伴正一遺稿集・冊子
 

技術協力の新たな視点

 技術協力の新たな視点

 はじめに

 外務省経済協力局技術協力課長をしていた時期のある日、私は何かの用で市ケ谷の東京インターナショナルセンター(TIC)に行った。予定より早く来過ぎたので、玄関口のロビーで一服していた。その時である。韓国人らしい研修員が館の事務員に向かって大声でがなり始めた。なんのことだろうと思って様子を見ていると、受付横の公衆電話でなくて事務室の電話を使わせろとわめいているのであった。飛行場に向かう寸前らしく、その研修員はすごく気が立っていた。十円玉が足りなかったか何かなのだろう。公衆電話で時間切れのストップがやるせなくて仕様のない様子であった。それに対する事務員の冷やかな対応。規則を盾にとっているらしかった。

 その事情はどうでもいい。私の記憶も薄れてきている。ただ、その時私の心を何か恐怖感のようなものが襲ったことが記憶に生々しい。そのことが重要で、そのことについて少し述べておきたいのである。私の思ったことはこうだった。

 この人が国に帰って日本をどう言うだろう。よい思い出の中の一つのイヤな思い出くらいですむならましだが、この種のことが研修前の手続き、入国の際、研修期間中を通して少なからずあったとしたら、この人の日本観は戦前の中国留学生と同じようなものに固まるかも知れない。日本へきて日本嫌いになる。そして国での反日の芽になる……。技術は与え得ても、そんなことではトータルではなんのために招いたのかわからなくなる。むしろ、マイナスではないか。

 この思いは、技術協力課長であった期間、青年海外協力隊にいた全期間、そして北京で対中国技術協力を考えた時も、その後もずっと一貫して私の心の中にある。技術協力課で私はよくこんなことを口にした。
「相互理解が6で技術習得が4だよ」と。たいていはくつろいだ場でのことであったが、それが私の本音であったことも事実である。

 技術協力という言葉は、まぎらわしい類似の言葉の錯綜した中にあって人のとらえ方も種々である。その中で論理的に整理をつけようとするのもそれなりに大切なことだと思うが、一番大切なことは、高度に政策的な見地から本末を明らかにすることではなかろうか。人間と人間の接触面が広く厚い分野だけに、目的と手段を余り整然と区分しない、換言すれば手段やプロセスを考える中でも、常に大局的考慮が働いて欲しいと思う。このようなことも技術協力を進めていくうえでの知恵であり、政策マターであると私は思うのであり、これから述べていくことの前置きとして、ぜひ触れておきたいと思ったのである。

 技術協力の理念と分野

 技術移転という言葉

 この言葉は、今日でも技術協力のエッセンスであるかのように使われている。そのことをトータルに否定する考えはないが、こういうとらえ方にはメリットと同時に、軽視することのできないデメリットのあることを指摘したい。そこで、ここではメリットに触れないで、デメリットのほうだけを取り上げることをあらかじめお断りしておく。

 まず指摘しなければならないのは、技術屋といわれる人々の習性である。それは誠に自然な性向であり、技術畑に進んだらそうなるのも無理はないと思える種類のものであって、非難めいた意味は少しも含めていないのであるが、〃自分の技術を中心に物を考えやすい〃ということである。自分個人が到達している技術をフルに活用したいと思う余り、それが先に立ってしまうのである。技術移転が目的なら、それでどこが悪いか、結構ではないか、ということになる。ただ、それでは相手方はたまったものではない。雇用問題であえいでいるド真中へ省カシステムを持ち込んだらどうなるか。

 青年海外協力隊にいた頃「自分の技術は忘れてしまえ」と乱暴なことを私は言ったものである。もっとも、それは次の説明を加えてのうえであった。

「仕事はどんなペースで進んでいるのか。住民たちはどんな意識で仕事に立ち向かっているのか。地元の資力は……。

 こういうことを合点がいくまで見極めるのが先決だ。現地社会全体のもっているリズムを、ある程度体得してからでないと本当の仕事にはならぬ。土地の人間になり切る。自分がこの土地で生まれ育ち、これからもずっと暮らしていく人間だと錯覚するくらいになって、はじめて考えることもまともになる。

 もともと諸君の中に蓄えられている技術上の素養は、そうなっても失われはしない。心配しなくても、それは活きてくること請け合いだ」

 トンカチで凹んだところを直しているのを笑ってはならない。貧しい社会で部品の一括取替方式は金がかかり過ぎる」。故障箇所を見つけるための計器類は、そのまま導入しても、その取扱いがやさしければ無難だといえようが、難しいと猫に小判ということになる。また、余り高価だと泥棒にやられる危険も出てくる。このように保管の設備やシステム、それを支える職場のモラルにまで頭を回すのが、技術協力の心である。

 調査についても触れておきたい。いままで行ったこともない、研究したこともない国に、ろくろく準備もなしに出向いて行って、現地の社会条件に適したシステムを組み上げ得る筈がない。これでは調査らしいことのできるのは、自然条件だけである。調査団を何度も繰り出して作った実施設計が、後で派遣された長期専門家たち泣かせになった例を私はかなりの数見せつけられた。実例としてこんなのがある。設計図面(圃場)は、土地の所有関係を全く考えていなかったため実施不能、計画の基礎が宙に浮いてしまったのである。

 社会条件調査に関する限り、調査の前半、目に見える成果はあがらなくていいから、必要と思われるだけ、一年でも二年でもそこに住んでくれそうな人を探し出して派遣できないものだろうか。ゼネラリストでいい。小型のテスト・プロジェクトを与え、目的を理解させたうえで、協力隊員を派遣することでもいい。そうしておいて節目節目に部門別のベテランをそれほど時間を食わない形で派遣すればいいではないか。そういう行き届いた配慮をするのも技術協力の心、その心が、わが国の技術協力関係者の常識として定着したうえでなら、技術移転という言葉を毛嫌いする理由は全くなくなる。
 

 技術

 以前から、技術協力の範囲を自然科学上の技術と思い込む傾向があった。行政とか経営の分野での案件が驚くほど少なかったし、自然科学系統のチームを派遣する場合にもマネージメントの面の検討が極端に軽視された。

 その適例がカウンター・パートにまつわる挫折である。カウンター・パートを育てることを金科玉条とし、それをトレーニング・オブ・トレーナーと呼んだ。ところが、専門家や協力隊員たちが精魂を傾けてトレーニングしたカウンター・パートが高給に魅せられて転職したり、行政庁内の事情で配置転換させられたりすると、それまでの努力は水の泡となる。システムが要を失う形になるのである。

