伴正一勉強会記録
 

第9回 戦中派と若人へのアピール

謹賀新年
魁 新春号

 世界に貢献する国!を心の灯に

 世界に貢献する日本、と二一世紀に向けて言葉は大きく膨らんで来ている。国是として案晴らしいしその力を我々はつけた。だが個々に当たってみた限りでは、どうせ国がやるんだろう程度に聞き流しているのが普通で、そのうち増税か、というところまで頭の廻る人など滅多にいない。

 そこで思うのだが、、国是ともなれぱ国任せの垣根を外してグループも個人も馳せ参じたらどうか。企業でも大きいのになると一つの国と見立てていいくらいの力を持っている。一社一善を掛け声に各社が競って工夫をこらすようになったら、さぞかし立派なものが編み出されることだろう。

 個人だって気楽に世界を歩ける境遇にまでなっている。青年海外協力隊やシルパーボランティアの制度もできている。何か世界に役立とうという意欲が出てきたら国内にだって手ごろな世話活動を実践する余地はいくらでもある。富み栄え、国を挙げて世界に貢献する、そんな日本国をこそ、我々は真に愛することができるのではあるまいか。
                                  
 昭和六十三年  辰の年元旦
 〒780高知市西町四六  電話(〇八八八)ニニ-七四〇八
 伴正一                    


 皆さん、明けましておめでとうございます。
今日は九回になりますけれども、去年はいろいろ一緒に勉強させていただいてありがとうございました。
 最初に、お配りしたものが沢山ございますので説明を申し上げますと、

 一つはこの勉強会記録。十一月の分からポケット型のものにいたしました。ということは人様に差し上げて、ポケットにでも入れて頂くと、車の中ででもちょっと出して読んでいただけると思ったからです。

 それから「魁」の九号と十号を差し上げております。今までは毎回一号づつテキスト代りに差し上げておりましたけれども、今回は始めて九号、十号を一緒に差しし上げることにしました。九号は戦中派の皆さんへのアピール、十号は、若い人へのアピール、一緒にして今日のテーマにしたいと思います。

 それと国立大洲青年の家での講演記録ですけれど、忘年会のとき持って来ておりましたので一部の方にはお持ち帰り頂いております。大洲青年の家で「現代社会と青年」という題で講義をしたわけですけれども、割と評判がよかったものですから活字にしてみました。
参考までに後で読んでいただければ幸いです。

 ところで今年の私の年賀状にはいろんなこと、それぞれ違ったことを皆さん一人一人に添え書きしたと思いますけれども、どんなことを添え書きしたか披露させて頂きます。五種類くらいですかな。

 一つは日本国民というものはもっと志を高く持つべきではないかという意味の添え書きです。

日本一億二千万のこの一団がもっと高い志を持った人間集団になったらどんなに素晴らしいだろう。そういう風に脱皮していったらどんなに素晴らしいだろうというようなことです。

 それからお寺さん宛てが多いんですが、世界に貢献する日本という考え方も「一言でいえば大我の世界ですなあ」というのです。ご存じのように大我というのは自分と他の酒井がなくなった境地、もう日本は、世界人類の幸せが自分たちの幸せという風になっていていい段階に来ておるんではないがという問いかけです。

 もう一つは非常に変わった発想ですけれども、第二次世界大戦というのは日本が関わりあった部分だけでもアリューシャンからマダガスカルまで、海と空と陸にまたがるとてつもない規模の戦争で、この間、十二月八日にもお話ししましたように何百万という方が命を落された。そこで私は、これから先、日本が世界の為に大いに貢献しようとしていることを仏教的発想につなげてみる気になった。年賀状への添書きをしている中にそういう気になったんです。

 というのは私がものの本で読んだ記憶ですけれども織田信長が倒れた後、秀吉が京都の大徳寺で信長追善の大法会を営んだのですが、その際、大きな鍋を何十も並べて貧しい人々にお粥を施した。亡くなったみ霊に対して追悼をすると同時に、仏となったみたまの仏心一を体して飢えた人々にお粥を振舞った。この信長供養の行事を思い出しまして、過ぐる大戦で戦死されたりあるいは空襲で亡くなったり、シベリアで無念の死を遂げられた夥(おびただ)しい数のみたまを鎮める方法は、墓参りと慰霊祭だけではないんだなと思うようになり供養という言葉にいやに心が惹かれたんです。

勇一たちの霊眠る地、それだけでアジア全域を越えます。この巨大な空間に住む人々に真に役立つことをする。それが逝きし人々のみたまを安らげることになる………という風にですね。

