアメリカもさることながら、なんとも情けないのが日本の言論界だ。今日の主題からは外れるが、私の憤懣をブチまけさせてほしい。 あんなにしつこく武力行使弾劾を繰り返していたのだから、それなら経済制裁だけでイラクをクウェートから撤退させることができたはずだという主張と論証をずっと続けなくてはならない。 いままで経済制裁で相手国が参ったという例は一つもない。湾岸でも経済制裁がイラクの時間稼ぎに逆用され、その間にイラクは戦備を強化してしまったという見方さえある。武力行使がいけないなら、今までの経済制裁に大改革を加えて徹底的に強力なものに仕立て直す。あるいは侵略国の意図を挫く第三の方法を編み出す。そういったことの案出にもっと知恵を絞らなくちゃいかんよ。本当に平和の道を模索しているのなら、反対ばかりしていないで案を出さなくっちゃあ。それだけの知的作業をやりとげなくちゃあ。 詳しくは立ち入らないが、賠償だって侵略国に対する懲罰なんだから、そのあり方について、世界新秩序の観点から、どんどん議論が湧きおこらなくてはならないはずだ。それがどうだ。平和、平和と口ばかりで、平和のメカニズム構築には全然知的貢献ができていない。知的貢献のための知的体力をつける努力さえしていない。 板垣 世界新秩序には壮大なデザインがいりますね。おっしゃるように予想以上の分野で、予定を遥かに超える知的作業が要る。 そこで、ですね。日本でももちろん出てないし、アメリカからも聞こえて来ない重要テーマが一つあると思うので、今日の機会に言わせてもらいます。そもそも紛争が暴力沙汰になるのは、借りた金を返さない側と、返せと迫る側との例でも分かるように、実体上は拳を振り上げる方に理があることが少なくありません。だからといって武力行動を容認はできないけれど、じゃあほかに方法があるかといえばない。相手が言を左右にして返さない限りラチは明かないわけです。 こう考えてくると、これから先、主として第三世界、開発途上国同士の武力衝突の多発が予想されているのですが、ただ武力に訴えてはいかんの一点張りでは、釈然としませんね。平和は守られても正義は実現できないではありませんか。安保理だとか、国連軍だとか多国籍軍だというのは、平和維持が先決だという事情から、どうしても先に取り上げられるのだけれども、その次にまっさきに考えなくてはならないのは、正義実現の方法、平たくいえば裁判の機能ではないですか。 イラクが軍事行動を起こしたのは悪い。そしてそれに対する世界の対応は、いま見てきたように問題だらけではあったが、それでも大きくみてまずまずの成果だった。 しかしそのこととは別に、イラクとクウェートの間に紛争と呼べるものがあったのかどうか。あったとすればその紛争の扱いはどうなったのか。このことが問われていないのは大変な片手落ちです。十に二つでもイラク側に、正当な言い分があるとした場合、それをどこか、適切に扱ってくれるところが本当は必要なのです。 安保理はこういう裁きごとを扱うには不適当だと思います。下手をすると人民裁判みたいになりかねない。
そうすれば、よく出てきたアラブの大義ということも解明されそうです。またこういう裁判では平和の問題と違って、一律な世界法より、地域々々の慣習法が重視されなくてはならない場合が出てくるでしょう。 また裁判では、平和維持の場合のように、軍事面で大きい役割を果す国にリーダーシップが望まれる(あるいは容認される)ということもありません。 世界のどんな国からでもいい、優れた裁判官が選ばれてくることが何より大切なんですから、常任理事国だからといって特権を振り廻すようなことは大幅に抑止されるでしょう。 国際司法裁判所がいますぐ充分に機能するかどうかは疑問ですが、とにかく試運転をやるごとに論議は現実味を帯びてきますよ。世界の平和秩序の構築にはアメリカのリーダーシップが不可欠ですが、いま私のいったような分野でその必要はないと考えていい……。 