 技術系だけで編成されたチームが、その国の政府機関や地方官庁に掛け合う面で必要以上に苦労した例は枚挙にいとまがない。そんなこんなの現地事情が計り知れない大きい無駄を生んできた。いい技術を揃えた兵団が交渉能力の欠如のために立ち往生している姿を私は何度見せつけられたことか。〃技術屋〃の弱点を補強するシステムの開発は、これからますます重要な課題となるであろう。

 話がやや横道にそれたが、私が言おうとしたことは技術協力の範囲そのものについて、もっと広く考えるべきだということであった。それを自然科学分野だと考え、社会科学分野を例外とする理由はどこにも見当たらぬということである。

 中国の場合を考えてみよう。技術協力のトップ・バッターは鉄道であったが、これはどちらかといえば、日本側から水を向けたものである。そのためいま考えると嘘のような話であるが、まだ中国が外国政府の援助は受けないという国是を立てていた頃でもあって、〃交流〃なるものの虚像牲をわからせるのにずいぶん骨が折れた。

 日本の専門要員が半年、一年と中国に滞在し、先方の技師たちと一緒に仕事をするくらいにしなくては日本の技術は学べませんよ。中国が考えていた民間〃交流〃などは遊びでしかありませんよということを、手を替え品を替えてわからせようとしたものだった。

 ところが、開放主義に中国全体が大きく動いてきた時、今度は先方から礼を尽くして要望してきたのが、経営管埋分野での日本の援助であった。これが本物の要請第一号だったのも無理はない。経営上の欠陥で、中国はどれだけの資材を浪費し、国家財政上の無駄を重ねてきたことか。経営の合理化は、四つの現代化全体の中でも底知れぬ枢要部分だったからであり、何兆円の円借款にも匹敵する比重を潜めていたからである。

 行政とか企業経営とかは、自然科学分野に比べて教え方が難しいに違いない。自然科学系統の場合以上に現地の社会事情や階層ごとの人間のマインドが大きく響く。派遣専門家に求められる資質条件も加重される。しかし、南北問題を大きくとらえ、援助とはそもそもなんだろうという視野から物事を考える限り、難しいからといって社会科学分野を差別するのは妥当でない。中国でさえ経営管理を言ってくるのだから、非社会主義国から企業の体質を強めたいと、もっと言ってきていい筈であって、その時のことを考え、あらかじめ心の準備をしておくことは現下の急務ではないか。

 教育協力、文化協力という言葉がある。その中に芸術分野が含まれていることを考えると、社会科学の域をさらに逸脱する広範な分野が技術協力にはあるとみなくてはならない。援助とは相手の国の国造りを助けるものだ。その基本を貫くなら、範囲を限定的に考えようとすることには問題がある。もしも技術協力という用語がその傾向を助長する嫌いがあるのなら、あえて改名に踏み切る方向で解決を図るべきである。

 当節最もまぎらわしいのが、技術協力と別に立てられている科学技術協力という言葉である。世間をはばからずに言うなら、これはすっぽり技術協力の中に入れてしまうべきだと思う。自然科学分野に学問(心理探求面)と技術(応用面)の区別があることは誰も認めるところであるが、さればとて、学問を含めるがゆえに、ことさら科学技術協力というカテゴリーを立てる意味は全くない。技術協力の一分野として研究協力の柱を立て、学問研究に関するものだと位置づければ足りる(この場合についても、そもそも技術協力という言葉が事柄を不必要に複雑にしているように思われる)。

 援助の形

 ひと頃、技術協力をアンタイドにしたらという意見があった。日本にも金ができてきて、片や日本の専門家の外国語下手から、適材の発掘に苦慮する状況が現出した時期のことである。人が出せないなら金を出し、その金で欧米の専門家を雇い入れたらどうだというわけで、政府開発援助(ODA)を伸ばすために考えられたことであった。

 相互理解という隠れた効能を技術協力の中で重視していた私は、当然それに反対したものである。相互埋解の理由だけではない。技術というものは、人間の心(マインド)を離れては存在し得ないという、やや極端ではあるが、私の考え方があったのである。偉い技師は油まみれになるものではないというようなマインドが社会通念になっている国をみていて、私はそう思わざるを得なかった。武士が刀を大切にし、馬を大切にしたと同じように、農民は鋤や鍬を大切にした。

 そういう古来の〃日本精神〃がヨーロッパの文物を吸収する心の素地であったように思う。そんな日本人の特質に開発途上国の人々が気付いてくれたら、〃日本発展の秘訣〃を知って貰ううえで大変役立つのではないか。金以外に与えるものがあるから与える、というところに技術協力の本領がある。その経費を先方にもたせるかどうかは、二の次の問題である。

 技術協力は、日本人がする場合格別の味と効果があると私は考える。それがどういうことかについて述べてみたい。いずれも職人気質になってしまうが、その一つは、日本人が契約観念に余り馴染んでいないことである。

 協力の開始にあたっては、先方がやってくれなくては事が始まらない状況が少なからずある。送り届けた機材が通関に手間どったり、収容する建物が決まらないため梱包のまま野ざらしになる。物と建物は準備が整っても、肝腎の教える相手がさっぱり揃わないことがある……。そういう状況は、先方がやるべきことをやっていないだけで、当方はできないからやりようがないと割り切っていてもすむ状況である。こちらは、協定なり契約上いささかの義務違反もない青天白日の身である。欧米からの専門家なら、ゴルフでもやっているか、それでもなければ帰ることを考えるのが普通だろう。

 ところが、日本人は通常そんな具合に割り切ることをしようとしない。頭にきて、次に考えることは「こんなことでは任期中に間に合わなくなるではないか」ということである。契約のことよりも仕事の完成が心配になるのである。当たり散らして先方の不快を買うことも多いが、最後には「俺たちのことを真剣に考えてくれた人だった」となる。そこまでわかったついでに「ああいう式で日本人は仕事を考えるわけか」と気付いてくれる人が先方にいたらシメたもの、「日本のようになろうと思えばわれわれもそのアティチュードに学ばねばならぬ」という気になるまであと一息だ。

 コマ切れに仕事をするのは日本人に不向きのようだ。それは長所でもあり短所でもあるのだが、長所の面を指摘すると、お互いに仕事をカバーし合うことだ。一人でも欠けると仕事が止まるようでは、人材の不足がちな開発途上国では莫大なロスになる。「それは俺の仕事ではない」などと、やすやすといわない風習のほうが、いまの開発途上国には大切だと思う。職能組合が発達している米国の方式を見習うことは、結果的にみて、インド式のカースト観念を濔漫させることになりかねないからだ。

