「魁け討論 春夏秋冬」
 

世界新秩序1―国連軍いまこそ創るべし―

  序文にかえて

 去年の暮、
  いたたまれぬ国会論議の矮小化
  今こそ大討論展開のとき
  焦点は「国連軍創設の是非を問う」に
という表紙の小冊子をお届けしました。

 しかし「国連軍創設、是か非か」で討論をして頂くにも、何か手がかりになる参考例がないと手がつけにくい。
 この小冊子(第二弾)はその参考例になればと思って試作してみたものです。内容は一九九〇年秋、東京での伴正一勉強会で何回にもわたって行った実際の討論の記録を要約したものですが、読みやすくするために形式は1対1の論戦という形にしました。いまから一年前に、ここに要約されているような大論戦が十数人の間で何回にもわたって展開されていた訳で、顧みて感慨一入でもあります。

 ちなみに
  イラクのクウェート侵入は           八月二日
  イラクのクウェート併合宣言は       八月九日
  国連決議第六七〇号(経済制裁強化)九月二十六日
  一九九一年一月一五日を解禁日と定めての武力行使容認決議十一月二十九日
です。

 そしてこの討論の行われた時期が十月から十一月にかけてのことですから、内容もその時点、即ち一九九〇年秋のものになっています。読まれる際、現在との時差の点にご留意下さい。なお討論には板垣、大隈という仮名の人物を登場させました。日本初の政党を率いた板垣退助、大隈重信にあやかったものです。将来再び日本に二大政党時代が到来したとき、せめてこの小冊子ぐらいの格調の政策論争をして欲しいという願いをこめながら……。

   平成三年一〇月   アイハウス・グループ


        目    次
 一、湾岸戦争をどう把えるか………………………………
 二、イラクに突きつけるもの………………………………
 三、国連軍、いまこそ創るべし……………………………
 四、そもそも国連とは……………………………………… 
 あとがき………………………………………………………


 一、湾岸戦争をどう把えるか

 司会 長かった米ソ冷戦の時代もようやく終わりを告げようとする折りも折、青天の霹靂というか突如イラク軍がクウェートに侵入、一日で全土を占領してしまいました。しかも数日後には、クウェートを併合してイラクの一州とする旨宣言してしまいました。

 矢継ぎ早に国連決議が出される。アメリカがサウジに出兵する。という風に慌ただしい動きがあり、いわゆる湾岸危機という大事変になってしまった訳です。
 さあ、このことを世界として、どう受け止め、どう対処すべきだと思われますか。板垣さんからどうぞ。

 板垣 クウェートを力で併合するというムチャクチャなことをしてしまったのですから、この際イラクに対してきちんとした処置を取らないでおくと、これから先、小国はいつ何時(なんどき)強い国に攻め取られるか分からなくなる。それじゃ物騒でオチオチ眠れませんよ。

 大隈 今のところ国連決議でイラクに対する経済制裁が行われている。かなりの成果も出ている。一応の歯止めはできているよ。

 板垣 いや、現時点でまだ二島をよこせと言うような理不尽なことを言っています。加害者であるという罪の意識はまったくありません。経済制裁のような生ぬるいことじゃダメですよ。断固とした、懲罰を伴う処置を取らなくては。

 大隈 その前に原点に戻って考えてみようじゃないか。現在の国境線からして問題だよ。以前占領者だった英国の意志で勝手に決められている。とてもじゃないがあるべき国境線なんてものじゃあない。現在の世界秩序ってのは白人社会というか先進諸国にとって都合いいように作られた秩序だということだ。今の国境線を変えてはいけないなんて理由はないよ。

 板垣 交渉の席上でそれを主張するなら通らない話ではないでしょうが、力ずくとなったら話は別、絶対に許す訳には行きませんよ。

 大隈 交渉といっても、クウェートは、それ自身が独立国として成り立つのかどうか疑問なのだ。かつての占領国イギリスが自国の国益のために独立させた国だ。背後に欧米がいる。そんなクウェートとじゃ話し合いといっても気休めでしかない。

 板垣 だからといってフセインのやったことを認めるのですか。国境問題を論じ始めたら歴史をどこまで逆のぼればいいか、訳が分からなくなっちゃいますよ。今さらアラビア半島の主はイエメンだ、トルコだ、サウジも認め難いなんて議論をしてみても始まらない。少なくともクウェートは一九六三年に独立し、その後国連にも加盟し、アラブ連盟の一員ともなったという歴史的事実が追加的に積み重ねられているのですから、そこから論じ始めるのが常識的ではないですか。

