伴正一勉強会記録
 

第9回別冊 世界に貢献する(「国際看護」所載)

今までの発展途上国援助とこれからの展望(昭和63年「国際看護」1月10目号所載)

  一、はじめに

 国が国を侵しこそすれ援けるなどという発想は戦前にはなかった。援軍を送るという軍事行動が同盟条約の約束に基づいて発動されることはあっても、それは今でいう援助とは全く異質のものである。

 戦後の援助も初めは軍事要因の濃厚なものであった。戦後、米国の欧州援助計画、有名なマーシャル・プランと呼ばれるものも、東欧に始まって全欧州がソ運に席捲されそうな情勢がなかったら、遂に日の目を見ることがなかったであろう。貧困は共産主義の温床という言葉が耳に残っている。日本が米国の援助を受けていた最中のことだった。

 そういった援助は、欧州や日本のような、今でいう先進国では文句なしにうまくいった。

 ところが、共産主義の温床をなくするための援助が継続され、今でいう開発途上国向けに拡大されてからは、爾来こんにちに至るまで状況は問題だらけの連続である。

 何故なのか。それに答えようとするのが本稿の目的の一つである。

 二、見方、とらえ方の誤り

 援助問題の中で大きく狂っていることは、援助がうまくいってないことをさも異常なことと見、そこを起点にいろいろな論議が出発していることである。

 マーシャル・プランや対日援助がうまくいったのは、援助を貰った国のうちどれをとってみても、戦争というものさえなかったら隆々としていた筈の国だったからである。どんなに国土が荒廃していても人材は残っており、行政やマネジメント、それを支える人間の心(Attitude)は援助供与国である米国と大差のないものだったからである。

 ところが、拡大された援助対象国の場合、事情は全く異なっていた。右のような援助国と被援助国の同質性がほとんどなく、それこそ戦争というはずみがなかったら政治的独立も覚束ない国々が主だったのである。別の言い方をするなら、そういう国には何か大きく欠けるものがあった。脆弱なところがあった。正にその脆弱部分を衝かれて彼らは植民地主義の餌食となったのではなかったか。そしてかつて、自らをそういう運命に陥れた同じ脆弱体質のゆえに、いま援助もうまくいかないのではないか。人間の体でいったら抵抗力が弱いのであろう。それとも栄養に対する吸収力に問題があるかも知れない。

そういう体質が十分に改まっていない国々への援助が、マーシャル・プランや対日援助並みにすんなり成果を挙げる筈はないのに、同等の成果の挙がるのを当然視し、その当然のことがさっぱり出てこないことにいら立っているのが、今までの援助論評にも顕著な、原点での錯覚なのではあるまいか。

 原点でボタンのかけ違いをしていると、あとのすべての部分に狂いが出てくる。生徒の答案を見るに当たって合格、不合格の採点基準を取り違えたら、かなりの優秀答案でも不合格の烙印が押されよう。三年生用の試験問題を誤って一年生の試験場で配ったら総員落第の憂き目を見るに決まっている。

 技術の移転という物のいい方は、思いがけない錯覚を起こさせやすい。また日本が明治元年から百二十年かかってやってきたことを今の開発途上国に二十年、三十年で達成させようなどという目標設定をする向きもあったが、これほど物の本質を見誤った話はない。日本の明治元年までくればもう援助は要らない。援助は、一つの国を明治元年の日本の状況にまで持ってくるためにあるのであって、それから先はグラント・エレメント、ゼロ、完全な商業べースの上で国勢は伸びてゆく。

 三、 援助する側の姿勢に問題あり

 国が国を援助するところまできただけでも長足の進歩であって、世界が大きく変ったことへの感慨は一入(ひとしお)である。診断が間違っていたために投薬もその他の措置も適切を欠いた、というようなことは、何事によらず事始めに起こりがちなこと、そんなことでひるむ必要は全くない。

 だが日本の場合を例にとって先進国側の心理に視点を当ててみると、そこに由々しい問題のあることに気づく。

 というのは手法の開発に弛みが出てきていないかということである。比喩的に言うと四十八手まで編み出す可能性があるのに五つ六つできたところで小成に安んじてしまう危険があるのである。創業時代はまだ続いているのにパイオニア精神が消えるというわけだ。