 日本人は、古来教え方がうまい。寺小屋で教えたことは、読み書きのほかそろばんがある。文盲撲滅と同時に〃数盲撲減〃を考えた。九九(くく)などという便利なものも考案している。数え歌で馬の取扱いを覚えさせたりもしている。〃下士官と兵〃を強くしたのである。だから国でも会社でも、鏡餅の形のように全体として技術が安定しているのだ。

 それは、頭の悪い者にはそれ向きの、マインドに欠けている者にはまた別の、人をみて法に説け式の教え方を工夫する努力が行われた結果である。日本人には、生来そういう努力をしようとする心があったと思える。それを失いさえしなければいいのではないか。ブン殴るような手荒なことだけ差し控えればいいのである。

 そのほかにも、まだ日本人の特質はあると思うが、一応これくらいにして、最後に一つ付言しておきたいことがある。それは、日本人が黄色の顔をしているということ、換言すればノンホワイトだということである。先進国は白色人種、開発途上国の大部分は非白人国というパターンはいまも変わらない。

 その唯一の例外が日本人である。「似たような顔をしている日本人が、現にやってのけている。白人でなくてもできる」と思うことが、どれだけ励ましになることか。しかも開発途上国の人々は、明治元年の日本がどれだけの素地をもっていたかは一般に知らないわけだから、全くの後進国だった日本が、百年余りで今日のようになったという前提でそう思う。励まし効果は、誤解によって増幅される面さえあるのである。

 水乎と垂直

 最初に一つのエピソードを記そう。一九七九年、舞台は北京の国家科学技術委員会。科学技術協力協定の話が入口に差しかかる頃のことであった。中国側が対等性を原則に立てたくて一所懸命だった頃、
「中国にも日本より進んだものがないではない」といって、中医(漢方医)の例をあげた。当方はその時、その事実を肯定しつつも、「わが国は、そういうものはタダで頂かない、ちゃんとした対価を差しあげることにしている。すなわち、その話は商業ベースの事柄になる」と答えたのだが、その時の先方の、中国人としては珍しい切ない表情が忘れられない。

 あんなにピシャというべきではなかったという思いが脳裡をかすめたものである。中国では「中華思想がいまでもこんなに強く残っているのか」と思うことが少なからずあったが、この時はそうでなくて、清末この方、国権回復を悲願とし続けてきた、同情に値する先方の悲願を直感したのである。「それなら、中国側も適正な対価を払って日本の技術を買わせて貰いましょう」と切り返したかったことであろう。事実、日本は維新この方、こうして国造りと人造りをしてきたわけである。

 垂直かどうかを判断するにあたって、有償か無償か、商業ベースか援助かというアングルを持ち込むことは、議論を複雑にする。それを避けるための便法として、垂直とは、一方が教え、他方が教わる状況だとして話を進めたいと思う(その裏側として水平とは、大体において同水準の当事者が力を合わせることだとなる)。その場合、さらに状況を明確にしようと思えば、一つ一つのテーマについて論ずる場合と、数多のテーマを予測しつつトータルに国と国の協力関係を考える場合を区別したほうがよい。

 一つ一つのテーマごとにみるなら、中国やインドでなくても、日本が教わる側に立つ事例はあり得るわけであり、その対価の扱いをどうするか(対価を払うか、それとも相手方にプライドをもたせるという配慮からあえてタダで貰うことにするか)は、それぞれのケースに則して考えればいいことである。

 ところが、科学技術協力協定のように、国と国との包括的な関係を規定する場合になると、大量観察の見地に立たざるを得ないから、垂直原則をとるかどうかは、簡単に結着がつきにくい。一方は、ごくまれにしかない予想事例を盾にとって水平論を主張し、他方は、それをネグリジブルと決めつけて垂直論を展開するだろう。しかも、それが両当事国の論戦たるにとどまらないで、国内省庁間の争いにまでなる傾向がわが国にある。いわゆる国内官庁は、水平の名のもとに外務省に拘束されない形の対外協力を拡げようとし、外務省は垂直の面を強調して国際協力事業団(JICA)のメカニズムの風化を防ごうとする。

 しかし、この点の割り切り方は、案外簡単にいくのではなかろうか。水平関係のほうは、時たまにしか起こり得なくても、垂直事項とほぼ同じ長さの規定を設け、垂直事項と書き分けてしまうことである。めったに適応されぬ条文があってもいいし、現にそんな条文は六法全書にだって沢山ある。

 このような割り切り方で第一関門を通過したあとに残る問題の一つは、水平要素と垂直要素が一つのテーマ(プロジェクト)の中で混ざり合うケースをどう扱うかであるが、相手国のプライドを配慮し、国内官庁の国際づくことに寛容である方向に、いま少し寄っていいと考える。技術協力の範囲を広く仕切ることと、以上のような配慮、寛容とでバランスをとるという発想である。

 残るいま一つの問題は、医療協力の場合がその適例であるように、日本にない病気と取組むことは、日本の医学研究の領域を拡げるのだから、これはギブ・アンド・テイクだとする見解が正しいかどうかである。熱帯農業などもしかり。河川屋にとってメコンやブンガワンソロは、胸の血を騒がせるものであるらしい。

 しかし、私はこれをもってギブ・アンド・テイクとする説に賛同しないし、水平か垂直かの識別にあたって、この種の観点を入れるべきでないと考える。物議をかもしやすい水平・垂直論は、金の要素さえ排除して、もっぱら技術水準だけから教える・教わるを区別すべきだと思う。

 研究の素材を提供されるという点に着目するなら、そもそも垂直方式の中でわが国が得るものは、そのほかにも沢山ある。そしてこういう点を見逃さずに正しく認識してこそ、技術協力をしっかりとわが国の国益に結び付けることができる。技術協力の過程で日本の科学技術の領域を拡げ、奥行きを深めるうえでの素材と場を与えられるからである。

 次に考えられることは、本論文の冒頭に指摘した相互理解であって、専門分野ごとに同じ道の人間同士が直接同じ道のことを媒介にして触れ合いの度を深める。それは招待旅行の親善の夕べなどとは段違いの重みをもつ。そして、この種のパイプ(糸)が無数に結ばれた場合を想像してみるがいい。政府要員、ビジネスマン、教授、留学生の結ぶ糸を全部足したよりも重要なきずなになり得る。