 大隈 武力による併合を支持する訳じゃないが、過去の歴史を見ると強国による武力併合は世界の各地で行われている。これまでのことは不問に付して、今回イラクのやったことは許し難いというのは、大国の身勝手というものだ。

 板垣 それは違いますよ。世界がやっとの思いで弱肉強食の世界から足を洗って平和に向かい始めた時も時、フセインが武力行動に出たということが問題なのですよ。今の世界秩序が強者のエゴによって作り出されているという指摘はここでは争わないことにしますが、そういう前提であってもその是正に武力を発動したのでは、世界を弱肉強食の時代に後戻りさせてしまいます。第二次世界大戦後いま初めて国連による秩序づくりが可能性を強めてきた。これから国連中心に世界を秩序立てる。いまがその潮時じゃありませんか。

  大隈 世界秩序といったって、そうすることが都合のよい人間にとっての秩序なのであって、そうでない人間にとっては有りがたくない秩序だよ。
 イラクのクウェート侵攻に国連は直ちに経済制裁の決議をしたが、ソ連のアフガニスタン侵攻の時は何もできなかった。相手が弱ければ武力制裁まで容認するし、強ければ見て見ぬ振りをする。この基本的な国連の脆弱性はこれからも変わらないよ。
 常任理事国たる、たとえばアメリカが武力侵略に出たとしてごらん。拒否権発動で国連軍も何一つできないじゃないか。米ソが冷戦をやめ、世界がガラッと変わったと板垣君は言うが、見方によってはアメリカの横暴を牽制する勢力がなくなったとも言える。そこまで言わなくても安保理の五つの常任理事国の馴れ合いで事が決まる。米ソの歩み寄りをあまり評価し過ぎては欧米の尻馬に乗ることになるよ。
 今はイラク一人悪者になっているが、イスラエルも国連決議を無視してパレスチナの武力占拠を続けているね。でも世界はイスラエルに経済制裁以上のことはしない。ユダヤに弱いアメリカがバツクにいるからだ。

  板垣 その傾向は否定できないですが、だからといって折角機能し始めてきた国連をこんな千載一遇の時期に盛り立てないという法はありませんよ。
 いまイラクの行動を見過ごすとですよ、イラクのしたことには中途半端にしか手を出さない云々という論理で、次の武力行動にも有効な手を打てなくなっちゃって、永遠に武力侵略は放置されることになるじゃないですか。なにしろイラクには五〇万の大軍がいる。しかもイランとの戦争で実戦経験を積んでいるのですから、今度だって米軍が迅速な行動を取らなかったらサウジも危なかったと思いますよ。

  大隈 うーむ。よし、それではイラクの武力行動非難についてのこちらの反論は取り下げよう。しかしこれから先、大国、特に常任理事国がやったらどうするのか、大変な問題が残ることを確認しておくぜ。

  司会 イラク弁護論は取り下げになりました。これから先、常任理事国が、今度のイラクのような行動に出たらどうする、という難しいテーマ、これは後日の討論の課題としましょう。

   二、イラクに突きつけるもの

 では、次へ参ります。イラクに対する具体的な措置。

  板垣 クウェートから追い出すだけでは駄目元になります。そんなことで済ます訳にはいかない。もっときちっとした処置、具体的にいえば、たとえばもう二度と武力侵攻ができないようにイラクを非武装国家にする。そんな措置が必要です。またクウェートに与えた損害については当然賠償させないとけじめがつきません。

  大隈 さぁ、どうだろうか。やり過ぎては元も子も無くしてしまわないか。イラクを武装解除するには、多国籍軍が武力でバクダットを陥し、イラクを降伏させなくてはなるまい。これには市民を含めて多くの犠牲者が出る。石油関連施設にも多大の損害が発生するに違いない。現実論的には、クウェートからの撤退を実現させることが最大の課題で、武装解除とか損害賠償とかは持ち出さない方がいい。

 板垣 撤退だけでは示しがつきませんよ。賠償なり何なり、何らかのペナルティーを課すべきです。そうしないと今度のようなことがまた起きる恐れがある。イラクももうこりごりだと思うし世界もイラクの真似はするまいぞ、となることが是非とも必要です。