 確かに今まで、アジアを手始めに多くの開発途上国のため日本は国として援助をして来ました。私も外務省ではこの方面の専門家みたいな時期がありまして、そんなことから直接、青年海外協力隊の指揮をとるようにもなったんですが、日本の途上国援助はやはり西欧的な思想を拠りどころとしてこの三十年やって来ました。

 これからは国だけでなく、それこそ民活になりますが、個々のグループも一人ひとりの個人、も挙げて世界に貢献することが時代の要請になって来ます。それだけの経済力が、国にもグループにも個人にもできて来た。やろうと思えばやれるようになって来てもいる訳です。
 そこでここらあたりで、援助全体の考え方をじっくり見直してみていいのではないか。経済上の超大国になったから超大国相応の貢献をしておかないと世界から後(うしろ)指をさされ、各国から風当りも強くなるというような打算だけでなく、仏教教義に発しているけれども今ではもう日本のこころといってもいいくらいわれわれの血となり肉となっている供養の思想で、特にグループと個人のこれからの行動に動機づけをしてみたらどうかと思うようになったのであります。

 国がやるときの思想的裏付けが仏教思想というのは物議を醸すかも知れませんが、グループや個人、特に個人が、やり甲斐とか心のよりどころをこういう日本古来の思想の中に求めていくのはいいぢゃありませんか。というより素晴らしいぢゃありませんか。そういう百花燎乱の風景、荘厳とさえ言える……。

 こんなことをかなり多くの方々への年賀に短い表現で添え書きしました。

 次が国柄ということです。国柄がどうこういうことは国が弱小であるときこはそんなに言われないんですが、軍事的であれ経済的であれ、大国、超大国ともなるとそれに比例して国柄とか、国の品位とか、風格といったものが大事な要素になってきまして、それに欠けるところがあると国の姿、形が誠に醜いものになる。そしてそれがそのままで定着してしまいますと、好きな国、嫌いな国という場合の嫌いな国になってしまうんです。こういうこともかなりの方への年賀に添え書きしましたね。

 最後にもう一つのタイプ。それはロマン、ロマンというけれどもロマンというのは今あんまり安っぽく言われ過ぎていないかということ。同じロマンという言葉でも土佐人が言った場合には、響きが違って何かスケールの大きいものが潜んでいるように受取られるようになりたいもの。それくらいのプライドを土佐人はこれからも持っていていいのではないかということです。

 皆さんの場合どれが入っていたでしょうか。

 そこで今日の本題に入りますけれども、第九号というのは「私のアピール(その一)戦中派諸兄姉へ」。私の前後の年の方々へのもので、今ここで思い直していただく意味でこれを朗読した方がいいかと思います。読みますと、

   『戦中派の何バーセントかは今もなお憂国の士である。口を開けば日教組が土佐をダメにした。そして昔はああだったと言う。
 私も戦中派だ。半分は共鳴する。だが、

 「しかし」

と最近は反問するようになった。今の若い者はどうだこうだと、要するに「なっとらん」ということを言うが、その親は誰だったの?日教組、日教組というが、日教組を作り上げて来たのは戦前教育で鍛えられた人々ではなかったの?

 戦中派の多くが身を挺して国を守ろうとした、その史実を否定するものではない。現に私の海軍の同期で生き残ったのは七八七人中半分にも満たない三五八人だ。それにも拘わらず、というより、それだからこそ、生き残った戦中派が損得の力学に埋没し飽食の時代を亨受、満喫しながら、口だけで国を憂えていることに、憤懣にも似たものを覚えるのだ。

 戦中派後期に当たる人々は、俗に言う定年退職をしたばかりの年頃だ。昔だったらいくさ(戦)というものを物さしにして役立たないとされた年齢だが、平和時の物さしで判定するなら、役に立つどころではない。体も頭もピンピンしているといった方がいいくらいだ。これから先、持てる力を注ぎ込んでいったら、その多彩な体験から英知も湧き出て来るだろう。それをもって二十一世紀日本社会のあるべき姿を模索したらどうか。

 父親というものはどうあるべきか。ごく身近な例として親子関係を取り上げてみても臨教審任せにしておける事柄ではない。
 東京裁判の鵜呑みでない、さりとて戦争中の聖戦思想に逆戻りするでもない、公正な昭和史を日本の心で書き上げる仕事も残っている。
 土佐のあちこちでシンク・タンクが生まれ出る、その先頭を戦中派で切ろうではないですか。』
             (昭和六十一年四月二日脱稿)

 かなり過激なことを書いてあります。思う通りのことを言わせて頂いております。
 一〇号の方は「空は晴れている」とちょっとポーズをとったような題名になっておりますが若人へのアピールです。読みますと、