 というのは、相手国を知る層が逐次増大するだけでなく、その分野の面で拡散多様化するからである。世界の実情や動きに対する国民の把握は、かくして全体として精度を高め、均衡を得たものになっていくであろう。世論が観念的であったり、偏向したり、一時の感情に流される危険が少しずつ除去されることになる(中国のような国の場合その意味は特に大きい)。

 相互理解のいま一つの効用は、相手国国民の対日認識が現実的になるということであって、いま述べたところの裏返しである。特に開発途上国では、圧倒的多数が生涯自分の国の外へ出ることがないだけに、日本からの専門家や協力隊員を通じて抱く日本人のイメージが決定的な重要性を帯びる。技術協力は、資金協力と一味も二味も違った意味で総合安全保障の重要な一翼を担うのである。

 最後に指摘しておきたいことは、豊かな社会の次にどのような社会をデザインすべきか、という文明史論の見地からの視点である。豊かな社会は一見複雑に構成されているが、それは制度技術のうえのことであって、人生観や世界観という面でとらえるなら、むしろ単調である。こうとらえる時、その単調を破るものが開発途上国における生活体験−−そこで考えさせられること−−であり得ないだろうか。

 幸福とか生きがいとかいう人類がいつまでも抱え続けるであろう課題を、豊かな社会での体験だけから考えていくことには危険がありはしないか。単なる旅行でそれを十分にカバーできるとも思われない。百聞一見に如かず、という点はあるが、単なる旅行の多くは暖房車を走らせて雪原を見るようなもの、所詮は豊かな社会からそうでない世界を眺望しているに過ぎない。

 豊かな社会の中で、精神が荒廃したり活力が衰退していく心配が出始めている。それを救う一つの方法は、これからの世代にとっては全く異質な、開発途上国という世界を目で見るだけでなく、かなりの期間肌で触れることではなかろうか。そういう体験の保持者が、国民全体の中で一人でも多いことが非常に重要なことのように考えられるのである。
 

 実施の構造

 実施要員の確保

 海外技術協力事業団(OTCA)時代、その職員の間に〃切符切りの悲哀〃ということがよくいわれたものである。専門家のほとんどが〃お役人さん〃で、その人々のために手続きをする役目がOTCA職員の仕事だと自嘲した言葉だった。それは調査団についても同じであった。少し大きい顔のできるのは、機械の選定にあたって小型大蔵省の気分を味わう時くらいのものであったろうか。農林省と実体論議ができるのは、同じ農林省からきている部課長だけで、プロパー職員で課長になっていた人は、まだ余りいない頃だった。第一プロパー職員で技術屋はほとんどいなかったのである。

 なぜこういう話を持ち出したかというと、技術協力での実施要員は〃借り要員〃を大宗とさせざるを得ないという点を指摘したかったからである。この点を中核に据えてはじめて、技術協力における実施の構造を理解することができ、問題の所在を的確に突き止めることができると考えたからである。

 そこで、最初に取り上げたいのが協力人材育成論である。育成論議の中では往々にして、借り要員の原則に真っ向から挑戦してプロパー要員をもつべしという勇ましい主張が羽振りを利かせる。しかし、これだけ〃技術〃が多岐にわたる世の中で、換言すれば開発途上国の二−ズが多様化するであろう趨勢の中で、どんな要請にも対応できるだけのプロパー要員を、終身雇用のメカニズムの中で抱え得るはずがない。

 協力要員自身の立場に立って考えてみても、一回お座敷がかかって、あと何年もお呼びがなくタダ飯を食っていては、専門技術そのものも錆びついてしまう。それでも構わず十分な要員を抱えようとするなら、いくら定員を増やしても間に合わない計算になる。しかも技術協力には、任地いかんで年齢上の制約があり、しょうれいの地で老齢者は務まらないというような事情も随所に起こる。プロパー要員は、ごく限定された分野で、また、生き生きとした生涯計画を、一人一人の要員に可能にさせる見通しのもとでのみ抱えることができるのであり、実施要員の中核にはなり得ても、しょせんはその大宗となることはできない。

 こう考えてくると、人材育成は、答申という答申に必ずといっていいくらい登場する課題ではあるが、それらの答申のほとんどに記されているようには、簡単に事が運ぶ道理がない(極言するなら、今までの答申内容は、すべて実施設計のない願望を素人考えで無邪気に書いているだけのものである)。

 人材育成論の前には当然人材確保論がなければならず、人材確保論の中身の大部分は〃借り〃のメカニズム論でなくてはならないと思う。しかも、それは終身雇用という社会慣行に逆らわない、その社会慣行に歯車を噛み合わせたものでない限り、現実性のほどんどない空論に終ってしまう。

 国家公務員

 以上を前置きにして、まず国家公務員についてみてみよう。そこには派遣法があり、貸し借りのレールは一応敷かれている。派遣中の給与について、手間のかかる人事院の査定が設けられているのが、関係省庁にとって大きな障害となっているが、国家公務員の場合、問題の重心は運用面に移ってきているように思われる。その第一点は、どの省庁でも人は多くいるようで、いざとなるとそうはいない、ということである。

 まず、終身雇用の中で人を抱えていると、(1)どこでも務まる人物、(2)向き不向きがあって適所におけば光る人物、(3)おき所についても苦労させられる人物……といった三つのカテゴリーができ上がってくる。これは宿命的であり、第一カテゴリーの人物を国内の本来業務から抜擢することは至難の業である。第ニカテゴリーの場合でも、多くは余人をもって替え難い存在としておさまっている。そうなると実力、健康、年齢等々原因はいろいろあろうが、たいていの場合は第三カテゴリーの中からの人選という、やむを得ない方向で技術協力要員が物色され、推薦されることになる。国際協力事業団(JICA)がどんなに改善を要望しても、審議会あたりでいくら強調しても、容易に歯の立つ話ではない。

 ところが、その中でもニ〜三週間程度の調査団参加となると、状況はずいぶん違ってくる。参加する本人も、原局も、人事当局も手頃な見聞広めの機会と見立てることができるので、〃一級品〃の確保はそれほど難しいことではない。結局、人材確保の課題は、長期専門家の確保という課題にしぼられる。

 それではどうすればよいのか。何度も槍玉にあげて申しわけないが、今までの審議会答申や関係団体の要望の中で、これこそ本当のヒントと思われそうな提言はまず見当たらない。事実それほど難しい問題であり無理もない話である。思いつきで解決の緒がつかめるような性質のものなら、とっくの昔に解決がついているはずだ。この問題を改めて考えるにあたって大事なことは、この〃難しい〃という点をじっと噛みしめることではないだろうか。そしてそのよってきたるところの原因を突き止めることに徹することではないだろうか。私が現時点で提唱したいことは以上の二点である。