  大隈 理屈はそうだろうが、ソ連がアフガニスタンに侵攻した時も撤退しただけで一応収まった事になっている。国際紛争の場合、現実論としてあれが隈界だと思うよ。

 板垣 イラクを押さえ込むのには、バクダツドまで攻め入らなくても、その前の段階で降伏させる方法だって考えられます。

 大隈 そんなにこちらの思うように降伏するイラクではあるまい。しかし最終的には、叩かれて壊減すれば思い知らされることになる。イラクヘの懲罰はそれでよし。これ以上の賠償などはかえって第一次大戦後のドイツみたいにしてしまう恐れありだ。軍事力もゼロにするとかえって問題が残るので、ごく小規模なものは残すべきだと思うね。

 司会 先を急ぐ関係で、イラクに対する懲罰問題では、板垣さんまだいい足りないところがあるでしょうが、この程度にさせて頂きます。

   三、国連軍、いまこそ創るべし

  そこで次のテーマ、国連軍創設の是非、に移りましょう。いまから読み上げることについて賛成論と反対論を展開して下さい。

   「米ソ両陣営のバランス・オブ・パワーが終焉に向かうことによって
   国連の安全保障理事会がまともに機能し始めている。そもそも平和維
   持機構として発足した国連が本来の任務を果たせる時代になった。こ
   の潮時に、国連軍創設に全力をあげるべきである」

 これは国連軍を創設することによって、イラクのようなケースの再発、続発を防ぐ抑止力にしようという立論ですが、そんな簡単なことじゃないぞというのが、大隈さんの意見でしたね。

 大隈 国連軍を作れというのはソ連が提案しているが、果たして米、英、仏、中、の常任理事国、特にアメリカが簡単に同調するかどうか。その機運はあつても、創り上げるところまでは至らないのではないかな。国連軍なるものは人が考えるよりは機能しにくいところがあるのだよ。

 司会 そういう、できそうだとか難しそうだという議論ではなく、選択肢として国連軍を創設するという方向に賛成なのか反対なのかという議論に持っていってくれませんか。

 板垣 今回のイラクのような侵略行為に対し、その意図を打ち砕くための軍事力が、国連の仕組みの中ででき上がることは大いに結構。是非必要と言ってもいいくらいです。

 大隈 国連軍は武力であり、強くなくてはならない。問題はその強さの程度だが、現在の世界体制は国家というものを基本として成り立っている。そのことを考えると、まさかの場合、自分の国に攻めかかって来ないとも限らない、自分の国より強い国連軍ができるのは問題だ。

 これまで国連軍と言われたものが、武力としては大したものじゃなかったことも何かを暗示している。これからも強い武力を持った国連軍などできないと思う。こう考えると何も国連軍にこだわることはない。ケース・バイ・ケース多国籍軍でいいじゃないか。

 板垣 いままでそうだったから、これからもそうだという言い方には納得できませんね。

 大隈 国家が基本単位であるということが変わらない以上、自分の国を裸同然にしてまで、国連軍強化に奉仕する国は出て来ないよ。特にアメリカがアメリカ軍より強い国連軍の存在を容認するはずがない。国連軍は、たとえできたとしても、大した力は持ち得ない。それでは中途半端だと言うことだ。

 司会 それは多国籍軍なら強い兵力になるけれども、国連軍ではそうはならないということですか。

 大隈 その通りです。多国籍軍と言うのは、多国籍軍を構成する国がその都度、自らの国益をもよく考えた上で出兵する。国益のためでもあると考えるから、それだけの兵力は提供する。

 司会 もうひとつ聞きますが、国連軍に反対される一番の理由は、まとも なものができそうにないからですか。

 大隈 さよう。国家が基本単位で動いているという事態が変わらない限り、多国籍軍が精一杯のところで、国連軍の創設に血道をあげても意味がない。やっても無駄な事はやらない方がいいと言う事ですよ。

 板垣 国連の旗の下にというのと、アメリカを中心にした多国籍軍というのでは響きが違います。多国籍軍だと、多国籍とはいうけれど、一皮むけばアメリカ軍じゃないか。アメリカが自国の都合で、はっきりいえばアメリカ一国の国益を守るためにやっていることだ、といわれたとき、そうじゃないという反論を、誰もが一遍で納得するようにすっきり打ち出すことはなかなか難しい。長々とアメリカ論をやらざるを得ない。下手をするとそれをやっているうちに途中で息切れしてしまいそうになる。最近の国会論議がもたついた原因の一つがこれですよ。政府答弁の歯切れの悪さが印象的だったでしょう。