司会 どうもお二人、ありがとうございました。日本の国会でも、この種の質問が出て活発な論議が展開されるようだといいのになぁ、と思いますね。 たぐっていけば、いもづる式にもっともっとたくさんの、重要な問題点が浮び上ってくるんでしようが。さて、いままでのところ、アメリカへの評価を要約させてもらいますと、世界新秩序に対する構想力がいささか不十分、ということになりますか。 岡目八目で適切な助言ができていいはずの日本が、これはまた、お粗末極まる。この点も大切な指摘だと思います。岡目八目だけじゃない、敗戦国への扱いについて敗戦国だった日本は、戦勝国に欠落している視点を持ち合わせているはずでもありますすものね。 六、国柄の視点で把えたアメリカの資質 司会 イラクのクウェート侵入から、敗走、撃ち方止めまで、ずっとアメリカの行動を見てきたわけですが、湾岸で展開された世界規模の活動に臨んで、リーダーの貫禄はどうだったでしょうか。全体を通視しての感想、評価は? 板垣 人命尊重でうるさいアメリカ国民のことを考えると、「人質救出はどうした」という声に押されて、フセインヘの宥和政策に出るかもしれないという予感がしないでもなかった。現に日本や英・独・仏の腰をゆさぶる上では人質作戦が、かなりよく効いていたんですから。 ところが、そういう中でさすがはアメリカ、侵略者に対して宥和的態度を一切とらなかった。 一九三〇年代、ミュンヘン会議で、時のイギリス首相チェンバレンがヒットラーに対する、アピーズメント(宥和政策)でヨーロッパの平和を確保しようとした。一時成功したかに見えたが、実はヒットラーを逆にのさばらせる結果に終わってしまった。第二次大戦前夜物語のハイライトですね。 ところがブッシュはチェンバレンの轍を踏まなかった。アメリカ国民もよく耐えましたね。かえって人質を楯にとるフセインに憤激し、アメリカ人(だけ)の救出を何とかせよ、と政府に迫ることがついになかった。 当時の日本の政治家たちの動きや、世論の動向を覚えておられるでしょう。外観をどうつくろってみても、中身は日本人のことで頭が一杯、世界の平和をまず念頭においた行動とはとてもいえないものだったと思います。 それと対比したとき、アメリカの視点は数段高いところに据えられていた。世界のリーダー、私はアメリカ国民への賛辞を惜しみませんでした。王者の風をさえ感じましたね。付けたりですが、人質で揺さぶりをかける戦術がまったくアメリカには通じないとフセインは判断してか、全人質を釈放してしまった。世論の忍耐力の勝利を、このときほど見せつけられたことはありません。 一見、日本とどっちこっちないように見えて、アメリカの民主主義には筋金が通っているんでしょうかね。アメリカ人気質といっていいのでしょうが、こういう世論に支えられてアメリカ政府は、侵略者に対する態度を最初から最後まで微動だにさせなかった。 大隈 確かにそういうことはいえるな。アメリカの恐ろしいところでもある。アメリカ人は享楽主義的にも見え、一人の命のことで大騒ぎもするが、まがいもなく命より大切なものを持っているよ。そこへさわったら大変なんだ。
板垣 意見が合い過ぎて討論はどこへやら、なんですが、私の強調したいところもそこなのです。 考えてみると、五十万人将兵の母たちが、防人(さきもり)の任に就いて子が戦地に赴くことを了承していたんですね。ほんのすこしばかりわめく母親もいたようですけど。これはすごいことですよ。人質問題についての意識でも差をつけられましたが、戦場に子を送るくだりになると、いまの日本人との差は途方もなく拡大し、まるでべつの生き物ででもあるかのようだ。石油が必要だからなどということで、子の命が危険にさらされるのを容認する母親は、いま時いませんよ。アメリカの民衆がブッシュについてきたのは、石油のことではない。石油のことも多少はあったかもしれないが、それよりもずっと大きい比重で、世界に対する使命感があったのだと思う。