 先ほど来、述べてきたように、今の援助は、実はとてつもない難しい仕事に手を染めているのであって、道は当初考えていたより遥かに遠く、遥かに険しい。実践の一つ一つを踏まえた、夥しい量の知的作業をやってのけなくてはならない時に、あたかも軌道に乗ったかのような錯覚に陥っては大変なのである。

 だがそれにも増して大きい問題、というより課題ととらえるべきことがある。それは戦後に始まった援助の理念が、わが国の場合、いかにも対症的であり積極的な哲学に欠けていたということである。コロンボ・プランに加わって三十年、他から言われるのではなく、日本自らの内的衝動から援助の意欲が盛り上がったということが一度だってあったであろうか。

 いつも、これくらいで勘弁して貰おうとか、応分の寄与とかいうのが尺度であって、世界を生かす中で日本の生きる道を求めていく、仏教の大我に匹敵するような次元のことはろくに論じられたことがない。援助のバイブルといわれるピアソン報告の義務意識さえ、われわれは読み流しただけではなかった。

 世界に貢献する日本という言葉は意外に早く定着した感があるが、それを一億二千万人のロマンに結びつけ二十一世紀の国是にまで高めようとする知的労作はまだ現われていない。ここで、物を得て心を失いかけているわれわれに大きな転機をもたらそう、というような呼びかけを耳にすることもない。

 空漠たる「国際化」の語韻にこだまして「世界に貢献」という言葉が耳に入りやすかっただけのことなのかも知れない。その証拠に、世界に貢献という唱え文句にピタッと添った具体策や各論が一向に出てこないし、まともにやろうとしたら大増税になりそうだということなど、国民一人一人は考えてもいないであろう。ひょっとしたら、そのことに気づいた途端に「世界に貢献する」は禁句にならないとも限らないのが今の平均的日本人の心情なのであるまいか。

 四、 一社一善の勧め(民活の展開)

 まず企業や団体の態度だが、世界に貢献する日本というときの日本を国と決めてかかっているフシがある。ODAを言い過ぎるからそうなるのでもあろうが、ODODAはODA、企業は企業で貢献活動に乗り出したらいいではないか。法技術的には、民法による財団法人を堂々と社名を冠して役立すればいい。A国で商売をさせて貰っているからということでちょっとした橋くらいの施設を寄贈するようなことだって、一社一善、日本中の企業が考え始め実行し始めたら、もちろん税制にも大きくかかわってくるが、その総和は大変な貢献量になる。フォード並みの企業がこれだけの数できたら、フォード財団並みの基金がその数くらい設立されてもおかしくはなく、それらの基金が競って海外向けの妙案を編み出していったら貢献は百花燎乱の様相を呈するだろうし、そうなれば宗教団体も、布教活動と別に機能する一派一善の工夫に乗り出すであろう。今はやり言葉になりかけているNGO(非政府団体)に期待を集中する必要は全くない。

 五、 バカにならない個人の力

 個人でもその資力はバカにならない。古毛布を出す気持で香典の一部を海外に寄附する風潮が生まれたとしたら、大量の浄財がODAならぬ形で動くことになる。自分の貯金で個人ボランティアに出ることだって、はずみがつけば今の協力隊を数でも質でも凌駕する勢いになるだろう。外国人留学生への思いやりに物的な裏付けをすることなども、もっともっと日常茶飯事化していいのだろうと思う。更に踏み込んで考えるなら、日本での郷土づくりにだって、アジアの視線を背中に感じるだけで、やることなすことの意味がすっかり違ってくるに相違ない。過疎村での村おこしが開発途上国にとっていい手本となるような例が出始めたら、若者たちの夢はどんなに膨らんでいくことか。それこそ日本は国を挙げて世界に貢献する姿をこの世に現前する。

 富み栄え、国を挙げて世界に貢献する。そんな日本国をこそ我々は真に愛することができるのではあるまいか。
                              


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