 大隈 一皮むけばアメリカというのは国連軍の場合だって起こる議論だ。日本の国民も国連、国連と有りがたがるのはよした方がいいね。国連といったって一皮むけば、これから先も大国支配のメカニズムであることに変わりはない。金だって動く。国連決議も舞台裏では経済的利益で釣ったり、軍事力で脅かしたり、かなりいい加減なものだよ。

 板垣 人間のつくる社会、組織で完全なものなどあるはずがありません。
 だから比較論をきちんとやって論議を進め、結論を出していかなくてはならない。そういうことでよく比較して見ると、よしんばアメリカの主張が大幅に取り入れられていようと、国連という濾過器を通って出てきたものなら、そうでない生のままのアメリカの主張と較べてずっと受け入れられやすいんじゃありませんか。錦の御旗を戴いて進めば、主力は薩長土肥でも、もはや単なる四藩主力の連合軍ではなくなる。そんなところで、日本の野党だって国連という錦の御旗が表に出てくると国会論議の場でも、多国籍軍の場合のように頭からケチがつけにくくなるのではありませんか。

 大隈 国連に幻想を抱き過ぎではないかな。朝廷には、盛衰はあっても悠久の歴史があった。その点、国連は未知数もいいところ、問題だらけの存在でしかない。いま、日本国民の持っている国連への幻想を前提にして議論を進めることは問題だね。もっと堅実でなくっちゃいかんよ。

 司会 一つの区切りにきた感じですね。多国籍軍でいけ、という場合には、きちんとしたアメリカ論の山越えをしないと話が本論の軌道に乗らない。それと同じように、国連軍の方がいいという場合にも、国連って一体何だという山越えの論議を済まさないと本番の論議にはいって行けない。こういうことがはっきりしてきました。どこまでいけるか、できるだけ余計なことを言わないで、国連論をやってみましょう。

  四、そもそも国連とは

 ではまず大隈さんから……。

 大隈 余計なことを言うのはやめにして、安全保障機構としての国連、それだけに絞って意見をいわせてもらいます。今まで国連が、安全保障のために存在しながら、この面でマイナーな機能しか持ち得なかったのは、常任理事国の拒否権で安保理の機能がマヒしていたからだった。それがこれからどうなるか、そこがとても大事なところなのだが、常任理事国の中の一国にうまく取り入って、肝腎のときには拒否権を発動してもらうようにしておけば、国連の安保機能を自国に対しては発動できないように封じておける。これで国連軍があっても自国に向かってくる心配はなくなるのだから奇妙な話だ。もっとひどいのは、常任理事国自体何をやっても心配ないことだ。自分で拒否権を発動すればいいのだから、国連はなきに等しい。こんな調子だから国連の決定なるものが、ムラだらけのものになることは見え透いている。

 しかもそれが国連の性格そのものに由来するのだから何とも始末が悪い。こんどのイラクの場合のようにこれから先も安保理がまともに動くという保証はまったくない。

 国連軍が動く、というと聞こえはいいが、どう考えても動くべき時に動かなかったり、動かなくてもいいときに動き出してみたりで、これではとても安全保障機構としての体をなさない。

 板垣 そんなにいわれてしまうとメチャクチャみたいですが、通観してみて、こんどのイラクのように、誰が見てもひどいケースだと、どの常任理事国も世界世論の手前、拒否権発動を控える。非難されている国にもかなりの理があるような場合ですと、その国に泣きつかれた常任理事国が拒否権発動に動くことがある。こんな具合だと、ある程度ムラはあっても意外にバランスのとれたものになる公算もありますでしょう。要はムラの出具合でして、そのうちにまぁまぁのところに納まって行くという見通しも、努力次第で立つ。
 
 その上、しばらくの間は多国籍軍もムラをカバーするために発動を認めたらいいのではないでしょうか。すべて現行の国連憲章の下で可能なのですから。

 要は人類史上画期的な事をやろうという話なのですから、むずかしいに決まっているので、それを乗り越えようとするところに夢があるというものじゃないですかね。こうしてむずかしい課題に挑みながら、国連を育てて行くという方向をこの際取るべきですよ。現状から国連をダメと決めつけるだけでは、二十一世紀に向けての努力目標が消えてしまいます。考えてもみて下さい。いまだって弱肉強食の時代と較べると世界は前に進んでいるじゃありませんか。