 ただ、参考までに私なりの原因探究の結果を中間的に述べてみたいと思う。

 結論から先に述べると、技術協力要員の確保を難しくしている最も根深い原因は、終身雇用慣行、すなわちわが国の社会体質そのものである。「転職が不利益でも不名誉でもない。むしろエリートの常道」とされている社会風潮であれば、数多い国家公務員の中には、退職して技術協力要員として出て行く気になる者もかなりいるであろう。そういう社会ならば、所属省庁に復職する選択も残っており、しかも出戻り的な目で見られる心配もない。本人も原局も人事当局も互いに気楽である。ところがそうでないところに日本の技術協力の根深い阻害要因があるのである。

 このほかにも原因となるものがある。国を出たら自国の言葉がほとんど通じない。米国人や英国人、フランス人などに比べて大きなハンディキャップだ。言葉に限らず、食物や子弟教育の面でも似たところがある。それは英国人が昔の植民地へ行った場合のことを考えてみると一目瞭然であろう。

 このように考えてくると、技術協力要員の確保が思うようにならない原因の多くは、宿命的なものであり、いうなれば歴史が作ったもので、政府の措置よろしきを得なかった結果だと決めつけられる部分はそれほど見当たらない。

 原因について述べたので、まだ熟してないままではあるが、提言に踏み込んでみよう。提言とはいっても、先に述べた歴史的な事情や日本社会の体質の一角を切り崩そうというような勇ましいものではない。

 一つは〃母港方式〃と私が呼んでいるものである。それは各省庁に制度的に存在するグループ(たとえば試験場や熱帯農業研究所)、制度にはなっていないが、専門別に事実上存在するグループ(たとえば都市計画畑、河川畑)に着目し、個々のグループに若千の余剰定員をもたせることである。それによってグループ内の事情を勘案しながら、常時一〜ニ名を輪番で海外に派遣するローテーションを組むことができる。

 これはその日暮らしの求人を若干システム化することになるが、各省庁の人事方針として定着してこないと、ほとんど意味をなさない。また、その前提として設置法体系の手直しをする必要がある(そうでなくては闇の操作に終ってしまう。設置法の手直しは、下手をすると外務省の一元体制に破綻の緒をつけてしまうが、そうならないような精度の高い表現方法を考案することは可能ではないか)。

 第二の提言は、技術畑に進み技術協力などの海外業務にライフ・ワークとして取組みたいと熱望している人のために、海外技術士という自由業を設定することである。裁判官や検察官が退職して弁護士を開業するようなものと考えていい。

 この発想のきっかけとなったのは、技官が退官後、何人かのグループで海外技術コンサルタント組織を作っている事実であった。「退官を十年か二十年早めてもいいではないか。クループでなく単独ということは考えられないか」と考えてみたのである。現行の技術士法に海外技術士の資格を追加し、ニから三の試験科目(たとえば外国語)を余計に取って資格を得た者に限り営業を許可する。

 そうすれば海外技術士を弁護士や公認会計士並みの高い社会的地位からスタートさせることができる。JICAの支払う単価を開発調査方式(ペイロ−ル、オーバーヘッド、フィーの合算方式)で当初から定めておけば、三年海外、二年国内(その間研究、無収入)でも営業として成り立つのではないかと思う。

 専門家の一部は、終身雇用やプール制方式で抱えるべしというのが現在では関係者の常識である。しかし、これはJICAでの〃出世コース〃やその道の専門家仲間の間での〃格〃という面からみて、それほど俊秀の殺到する職場とは思えない。下手をすると二流、三流、他に行き場所のない人々の溜り場にならないとも限らない。少しでもその兆しが出始めたらもう万事休す、雪ダルマ式悪循環を重ねることに間違いなしである。

 それに対して海外技術士制度だと、質の良い技術士が生き残り、悪質な者は消えていくことになる。多年の悩みであった外国語能力の問題もそのうち自然に解決に向かうだろうし、在外手当や報酬も、いまよりはすっきりした基準で適正に定めることができるようになるであろう。協力分野の多様化や受け入れ国のニーズにも対処しやすい。ニ−ズが増えれば、その方面の海外技術士がおのずから増えるだろう。終身雇用している人間を転用する苦労と比べてみるがいい。行政改革、定員削減の苦労が起こらないように、〃小さな政府〃を最初から目指しておいたらいいではないか。

 地方公務員

 地方公共団体で派遣法と同性質の条例を制定している例は、都道府県の場合でもまだ少ないであろう。市町村に至っては、おそらく皆無に近いはずである。国家公務員に比べてずっと遅れていて、そのレールさえ敷かれていないのが現状である。中には出張扱いにするとか職務専念義務を免除(職専免)してくる県もあるが、そもそも無理があるので、一件の取扱いにおびただしい手間と時間がかかり、途中で断念という結末になる事例が圧倒的である。

 これは地方公務員が技術協力要員として活動することがまれであるためで、自治体が面倒な条例制定(改正)作業をする気にならないのも無理はない。そういう事情を反映してか、自治省が技術協力要員確保の課題に乗ってきてくれないという悩みがあった。しかし、問題はそれだけではない。

 対外援助は、本来国がやることであって、地域住民の福祉のためにある地方公共団体が国の仕事にかかわり合う理由はないという考え方が問題の基本にある。〃借り〃のシステムで要員確保の課題を詰めていくと、憲法論にまで波及しそうなこの種の難問に逢着するのだ。人が基幹となる技術協力のもつ課題の深さが、ここに顔をのぞかせている思いである。どう考え方を整理すればいいのか……。

 基本的には、技術協力の理念にまでさかのぼらないと完全な理論構成にはならないと思う。国益の概念を再構築して、国民の活力という要素を大幅に導入してくるなら、その相似形で地域住民の福祉も理解されるようになる。国がなぜ技術協力をするのかについて、ほぼ国民のコンセンサスができ上がれば、地方公共団体のもつ疑念は払拭されると思うし、たった一人の事例のために面倒なことをさせられるという考えも次第に影を潜めるであろう。

 ただ、そのようになるには、どんなに努力しても二年や三年では無理だろう。それまでの間、少なくとも国は、地方公共団体に「対価をきちんと払っている」という仕組みを保持する必要がある。その意味で所属先補填だけでは不十分なのかもしれない。地方公共団体は、営利を目的としていないからフィーは不要だとしても、オーバーヘッドまでは国が面倒をみるべきだ、そう考えるほうが理解を得やすいように思われる。