『豊葦原の瑞穂の国と自分たちの国を呼んでいた頃から千何百年もが経っている。その時代時代を祖先たちは、それなりに、ひたむきに生きて来たことだろう。しかし、

 日本が世界のために何かできる

という実感を、確たる国力の裏付けをもって持ち得た時代はない。せいぜい、西欧の世界支配の波を瀬戸際で喰い止めたことが、結果的にアジア人の奮起の一つのキッカケをつくったと言えば言えるくらいのものである。

 ところが今や、日本の国力は、それをしようとすればできるところまで伸びてきた。

「世界のために何かができる!」   

という大きな夢が持てる国民になったのである。「アジアのために、日本は健在であらねばならぬ」と国民が発想すれば、国内問題である筈の国づくり、人づくりにも、真新しい世界史的な意義が加わる。

 国としてだけではない。個人で考えてみても、いまの日本の青年は夢を世界に馳せることができる。昭和の初め、若者が夢を馳せ得たのは、せいぜい、満、蒙の天地。南太平洋などは子供たちの空想の果てに霞んでいた。それが今ではどうだろう。

 それから先の、地の果て、潮路の果てまで、若者が雄飛を夢みることができる。
 吹きさらしの世界ではあろうが、試練がなければロマンもない。ロマンティシズムをそう把えたら、今ほど前途の視界が開けた時期は肇国(ちようこく、国のはじまり)以来ない。教育の分野でも、「世界のために何かしよう」と少年の心を弾ませてやることを考えていい、一つの潮時ではあるまいか。

貿易摩擦も、日本の力が伸びて起こる、伸び盛りに特有の試練と見るのが順当で、それをお先真っ暗のように言うのがそもそも間違っている。方向感覚が狂っている。
小さい美に愛着を持ち続けた一つの時代から、大いなるものへも目を向ける新しい時代へ、世界に貢献する日本を設計して行こうではないか。」  (昭和六十一年九月十八日脱稿)
 今日は読むことがえらい多くて恐縮ですけれども、今年の私の年賀状に対して特に東京からは大変な反響がありました。その中から共鳴したとか賛成だとかいうのは省きまして、反対論の中から一つだけ代表作を披露致しましよう。
『民族国家がエゴの団塊なことは、かえってよろしく、要は目ざめたエゴに脱皮することと思われます。個人は自己実現により、国は独自の思想、政治や経済や文化の新様式の完成、及び相手国によるそれらの自由な摂取を通して世界に役立つしかなく、そんな国を私は愛せます。奉仕はシンポリックな説得的飾りとして大切なれど依頼心を起させ、人類の幸福を増す底の力、原因などにはなり得ないないでしょう。
 去年の署中曇に対して封状で長い長い賛同の手紙を貰つた人なんですが、今度はコテンバンにやられました。指摘されていることとは大変重要なことで、それ自体正論なんです。

 ただ私のいう貢献というのはそういう甘っちょろい、モノをやるというそれも入りますけれど、施しだけではないんです。それについては江間さんから貰った本で内外情勢ていうのがありますが、中曽根さんが行くお寺、全生庵の平井玄恭さんというお坊さんが時事通信の社長と対談しておる中で、布施という行為によってモノに対する執着心から解脱(げだつ)するという下りがありまして、その中に、

『カネでもモノでも持つ人によって宝ともなれぱ却って身を滅ぼすことにもなる。それをいかに使うか布施というものはただ貧民救済や社会事業をやれということではありません。自分自身の為に施しをせよというんです。人間は誰でも苦しみや悩みを持っております。その悩みや苦しみはどこから出て来るかと申しますと、物に執着し自分に執着することから起ってまいります。他人に施しをするのは自分の、物に対する執着心を失くする練習をしているようなもので、自分のいらない物を人に差し上げても布施にはなりません。ちょっと土居さんに失礼になるけれど…-…その通り言いますと、身を切るような思いをして自分の大切な物を人に差し上げるのが布施です』
と。要す-いうのは自分の中-物への執着心をやっつける、自分と自分との戦いだという訳です。

 これでヒントを得たんですけれども、先ほど読みましたように世界に貢献するということを所謂慈善事業ととられると私、心外でありまして、やっぱり若者の夢とつなげられるようでなくてはならないと思います。子供たちに勉強しなさいよというときに、学芸(高校)へ通らんぞね。早稲田へ通らんぞねなんていう、そんな視野での励まし方も全く否定するんじゃありませんが、やっばりこれから世界でいいことしようという志を持たせた上で、例えばの話ですがシュバイツアーみたいになりたいならお医者さんの資格も要るんだから、コツコツ勉強もしなくては、ただ志だけじゃダメですよ、と言いきかせるようになりたいものです。今のままでは「世界に貢献する」が少しも教育とっながっておらんと思うんです。