それを私は信じて疑いませんね。大隈さん、これ間違っているでしょうかね。 大隈 こんどの湾岸戦争では、たしかに君のいうとおりだと思う。ただここで注意しなくてはならないのは、いいときはいいのだが、(最近ではパナマヘの侵攻のように)ときどきおかしなことに血道を上げることもあるからね。いつも湾岸戦争みたいに行ってくれればいいのだが。 司会 じゃあここいらで湾岸にこだわらず、アメリカの国柄について談じていただいてしめくくりにしましょうか。 板垣 湾岸戦争のくだりで、私は、アメリカを評するのに「王者の風」という言葉を使いましたよね。多少褒めすぎと思いますが、アメリカはイギリスやフランスとは、ひと味もふた味も違う国だと思います。全世界を視野に収めたうえで、自らを自由の砦だと信じ込んでいるフシがある。だって、(世界の)自由のためにといえば血を流すんですから。もちろん、アメリカ自身の自由とゴッチャになっていますよ。というより、重なっているといったほうがいいのかなあ。世界の自由のためにアメリカは健在でなくてはならない、ということでもある。 使命感に支えられた国益思想、この一点でアメリカは世界でダントツといえますよ。 大隈 ところがだよ、天は二物を与えずとでもいうのかな、アメリカはどこでもルールの押しつけをやる。ひとの国を自分たちと同じルールの国にしないと気がすまないのだ。勝ってばかりいる国にあり勝ちなこと、価値の多元論が分かっちゃいない。人権外交も、もっと控え目にならなくては。自分の国だって、罪もないインディアンを平気で撃ち殺していた時代がある。モノには発展段階というものがあり、同じことをするのにも流儀のちがいがある。 一人ひとりの人権を守る余裕がない、社会の安全を守る方が先決だ、という発展段階の国だって少なくないんだ。 片や、社会制度が整ってきて、殺人犯であることが九分九厘分かっていても、念には念を入れ、裁判官をはじめいろんな部署のマンパワーを投入し(国費も使って)あとの一%の確認をやる。そんな余力がアメリカや西側先進国には生まれている。 そういう発展段階の差をアメリカの人権外交は、しばしば無視するんだ。民主主義についても、アメリカはもっと複眼思考にならないと、善意がハタ迷惑になるね。 板垣 アメリカには、助言をして直させたらいいことがたくさんありますよ。
自由への信条が本物なのです。日本人をまた引き合いに出しますが、自由のためでも、死んではいけない。日本人は、みんながみんなといってもいいほど、そう思っていますよ。それに比べて自由というcardinal virtue―大義を持っているアメリカは、本当にすばらしい国だと思う。 大隈 君、それはオーバーではないか。そんなのはアメリカ人の中でもごく一部だよ。 板垣 大隈さんらしくもないことをおっしゃいますね。国民の七割、八割が理想主義者などという国がどこにありますか。国がしっかりしているということは、国のどこかにすぐれたリーダーシップが存在していて、それがたとえば、豆腐を固める苦汁(にがり)のような役目をしているからなので、アメリカ民主主義には、にがりが効いているわけではないのですか。ステーツマンシップの格調が見え隠れしています。 大隈 君のいうことを否定まではしないが、まだムラがあるよ。無理もないことだとは思う。世界の人種をマゼコゼにしたような多民族国家だし、国の舵取りはたいへんだと思う。しかし、もうすこし成熟しないと、とても王者とはいえないよ。 板垣 そういうことは、第二次大戦後もずっといわれてきたことなのですがそれでもその間、自由主義陣営はアメリカを旗頭に立てて、冷戦に圧勝するところまでこぎつけました。数々の失敗もやらかしながら、アメリカも、西側リーダーの任に耐えてきたのです。世界の平和秩序構築のためのこれからのリーダーとしての資質は、一部実証ずみだといえると思います。 大隈 冷戦時代というのは、いつ第三次大戦が起こるか予測できないという準戦時体制なんだ。