 人を借りるにあたって、いま一つ問題がある。貸すほうが国や県のような大世帯でない時、同一専門職の定数が数名、極端な場合一、二名しかいないところに人を貸せといっても無理なのだ。少ない役場職員の中から水道技師一人を抜かれた時のことを考えてみるがいい。二年経って帰ってくるとしても、そのポストを空けて待っているわけにはいかないのである。

 ここまで課題を掘り下げていくと、終身雇用慣行のもとでの〃人借り〃の難しさが改めて痛感させられ、「ここらあたりが限界」という実感が迫ってくる。いま述べたことは小世帯の場合であるが、どんな大世帯の場合でも、稀少職種であれば必ず似た状況にぶつかるに違いない。

 技術協力の度合いだけは政府開発援助(ODA)計算だけで考えてはならない。金額や人の数で計れるものではない。技術協力をする日本の能力を、今まで述べてきたような角度を物さしにして、全国測定してみるべきではなかろうか。精度不十分な点は覚悟のうえである。主務官庁にはそのような仕事があるように思われてならない。作業のシステムさえ組み上げておくなら、五年とか十年の計画で完了を目指すことにするなら、それは可能だと思う。

 これからは、政治レベルで対外コミットメントがいま以上に行われるであろう。自らの限界を測定しておかないと、思いがけないオーバー・コミットメントをやらかさないとも限らないのである。

 民間

 治山、治水その他のインフラストラクチャー分野では、政府部門が強力な技術陣を擁している。制度上の諸障害を考えないで計算するとしたら、海外からの如何なる二−ズにも対処できるだけの大陣容といって差し支えない。インフラ分野に関する限り、協力要員ソースとして国家公務員、地方公務員、それに公団、公社、事業団などの政府関係機関を考えておけばまず十分であろう。生産(殖産興業)分野でも農業、林業については同様のことがいえる。しかし、広く一次産業から三次産業まで見渡してみると、国造りや人造りに必要な専門要員の多くは民間にいるわけであり、開発途上国の二−ズの多様化、本格化に伴って民間のソースが重要になってくることは必然的だと思われる。このソースからの〃借り〃のメカニズムを整えておくことは急務だといっても過言ではない。特に国家公務員の場合と同様に、レールが敷かれただけでは簡単に物事が動きださないことを計算に入れると、急がねばならぬ理由は歴然としている。

 民間での問題は、一見して地方公務員の場合と酷似しているが、仔細に検討してみると民間特有の問題のあることに気付く。その中核は、なんといっても民間の組織の大部分が営利を目的としているということである。その必然的結果として、終身雇用慣行下の企業を相手に話を進めなくてはならない宿命をもっている点である。地方公務員についても簡単に触れた対価の適正という問題が、ここでは本格的に大きく浮上してくるのである。

 現在、非常におかしいことには、旧OTCA時代以来、開発調査部門と専門家派遣部門とでは、その価格体系が違うということである。前者の場合ではペイロール、オーバーヘッド、フィーの合算という構成をもっているのに対し、後者はペイロ−ル一本に近い形となっている。フィーはゼロ、オーバーへッドもまともには計上されていない。

 さらに矛盾していることは、前者が企業側にとって対処しやすい週単位の短期型であるのに対し、後者は企業にとって遙かに打撃の大きい長期型であることだ。後者の場合こそ、企業にその分を加重して支払うのが道理ではなかろうか。もっとも企業に対する対価問題は、こういう現状の矛盾から説き起こすよりは、そもそも論から白紙に物を書くように提言していった方がわかりやすいように思われる。

 まず結論を述べると、企業の場合の対価は、コンサルタントに対する建設省基準をモデルに体系を定めることである(公益法人の場合は、利益をみなくていいからフィーは不要)。

 企業に対して公益奉仕を迫ることは、国として安易に過ぎる。現在企業に課せられている国への義務は、納税義務一本に体系化されており、昔のような祖、庸、調の三本柱になってはいない。また、徴兵制のように企業の受忍を前提とする制度も存在していない。そのような中で企業の善意(奉仕)を前提に協力要員の確保を図ることは、制度論として不適切であろう。

 終身雇用慣行という枠組の中でシステムを組む以上、一時的に職場を離脱する人間と企業との雇用関係は継続させる必要があり、そのために企業が被る損失と、本来得られるべき利益は国が補償するのが道理である。その本来得られるべき利益にあたるのがフィーであり、損失にあたるのが、その間企業に役立っていないのに負担しなければならない給与(ペイロ−ル)と総掛り費(オーバーヘッド)だということになる。

 しかし、理屈はわかっていても、その算定基準を決めるとなると、建設省基準の場合と違って、対象が各種各様の業種を想定してかかる必要があり、システム設計は簡単には運ばない。特にオーバーへッドについては、適正額が業種や個々の企業によって大きく違ってくる(協力隊がオーバーヘッドを導入するにあたって、予算単価としてはペイロールの六○%を計上しつつも、支払額決定を一件ごとの査定にしたのもそういう事情による)。

 オーバーへッドの適正額を割り出す方式は、専門家による克明な検討を必要とするであろうが、協力隊による五年間の貴重な実験結果があるわけで、五年前に比べれば、システム設計は少しはやりやすくなっているはずである。

 ここで、ついでに研修付帯費についても触れておこう。民間の力を借りるという点では、研修員受け入れの面でも広い分野がある。

 今から十年以上前でも、皺鑑別とか映画フィルム編集のような場合、研修週程で莫大な資材が消耗され(慣れないために潰される雛の数が多く、おびただしい浪費を覚悟しなくてはならない)、当時の価格でも月々数十万円はかかるとされたものである。また、一方では教室と紙と鉛筆だけで、資材費のほとんどかからない研修もあった。このように、資材費だけみても大きな差異があり、研修付帯費の査定は問題山積の観がある。

 実は、紙と鉛筆があればということ自体が人件費要素を軽視した言い方であり、講義だけの場合でも、講師や通訳については、海外派遣要員と同じ方式での対価算定をしないと、民間への適正対価は割り出せないはずである。

 技術協力が全体として小規模な時代は、民間の善意に依存することでなんとが乗り切れたかも知れないが、いつまでもその日暮しでは行き詰まる。よしんば形のうえで行き詰まらなくても、質のうえで思わぬ低下を招くことになるだろう。