 いつか私、旭の保育園で、ある宗教団体の座談会に出ました。お母さん方、お父さんも少しおられましたが、子供たちの問題について悩みを語るという感じの会合でした。最後に私にも意見を聞かれましたのでこう申し上げたものです。

 「非常に私ガッカリしました。皆さんの言葉の中から子供をどんな人間にしようという親としての夢が一つも見られなかった。ただ、どうしたら非行に走らないだろうかとか、何とか真面目に勉強して競争に負けないでくれとかいう願望ばかりだったのが残念です。」と卒直な感想を述べました。ほんとうは臨教審でもこういう点をもっとつめて議論すべきだったと思います。個性だとか民主的な人間とか文化的な人間とかそんな抽象的ないい方では子供の夢になりません。

 夢というのは例えば二宮金次郎でもいいし、トーマス.エジソンでもいいし、左甚五郎みたいな職人でもいい。やっばりメニューの中に色んなタィプの人間が並んでいて買いたい本を取り出すようにその中から子供に選ばせてやる。その過程では子供の特性をよく見て親や教師が誘導する面があっていいでしよう。文化的で民主的で個性的そんなことでは子供はおろか親だって分りやしませんよ、だから目標が学芸になってみたり早稲田になってみたりするんです。「いい学校」「いい就職」になってしまうんです。

 ここまで日本人に力がついたんだから、かなり大きい夢でも手が届きます。世界に貢献するということを教育の面で一つみっちり考えてもらったらいいんじゃないかと思います。

 それに関連しまして、一月三目の朝日新聞で日本文化論を考えるというのがあっておもしろかったんですが、上山俊平という人の発言部分の中にあった受身に徹っしきるのも個性だという小見出しが目につきました。

 日本民族というのは模倣する民族であるというけれどもそんなこと気にすることない。私も縄文だ弥生だというのよくわからないんですが、この人の説によると、人類が農耕時代に入る以前、狩猟時代のことなんだけれども、その段階で日本列島というのは非常に進んだ国であった。その段階に当る縄文時代には既に大変奥行きのある文化を持っていた。そういう高さがあったからこそ中国の唐の最盛期、ということはとりも直さず世界最高水準の文化を、字もなかった日本がみごとに吸収した。奇跡みたいだが奇跡じゃないんで、吸収力があったからなんだ、という主張をしているんですね。

 日本文化というのは受身的であり母性的であり他のいいものをすぐ気がついて自分のものにする。まことに素晴らしい、それは立派な個性なんだから民族個性としてそれに徹したらいい。とこういう訳です。なるほどそう言われればそうかも知れないんで、こういう進み方も民族の選択肢の中にあっていい。特に、日本だけを立派にしようと思えば非常にいい考えなんですね。

 しかしやっぱり大我の境地でモノを考えるとすると、日本列島はもう物的には進み過ぎているくらいのところに来ている面もある。ここまで来たらこれから先、内を充実させるだけでなくより大きな世界に視線を注ぐ。世界全体がよくなるようにという方向に頭を向けることがないといけないと思います。

 世界への貢献という話が延々と続きますけれど、今のところ中曽根さんが何を考えてるか、竹下さんが何を考えてるか、大平さんが何を考えたか、言葉だけは中曽根さんがちゃんと定着させた。しかし問題はその中味なんで中身となると今あるのは所謂開発途上国に対する援助、その中には経済協力と技術協力があって青年協力隊も入っておりますけれども、それくらいのものではありますまいか。

 そこで私思うんだけれども、さきほどの私への反論でモノをやるばかりだと却って相手の国をスポィルするというのがありましたが、世界に貢献するいう場合カネをあげたり、低利で貸したり技術協力したりするというこういうバターンだけで考えるのは問違いなんですね。後姿を見て貰うというんだって世界に貢献する上では重要な構成分子になるんじゃないか。

 ここでお話ししたことがありますが、日本の明治維新とそれからしばらく日本が歩んできた道というものはァジアを奮起させましたよ。トルコのケマル・パシャが青年トルコ党を率いて立ち上ったのは有名な話、少年ネルーは日露戦争でアジアの国日本が強敵ロシアを破ったことにいたく感動した。そのことをネルーさんは自分で書いています。

 その頃、日本は国運を賭してロシアと戦っただけであって、トルコヘ協力隊を出したりインドに低利融資をした訳では全くないんです。日本の後姿を見て、同じ有色人種が奮起したということであって、こんなことはこれからだって数限りなく起り得るのです。