そういうときだから、アメリカも心が引き締まっていたし、陣営の国々も、時には我慢もしてアメリカを盛り立てたものだ。ところが、これからは怪しいよ。 司会 そういう、何から何までが変わるなかでは、よけいにリーダーシップの重要さが増すわけなのでしょうが、アメリカに望むところは……。 板垣 湾岸戦争勝利の興奮とどよめきが去ったあと、その反動がこないことを祈りますね。なにかの弾みで、新モンロー主義が台頭して、世界のことにソッポをむくようになつたら、代われる国はありませんから。国民の使命感が、ときに消長はあっても、大きく退潮しないで欲しいものです。 大隈 それといっしょに望むのは無理だという感じもするが、横暴にならないでほしい。中米の国によく出兵するが、あれは慎んでもらわないと困る。アメリカにいわせれば、麻薬だとか、軍事独裁だとか、それなりに大義名分はあるのだろうが、世界で、しかも一番大切な平和秩序をリードする国が、同時に米州で地域覇権をふりまわすのはよくない。なによりもそれが、アメリカのイメージを傷つけるからだ。世界各国からの信望を失う心配があるからだ。となりに独裁国ができたからといって、アメリカの沽券にかかわる、などと考えなくていい。麻薬はやはり国境で、国内で、その撲滅方法を編み出すのが、正しい路線だよ。 国際的に対処するなら、司法共助、警察の相互援助のネットワークを考えるのが正解だと思うよ。繰り返していうが、イメージは、リーダーにとっては不可欠の資格条件だもの。 板垣 アメリカも苦しいですね。捕らえることのできる犯人を、みすみす逃がすようなもの。それをじっとこらえなくてはならないというのですから。そういえばもっと厳しい、自己犠牲に近いことを要望しておかなくてはなりません。 国連軍の司令官をアメリカに、というのは当然といっていいと思いますし、それがリーダーたることを形に表したものでありましょうが、その代わり、作戦・用兵にあたって断固としてフェアでなくてはならない。兵力を出しているほかの国から、自分のところの部隊をいつも危険度の高いところへ配置する、といった苦情が出ないことが、非常に大切だと思います。いくら客観的に公平であっても、そんな苦情は出やすいもの、司令官の人選も骨が折れますね。そのほかにも、自国軍だけでない状況の下で全体の軍紀を維持することのむずかしさは、想像に絶するものがあります。 兵力が多いだけでなく、兵隊が強いことだけでなく、こんな面でもアメリカ人部隊は率先して範を示さなくてはならない。幸いにして、独立戦争のときから混成部隊で戦い、国そのものが人種のルツボであり、冷戦時代にも、いつも同盟国の絆を大切にしながらリーダー格をつとめてきていますから、どの国がリーダーになる場合よりも、アメリカがなるのが、適任であることは間違いないと思いますが。 大隈 いちいちもっともだ。ところで、アメリカは経済でもうすこし頑張ってくれないかなあ。経済だけでなく、社会・教育などでも、問題だらけ。共産主義破れたり。それは事実だが、資本主義の方も、勝った、勝ったなんていってはおれないよ。第三次大戦勃発の恐怖が、濃淡の差はあつても世界を覆っていた時代とくらべると、アメリカ人だって気は弛むだろうから、よけいにそこらあたりのことが心配になる。 ああ、それにしても日本がしっかりしていたらなあ。日米両国のグローバル・パートナーシップがモノをいうだろうに。 板垣 そこなのですね。われわれにとっていま問題なのは。 司会 どうやらお二人の見解の違いは、角度にして三〇度かそこらの開きにすぎないみたいです。いずれにしても日本ではこれから、もっと突っ込んだアメリカ論議が盛んにならなくてはなりませんね。「日米関係は日本外交の基軸」。この言葉を呪文のように唱えているだけでは危ない。本日のご健闘、ありがとうございました。
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