 地方公共団体のところで述べた「条例」に匹敵するのが企業の場合は休職規定だ。この規定の改正作業をして貰いたいというなら、その前提としての補償額を合理化しておかなくてはならぬ。

 民間については、企業や公益法人のほかに個人の場合も考慮の対象にする必要がある。篤農家や個人経営のコンサルタントが協力要員となって出て行くケースがだんだん増えるかも知れない。特に海外技術士制度ができるとその技術協力に占めるシェアはぐんと高まるに違いない。個人の場合は、転職してJICAの臨時採用になったようなものだと簡単な割り切り方をして済ませるのではいい人間は集らない。

 海外技術士を自由業として成り立たせるためにもセルフ・エンプロイメントの考え方を導入し、企業のケースに準した価格体系を立てておくべきだ。それによってのみ海外技術士が自由業としてやっていける基盤ができる。そういう基盤があってこそ、優れた人材が一見厳しい独立自営の道を選び得ると思う。防衛経費を抑える代わりに援助増大を口にしている日本の立場を考えるなら、このような点に出し惜しみをしてはならない。財源の捻り出しが思うに任せぬのなら、一時的に無償援助を足踏みさせてもいいではないか。

 少し角度を変えて一言述べておきたいことがある。それは個人ぺース協力要員の年齢問題と本拠の問題である。

 老練はメリットであるが、協力業務における体力や気力の限界は、日本国内での仕事よりも早く到来すると考えておかねばなるまい。アフリカを歩いていた頃のことだが、英国人で長く諸国を転々とし、いまさら本国へ帰っても生活基盤はない。やむを得ず援助要員として二、三年ごとに国を替えながら、人工衛星の生涯を続けている人をよく見かけた。〃アフリカ無宿〃、立派な人もいるが概して無気力であり、それほど任国の役に立っていそうにない。時には同情したくさえなる。

 組織に属していない協力要員には、なんとか日本国内に本拠を構えさせ、そこで仕事(少なくとも整理や次の準備、研究に携わる)をする時間を大幅にもたせなくてはならない。農業をやっているのならその生活基盤を失わせない。設計事務所なら留守番をおいて海外との連絡や得意先との接触継続にあたらせる。それが可能であるような状況を作ることが欠かせない配慮ではなかろうか。そうすることによって、海外勤務に耐えられなくなった時の不安が取除かれ、有為の人を引きつけるうえで非常に大きい力となるからである。

 実施要員の質の向上

 この点については、今までにも多くの願望や要望がいろいろな方面から寄せられている。ある技術に強いことと、教え方の上手下手は別だということも意識されるようになってきている。真っ先に言葉の問題が取り上げられ、やがて言葉ができるだけでなく、任地社会の風俗、習慣、物の考え方に対する理解が重要だということも強調されるようになった。そういう気運があってこそ、具体的な対策の検討も本物になっていくに違いない。

 ただ、具体的に専門家の適性を考え始めると、ここでも改めて技術協力の多様性を痛感させられる。ひとことに言葉といっても英語圏、フランス語圏などの差がある。同じ国でも配置場所、職場環境によってその適性は千差万別である。

 当初から問題とされてきた語学能力について、私はこういう考え方をもっている。日本人にとって言葉、特に話す言葉と聞く言葉は苦手である。勉学のための語学手当を支給してインセンティブとする程度では、気休めにしかならないであろう。言葉ができることを資格の一種として、専門家としての格付けを行う判定基準に加えるほうが効果てき面だと思う。

 この考え方を制度化する前段階として実施したのが海外技術協力事業団(OTCA)時代の語学手当(できる者に対する加俸)であった。ところが、ごうごうたる非難の声があがり、一時は実施が危ぶまれたものである。そのときは予想を遥かに超える反発に驚いたが、考えてみると、それは日本人のメンタリティなのである。語学能力をも含めた総合的な新基準を作って、語学をシングル・アウトした場合に起こり得る反発を緩和するほうが賢明かもしれない。海外技術士制度の構想は、このような観点からのものでもある。

 母港方式は、質の良い協力要員を育てるうえでも役立つと思われる。同じ専門の道にある仲間とか先輩後輩には、特別の絆があるものだ。母港方式という考え方がそういう強いグループ意識の中に注入されると、海外の仲間の寄せる手紙やぼやきは、そのまま日本にいる仲間の心構えを形成する糧となる。また、海外からの依頼による日本国内での資料収集やデータ調査は、そのまま事前の準備体操になる。

 海外での挫折感が友の便りで救われるということもあろうし、赴任直後であれば既経験者の助言が救いとなることも少なくないであろう。一般的な読書や講演聴取と違って、職業上の仲間を通じて得られる情報や提言は頭に入りやすいし、実践への手掛りも随所に得られる。もう一つ付け加えるなら、海外勤務中の実績がグループを媒介にして所属先人事当局や同業者たちに認知されやすいということである。

 これは協力要員の質の向上を図るうえで非常に重要なことであり、海外勤務へのインセンティブを高める効果は測り知れない。海外勤務に伴うドサ回り意識、それと裏腹に「そんなのはご免蒙る」という回避本能、深いところでそういう意識や本能の源となっているのが、キャリアのうえでの損得である。この阻害要因を除去することは、インセンティブを結果的に高める筈だからである。

「そういうのは一般の人の場合だ。そんなことを屁とも思わぬ人もいるはずだ」として「その種の特殊な人材を探せ」という主張も一方ではある。技術協力が日本の対外政策の片隅にあった頃なら、この考え方のほうが手っ取り早かったかも知れない。しかし、特殊な人物がかなりいるにしても、その周囲が寄ってたかって本人の翻意を促せば、余ほどの筋金入りか変わった人間でなくては初心を貫けないと思う。そんな筋金入りの人は滅多にいないと考えるべきではないか。特殊を目指す道は特殊な場合に限ると私は考える。質の向上という見地からも、いまの視点は重要といわなくてはならない。

 運営

 運営面については、国際協力事業団(JICA)を去って五年を過ぎ、その間の状況はつまびらかにできないのだが、あえてかねがね考えていたところを思いつくままに述べてみたい。

 要請ベース

 こちらからの押し付けを慎むという意味で要請ベースという言葉が用いられるなら問題はないが、それをあたかも事業団法の建前であるかのように考えている向きがあるのは問題である。事業団法は国際取極めに基づくことだけを規定していて、合意がどちらからの発議に由来するかは関係のないことである。「要請ベースの建前にこだわるな」などという提言は、本来ナンセンスな筈だ。