 さき程読んだ魁一〇号、若人へのアピールに書きましたけれども、アジアの為に日本は健在であらねばならぬ、こういう澎湃たる発想、心を国民一人ひとりが持っていたら、一所懸命ただひたむきに、例えば大川村の村づくりをやる、どこの町づくりをやる、嶺北の何をやる、過疎村を立て直すそういうすべてのことが、アジアの模範になる。奥深い山村の日本男児の閾魂、ひたむきさにアジアの人々が見倣う………。いいことではありませんか。後(うしろ)にアジア人の視線を感じながら今の日本の課題に挑んでいくバターンなんです。物的援助よりもつと重要な意味を持つことになるかも知れませんね。

 それに関連してこういうことがあるんです。

 いまの世界の開発途上国を目本の明治元年になぞらえた上で日本が明治元年から百二十年間にやったことを今なら二十年とか二十年とかでやり遂げよう、やり遂げさせようというモノの見方、考え方があります。しかしこれは決定的な間違いだと私は思う。明治元年の心に国民がなったら、あとは援助の手をさし延べる要なし。もうほっといても自分でどんどん苦労して追いついてくるんで援助は却って有害だというのが私の意見なんです。

 技術的なことを教えはするが、大事なことは、機械というものに取り組んでいる日本人の態度から真剣さとか、徹底的にわからんことを究めようとする負けじ魂、そういう仕事に対するアティテュード(取組み姿勢)を向うが学んでくれることなんで、その方が具体的なことを覚えてくれるよりずっと大事なんです。

 今の援助、目本はアメリカを抜いて世界最大の援助国になりましたけれども、アメリカ同様にそういう心が欠けておるようであります。私がこの九号と一〇号で皆さん方にアピールしているのは半分以上、今の例のような精神的なものであるというふうに受取っていただきたいと思うのであります。

ーあとポツリポツリの話になるんですけれども、「魁」の九号の終りの方に、「土佐のあちこちでシンク・タンクが生まれ出る、その先頭を戦中派で切ろうではないですか。」という下りがありますがここの辺についてこれから膝をくずしてお話しして参りたいと思うんです。

 私いろんな年齢層の人に一所懸命になって訴えてきました、この八年間。その挙句、最近強く感じることは、世代世代によって一つの特色があるということです。

 四十代なんてのは国のことを一所懸命考えるような余裕はないんじゃないか。

 それぞれの分野の生業(なりわい)の道での働き盛り、脂の乗り切ったところで、今日のような勉強会に来ようと思っておってもお得意さんと今晩一席やっとく方が商売上ではどれだけ役に立つかしれない。そういうことの頻発、それが四十代を中心にした働き盛りの人の日常ではないでしようか。

 それ以下の若い世代ていうのはこれ又別な意味でノンポリ、割合素直だとは思いますけど若い人々が国を語るとか県を語るとかいうことは、商売がらみでもない限り、あるいは余程国家危急のときでもない限りなかなか起りにくいのではないでしようか。

 そんなことを考えてみますと、戦中派というのはちょうど停年で、そのことのよしあしは別にして時間の余裕がでてきた。政治をじっくり見る、篤と考えるための条件に恵まれているといえます。戦中派でも古い方は少し年を召されておりますけれど、停年になったばかりなんていう人はまだピンピン、政界だったらニューリーダーですよ。使い方次第で頭は最高に円熟している。

 それからこういうことも言えますね。昭和初期の不況、貧困では娘を売る。飢饉があったら飢え死にが出てくる。そんな貧しい時代と今の豊かな時代の二つの違った時代をわれわれは自分の人生の中でじかに経験しております。

 戦争と平和という点でも、権威のあるなしという点でもわれわれはその両方を肌で実感している。今の若い人に比べたら大変な違い、心掛け次第では文字通り複眼でモノを見ることができる世代です。政治を考える上でこれほど条件に恵まれた世代がありますか。無論生きて帰ったからこんなことが言えるんですがね。

 最近公文数学研究会から出ている「文」という会誌を拾い読みしていたら、福沢諭吉の「文明論之概略」を紹介している下りがありました。特に興味深かったのは次の箇所、明治の文章で少々読みづらいんですが敢えて紹介しておきましよう。

  方今我国の洋学者流、其前年は悉皆漢書生ならざるはなし、悉く皆神仏者ならざるはなし。封建の士族に非ざれば封建の民なり。
 恰も一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し。二 生相比し両身相較し、其前生前身に得たるものを以て之を今生今 身に得たる西洋の文明に照らして、其形影の互に反射するを見ば 果して何の観をなすべきや。その議論、必ず確実ならざるを得ざ るなり。

