1985年1月
元来、政治は崇高なものとされていた。
それがいつの間にか汚いものに成ったのだろう。今では
「政治は嫌い!」
と言った方が清潔で知性的にひびくから不思議だ。
「あいつは政治がすきでね・・・」
と言われると、私自身余りいい気がしない。いい意味でいわれているような気がしなしからついうっかり、
「何も好きでやっているんじゃない!」
と言い返してしまう。それもおかしな話だ。
どこかで大きく狂っているのだ。
「政治を考える会」の中にも、このままの名称だといい人が集まって来ないのではないか。実際にやろうとすることがそんなに変わらないなら、いっそ「身辺の問題を考える会」に呼び方を変えてはどうかという意見が強かった。
だが政治にまつわる我々の感覚が大きく狂っているのならなおさらのこと、台風の眼になっている政治というそのものに正面から体当たりする方がスッキリしている。政治を考えないことを自慢にしている人々からは白い眼で見られるだろうが、彼等の蔑視に耐えるのも一つの試練だし、そこから何くそという闘志が湧いてくることもあるだろう。ということで名称は「政治を考える会」そのままで変えないことにした。
今は別々になってしまった知性と行動力の二つを久しぶりに再統合させよう。有権者におもねる詞、行動につながらない美辞麗句をつまみ出し、意味のある詞だけで語り合おう。そして大きく狂っている根源をつきとめよう。寒灯の下で国事を語り合った、そんなロマンを豊かになった国が語らなくなった今の世に息を吹き変えさそう。
「政治を考える会」は国を語る会である。(昭和62年5月5日再刊)
|