 大隈 それにしても常任理事国の横暴や身勝手に対処する、もうすこししっかりした仕組みがないことには前へ進めないね。安保理の決定がこうもいい加減だと、その決定に従って自国の軍隊を戦場へ送り、兵士の血を流させる気にはどの国だってならないよ。試行錯誤をしてみて、段々に改めて行けばいいんだというのは、国民の命がかかっている、こんな大事な問題だけに乱暴だ。ちょっと気が早過ぎるよ。

 板垣 常任理事国横暴のケースは予想しておかねばなりませんね。しかしまさにそういうことだからこそ、常任理事国でない日本などはしっかりしなくてはならない。具体的に、グランドデザインを打ち出していく責務があるというものじゃないでしょうか。そしてそれ故にこそ、いまでも早過ぎはしない、日本国内で充分な時間的余裕を持ち、国連軍論議を尽くすプロセスに入るべきだと思うのです。それだけのことをした結果、国連軍はどうしてもムリというのだったら、その時になって発想を練り直していいではありませんか。ダメだといっていま投げ出したら、そんな論議に入らないですんでしまいます。いずれは論議しなくてはならない課題を先取りし、十分に時間をかけて論点をつめておくという態度が、いまの日本にはなさすぎますよ。

 大隈 板垣君のいわんとするところは分かった。国連軍創設の是非を問う、というテーマを論点として残すことには異存ないよ。しかし国連といっても一皮むけばアメリカ、という時期がかなりの間続くのだろうな。

 板垣 そうだと思いますね。いくらアメリカの相対的地位が落ちたといっても世界一体化の方向にリーダーシップを取れる国はアメリカしかない。

 となれば話は本論からそれますがほかの国もアメリカにタテついてカッコよがるべきでない。多分、アメリカには増長する部分があちこちに出てくるでしょうが、建設的にたしなめて行くということで行きたいものです。アメリカの相対的地位の低下と反比例して相対的地位が上がってきた日本は、そういうところでほかの国々に模範を示すべきなので、それにはどうしても世界運営上の見識が必要です。世界のホープになれる日本、足りないのはこの見識、ほかの力は大体そろって来ているじゃありませんか。

  あとがき

―アイハウス・グループとは―

 平成二年二月、それは伴正一が出馬した、三度目でしかも最後の国政選挙の時でした。その選挙事務所(高知市本町)をアイハウスと呼びました。これはサンフランシスコの対岸にあったカリフォルニア大学バークレーキャンパスの宿舎名からとったものです。正式にはインターナショナル・ハウス。

いまから思えばアメリカの力が世界を圧していたころ、世界中の留学生がアメリカ人学生と一緒に勉学中のすみかとしていたところです。一九五三年の春から夏にかけて、まだ外交官の卵だった伴が最初の外国生活を送った思い出の館(やかた)でもあります。

 選挙事務所にこんなニックネームをつけたのは、国際化時代を意識してというほどのことではありません。何となくゴロがいいから……それだけのことだったのです。

 やがて誰いうとなく伴に共鳴して選挙を戦った若者達の間で、自分達のアイデンティティーを示すときアイハウス・グループというようになりました。

その若者達は、彼等の理想とする言葉(注)を染めぬいた真白のトレーナーを着、在来型の選挙から足を洗った在るべき姿の選挙を実践の中で模索して行きました。

 平成二年の総選挙を最後に、伴自らはそれから政治思想運動に専念する決意をするのですが、その運動の母体にはアイハウス・グループという愛称がやはりうってつけです。というのは、いまもアイハウス・グループの中に漠然とした形で存在しているのが、 「あの選挙でともった灯を消さずに行こう」という願いだからです。
 グループに残った火種がいっどんな形で燃えさかるようになるのか、いまそれを予測することはできません。しかし、机の上でではなく、選挙の修羅場でともったこの火は、日本のこれからの歴史の中で、思いも寄らぬ意味を持つことになるかも知れません。

 いまグループは、高知市西町の伴の家に集って勉強会をしたり、年に何回か市内で講演会を企画したりしています。そしてこの小冊子も、その、まだささやかな営みの一つです。

 (注)                           
  Be Human
  Seek Integrity & Statesmanship
    (訳文)
  人たるの自覚と情味に生きよう。
  揺がぬ自己を確立し、
  思いを世の幸せに馳せよう。
 

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