 福沢は、こうした立場に立てるのは、福沢たちの世代のような明治維新の前後に亘って生きて来た人間の幸せであり、こんな世代は又とないだろうということをしきりに強調しているのでありまして、大東亜戦争の前と後に生きたわれわれ戦中派のためにわざわざ言ってきかせてくれているような文章であります。

 まだゲートボールなんかに打ち興じて余生を送るなんて時期ぢゃありませんよ。頭をシャンとして二一世紀の壮大なる設計に加わる、事によったらリードさえすべきではありませんか。

 豊かさと平和しか知らない世代はややもすると夏しか知らないようなモンになり勝ちです。夏だけしか知らん熱帯地域が遅れるのと同じになり勝ちです。

 その点、我々戦中派は自分の生涯のうちに、身を切るような寒さと焼きつくような暑さを実体験として持っている、そんな世代が会社を辞めたばかりの年で身も心もリタイアするなんてもったいない話はない。第一、二十そこそこで死んだ仲間に中し訳ないぢゃありませんか。生かしてもらっている限り、特に七〇以前の段階では、我々は二人分も三人分も、過ぐる大戦に散った仲間の分を加えて立派に生きないかんじゃないかと思います。持っている時間を有効に使いましょうや。今日の勉強会もここら辺から考え始めて行こうではありませんか。戦中派頑張れ、とね。

 次にお話ししたいのは、国の運営について自分らの手ではどうにもならんことが沢山あると、今でもまだ日本人は思っておるんじゃないかということです。役所のいろんなしきたり、許認可事務に対する見方もどうやらそのようですね。公職選挙法の中にはうっかり紙を配るだけで罪になるような、どうかと思う条項が随所にあるけれども、改正運動が大きく盛り上ったということを聞いたことがない。

 税だってなんともならんという前提の中で自分だけがうまくやればいいというのが一般の風潮のようですけれども、理屈から云えば選挙法だろうが税法だろうが許認可に関する無数の法律だろうが直そうと思って直せないものはない。

 有権者がその気になって気持ちが一つにまとまれば、国会の中で可決するだけの数が揃えれば、どんな法律だって直しも作れもできるんですよね。法律なんていうものをどうにもならんものと思わないで、どうにでもなると思い直させる。意識をそう変えていく。そこに意識が到達したら、それから先はボヤキでなくて前向きの勉強になり、どうしたらいいだろうかという研究テーマが沢山出て来ると思うんです。

 例えば税金の問題だったら住民税一つ把えてもいいじゃないですか。高知市でも、この予算書、これくらいの厚さのものなら何人かで手分けして読んで、こんなところここんなムダ金が行っとるのかとか、この式のゼイ肉を思いきり切ってみたら住民税など十七%なんて言ってるけど十%に削滅したってやっていけるじゃないかとか、固定資産税だって大分削れるよとか、色んなことが見えるようになってきます。

 国を考える前にその練習の積りで市というコミュニティーの運営について金の面から、何人かで研究すれば予想外にモノが見えて来るに違いありません。二十歳位のグループにやれといつても目がチラチラしてムリかも知れませんが実社会で四十年ちゃんと仕事なさった戦中派ならこんなもの慣れだけですぐ読みこなせるようになる。

 県政を勉強するとした場合だって、この予算書に全部きれいに納ってますよ。元木県会議員とこれの勉強を二度やりましたけどね…。ところが前に聞いたことで本当か嘘か知りませんが、この予算書、これを読みこなせる県会議員は一人しかいなかったというんですね、これには驚きましたよ。どうやら問題は案外こんなところにあるんですね。

 和食さんだって四十年この中で生活してこられたんだから、中内さんの健康ぱかり言わないで、この中で直したいと思うことを具体的に選挙戦でアピールして行ったらもっと迫力が出たと思うんです。

 国の運営に戻りますが、防衛の問題でも、よく考えてみたら、五人前後位でチームを組んで勉強やったら結構いい堀り下げができるんじゃありませんかね。丁度ここに「中国問題を語る」という案内状がございます。これは植野君が発信人になっておりますけれど実際は西本良雄さんという方が一所懸命になっておられる。それを植野君が一緒になって加勢して差しあげたという形で出来たんです。
けれど、「中国問題を考える」ていう問題なんかも防衛のことに絡んだ把え方をするとすごくよく分る。ソ連やアメリカとの相互関連が鮮かに浮び上つて参ります。

 ちょっとご説明申し上げましょうか。もしソ連がなんかの弾みでアメリカとスッポリ仲よくなってしまうとか、ソ連の牙がなんかの弾みでなくなる、クレムリンの権力がバァーと消えるということが十年後にあつたとしますよね。そしたら世界の悪者第一号が消える訳ですから悪者第二号に向って世界の僧悪が集中するのは自明の理でしょう。それが日本。絶対日本に向ってきますよ。絶対きますね。戦後の、今まで言われて来た孤立なんてものと訳が違いますよ。そうなったときの恐しさと来たら!昭和二〇年代、大東亜戦争の前とそっくり、いやそれよりも何倍も危い。考えるだけでも慄えが止らない。その点、ドイツと日本は違う。第一、向こうは色が白い。その上に維新この方百二十年の歴史がある。日本さえおらにゃ今頃まだ世界中は白人のものだったに違いないですからね。

 結果論ではありますが、日本なんて国が出て来たところから、結局今の国連構成が象徴するように有色人種の国の方が数としては多くなるに至った訳です。 

 そういうことを考えてみますと、世界の非難の矢を一身に受けておったソ連が何かの弾みで悪者の座から滑り落ちたら、という仮説はしっかり持ち続けている必要がある。そんなことあり得ないなど言って一笑に付してはいけないですよ。

 こんな金持ったら嫉妬されるのが当り前、されないためにはよくよくいいことをしなくてはなちん、何しろ何やったって日本はそれをバネにして伸びていくんだから、いくら何をやってもそんな具合 にいかなくて困っている国々からみて、いまいましいに決ってるぢゃありませんか。しかもそれがこの間まで戦争で大多数の世界の国の敵国だった。それに何といっても英国なんかに較べると成り上り者でないとは言えませんものね。それが以前はサーベルで威張り、今は頭までがゼニと書いてあるような表情になっている。余計にいまいましくなる筈ですよ。

 中国問題もこういう仮説の下で見つめると重みがぐっと感ぜられてきます。今はやりの日中友好、ちんちんかもかも猫も杓子もの調子の話じゃない。一体明治この方の西洋とアジアという歴史の舞台で、中国はどうだった、日本はどうだったか、これから先日本にとって中国は何であるか。そんな洞察をもとにして考え合って行かなければならん大きな大きな国の課題なんです。いちいち人民日報にどう書いてあっただの、建物が何軒建っただの、合弁だのいうようなことは、追っかけている人、それでメシを食ってる人がい過ぎるくらいいるんだから、土佐でのわれわれグループはそういう、日本人があまりやっておらんし気づいてさえいないような大きな、次元の高い、波長の長いやつを取り上げなくてはいかんと思う。中国問題に限らず、この会全体をそういう性格のものに持って行けるといいですね。その中で組合せをする。二人か三人かで防衛とか福祉とか数えたら十からある国の重要課題を取り上げるという風にですね。

 例えば食管問題なんかどうでしょうか。こんなバカげた法律がまだ変らんでおる。どうしたことぜよ、と出発点はごく常識的なことでいい。むしろそれの方がいい。そこからどこがどう悪いんだということで、皆さんにシンクタンクになって貰って、学者でもない若者でもない、多岐に亘る実体験を持った頭脳が、日本でも珍しい知的作業に入っていく。頭が呆けるから何語を勉強するなんていう方もいらっしゃいますが、せっかくいい経験をなさっているんだから、高校生と同じように語学をなさるよりは自分の経験を反芻して、あれは何だったんだろうと考えていく知的作業の方がボケ止めの上にだってずっと気が利いてはおりませんでしょうかねえ。   
 臨教審のような一流の人を揃えたところでも結局は文部省の顔をたてるんだから、そんなグルーブから正真正銘の思いきったものが出るはずがない。日本の課題に対して思い切った結論が出せるのはわれわれのような形のシンクタンクだけじゃないでしょうかね。どうでしょうか。

練習をかねて県の課題や市の問題点をつっき出してもおもしろいんじゃないでしょうか。いつかお話した高知市の生活補助百十億なんてやつをね。こんなのはパッパッと計算ができますよ。
 材料はこの予算書一冊で充分です。

(A) (質疑応答)
 そういう福祉の問題ですが、いき過ぎの問題が出てきておるのにそこまで煮つめられておらん。年寄りが増えて若い人がこれでいけるかという点、議論が途中で止っていると思う。天気予報は当らんでもこれだけは問違いなく出てくるのに。
 食管の問題、それに対米問題だってそうです。もとには戦後のアメリカの政策があるにはあるんですが。国会が実際機能しよらんのじゃないろうか、日本の政治はどないに動いとるのか………。

(伴)
 農林議員は農民の利益代表という気慨を持っておるし、文教族その他いろいろおるがみな概ね然りですね。ところがそれを総合する視野に基づいた行動力が、誰にもないんじゃないでしようか。
 役所も役所同士の攻防に明けくれている傾向にある。その揉み合い自体は悪くないんです。調整機能がその過程の中で働いている訳ですから。
 国会でも役所でもそういう面はあっていい。その中で民主政治の目的とするところが半分は達せられとる。この面で日本の民主政治は充分に成熟していると思うんです。
 ところがそれだけでは、日本全体の枝ぶりの中で農業をどうするのか、というような大きな問題に適切な答えを出すことはできない。利益代表同士が妥協した線というものは出せても、日本丸をどっちへもって行くという指針は生まれて来ない。

 そうなると吉田さん的な滅茶苦茶な乱暴な人が要る。そういう時期が間違いなく参ります。
ざっくばらんにいうと「日本でタオルや運動靴作りよっちゃいかんぜよ、世界中が飯食わないかんのだから。」と言ったって、タオル業界、運動靴業界が束になったら、一人の代議士に、政治生命をかけて動き回らせる。そしたらギリギリのところでそれに顔をたてたような取引ができ上ってしまう。それはいま言った思い切ったこととは違います。残念ですが今、日本には国を引っばっていく見識、それを断行する蛮勇の持主がいないんじゃないか、問違っていたら幸なんですが。そういう見識を戦中派が先頭となって庶民が持つようになったらえらいことになりますね。そういう視野に立ってさえおればいいのであって、そこで意見が対立することは一向に構わない。むしろ対立したままの形で有権者に問いかける。そうしてご覧なさいませ、選挙が全く違ったものになる。庶民をいつかはそっちへ向けなくちゃいかん。そうしなくては、外界との距離問隔において日本の方向は決まらん………。

(B) 土居
 日本は効果的な援助をしていない。ドイツなんか海外援助する税金をとってるそうです。ノンガバメンタルの協会がカトリックなんかとやっておる。オランダなんか宗教が入って進んだことをやっておる。目本のは企業が先行で、金儲けのため、布施の精神が生きておらん。
ボランティァはいっぱいいるんですが、それを組織する機構がない。貧乏人の倫理感は非常に発達してるけど、金持の倫理感がないと言われますが、まさにその通りです。

(伴)
 土居さん、一つ、自分が実践もしておられるんだから、自分の実践の工夫と並行して国の立場から自分が見聞されるおかしいということを拾い上げてごらんになったらどうです。全体視野もぐっと開けてきますよ。今まで私ばかりが話しよったけれどもこの次のレポートは土居潤一郎さんという風にしたらどうでしょう。
 それで私の方からの注文は、いわゆる報告話じゃなくて、国全体のこれからの進路という見地から援助のあり方、話をしてほしい。

(C) 長崎
 日本人は世界に散ばってそこで力を蓄積せないかん。

(伴)
 長崎さん、そのテーマこの会のテーマに取り上げましょうや。私もねえ、一体全体この世界で、日本列島が栄えにやいかんということなのか、一億二千万が世界で活躍しとりゃええのか。日本丸の進路にかかわる大変な課題だと思っとるんです。

(C) 長崎
 やらないきませんね。非常に学ばないかんのは中国ですね。

(D) 植野
 ちょっと話は変わりますけど、今日お配りした「中国問題を語る会」のご案内です。
 実はさき程ちょっとご説明がありましたように私が一応代表ということに印刷ではなっておりますが、この会を献立ててくれたのは西本良雄さん、県教育懇話会の会長さんです。どっちかというと尻ごみするのを引きずり出されたという風な関係ででき上ったのがあさっての会なんです。
 西本さんにいわすと、知事も呼べ市長も呼べということだったんですが、問題は、小さくても先々続かなきや意味がないんだということでこじんまりとした会になると思うんです。文教会館の五階、六十席位構えたのがあさってあるわけなんです。
 今日ここへ来る前に一件電話がありまして、文教会館でやる会は自由に参加できるんですかという問い合せがあったわけです。それで慌てて新聞みると瀬戸物屋の親父が会をやるんだと、それは元中国公使の伴正一氏が平和条約締結の裏話をするんだという記事が載っとった訳です。昨日から西本さんが売り込みをやってくれていたのが、それではうまく記事になったんだなと実は驚いた訳です。
 初めての会でもあり、伴を世に出す目的もあって献立てておる会でございますので急ではございますが、お時間ございましたらおいでいただけたらと思います。 

(伴) 中国から著名な人が来たからといって五千円パーティーをやるなんてことはよくありますが、本当に中国問題というのをじっくり考え、先程述べましたような次元で日本にとっての中国だとか、すぐる戦争の意味だとかを勉強会する会はないですね。できたらそんな会にと思つて顧間への推挙を有難くお受けしました。

 日本にとって中国が何なのかを語り合うということは、日本を語り合うことになってしまうんですから……。                            


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