 ただ、そうばかりいっておれないところが問題である。わが国の定めたフォームの要請書を相手国が提出しない限り、こちらからは一切動かないという建前を現にとっているとすれば、確かに先の提言が意味を帯びてくる。北京にいた時、同地のカンボジア大使から口頭の要請を受けたことがある。当方のサジェストに応じ、大使自らが臨時代理であった私のところへ来訪してのことであった。当時の状況で、わが国の求める形に完全に合致したものを書きあげる能力がカンボジアにあるとは思えなかった。

 訓令上やむを得ず要請書の提出を求めたが、結果的には断ったのと同じ効果をもつことになってしまった。

 国際取極めをかなり弾力的に理解したほうがよかったのではないかという思いであった。カンボジアの例は、先方から要請書が出る前にベトナムの全面進攻があってそのままになったが、もし出してきたとしても不備なものだったに違いない。何度も出し直しをやらせて先方をうんざりさせる(事によっては怒らせる)ことになったかも知れないのである。

 もちろん、原則はきちんとしたものにすべきであろう。先方の二−ズを確かめるためには、いま以上に相手が欲しているところを聴きただすべきケースも少なくあるまい。しかし、いろいろな事情が介在して要請書が出てこない場合のことも前提にして事を進める必要があるのではなかろうか。

 こちらが口上書を先に出す形をとるとか、口頭でも、実質上問題のない地位(あるいは立場)の者からであれば、コンファーメーションの口上書提出によってすでに取極めはできたと解釈するとか、形式にこだわらなければ他の方法もある。行政処埋の悪い政府を相手にする苦労は並みたいていではないが、安全第一だけで事にあたっていたら、国内からだけでなく外国からも非難の声があがろう。援助しながら相手を怒らせるのでは、なんのための援助かということになる。

 日本が政治的役割を果すうえで、技術協力をテコに使う場合もあっていいと私は以前から考えているのだが、そういう場合には、特に臨機応変の対応が必要と思えてならない。

 協定を結ぶことの得失

 テスト・ラン方式導入の勧め

 センター事業や農業関係などで協定を作るのに予想外の年月を費やす事例があった。持ち込みのCARにSをつけるかどうかだけで交渉が暗礁に乗り上げ、そのままになったものもある。協定となると外務省条約局のクリアランスがいり、大蔵省主計局(法規課)の了承まで取り付けなくてはならなかった。

「どうしても協定が必要なのか?」やるせない気持の中でそんな思いにかられたことが何度もあった。

 協定という重みのある形式で国際取極めをしておけば確実である。しかし、開発途上国の場合、その約定のいくつかが守られない事例は山ほどあった。協定を楯に文句をつけて履行を迫っても、効き目があると思われるケースはそう多くはなかった。「そんな協定のためにこのおびただしい時間を?」と何度も思った。

 そこで考えたことだが、日本のやろうとしていることを全く観念的にしか先方が理解していない段階では、噛み合った意見交換をすることがそもそも無理なのだ。議論が噛み合った状態になってから協定を結んだらどんなものだろう。大きいプロジェクトの場合ほどそうなのだが、本協定を結ぶ前段階でテスト・ランをやれば、そこで試行錯誤が繰り返され、その間に双方実務者の呼吸合わせもかなりできる。そうした試行錯誤と相互習熟のうえで本協定交渉に臨めば、本当に重要なことに争点を絞ることができる。守られやすい協定を期待できるのではないか。

 テスト・ランがうまく組めるかどうかは確かに問題で、事柄の性質がそれを許さない場合もあろう。しかし、少なくとも原局や現場と想定される先方担当機関の中に、半年ほど専門家を配置するくらいのことはできよう。こちらも先方担当機関の職場の雰囲気が呑み込めるし、先方担当機関でも日本の専門家とはどんな人間かの見当がつく。

 協力隊の場合でも、テスト・ランの期間は免税や特権のことは棚上げにして(当方内部操作でそれと同様の扱いになるようにすればよい)、とにかく一、二名出してみる手はありはしないか。また、協力隊そのものにJICA全体のテスト・ラン機能をもたせるという発想もできる。

 私は協力隊派遣にあたり、同じ国でも隊員を受け入れた経験のない官庁や地区に新規派遣する際は思い切って人数を絞り(できるだけ一名)、パイオニアの任に耐えそうな隊員を拾い出すため特別の吟味をしたものである(シニア隊員を優先した例もある)。

 テスト・ラン構想は、中国に技術協力の道をつけるにあたっても、常に私の念頭にあった。日本と規模感覚が違う中国であるだけに、流儀の違いからくる相互不信、規模感覚のズレからの不信感が生まれやすい。その危険はどの政府部門と話をしていても感じられたことであった。中国でのテスト・ラン構想は、もっぱらそのズレを縮めるために使った観さえある。もっとも、そうしている中でも私に一つの不安があった。テスト・ラン構想で説明する以上、本格化の際の大規模化に対応する予算と人材が整えられるかどうかということであった。

 中国は、ともかく小手先の理屈が通用しない国である。社会主義国での職場環境は、われわれの想像を超えるものがある。互いに気質を知り合うまでにどれだけの時間がかかるかわからない。大きな国なので地域差も大きい。ここ二、三年くらいは、対中技術協力全体がテスト・ランと見立てられていて丁度いいと思われる。ただ、それと同時に本格化の可否、仕組み、その他いろいろなことについて基本構想を練る作業は、対中基本政策の一環としてもう始められなくてはならないと思う。中国については、特に技術協力の全過程で中国の社会体質を見極める心構えが格別に必要だからである。

 中進国と富裕開発途上国

 結論を先に述べれば、資金協力はともかく、技術協力に関する限り中進国援助を打ち切るべきではないと思う。中進国援助における考え方を明確にしたうえで、いまと同等がそれ以上の力を入れるべきだと思う。その考え方の一案として参考意見を述べたい。

 いまのところ、アジアで先進国は一つしかない。この現状から脱却し、欧州、北米、極東と並列される時期が一年でも早く到来することが望ましいのではあるまいが。明治維新以来、日本が歩んできた道を思う時、特にこのことが脳裡を去来するのである。

 その暁に、明治以来の日本の果した国際的役割が総決算でき、監査を受け得るのだと思う。それだけではない。先進国になり得た国がアジアで一つでも新しく登場することの世界的意義は測り知れない。

 実務面でも中進国への技術援助は効果が高いという実情がある。仏作って魂を入れる段階にはそれなりに特有の課題はあるが、やりがいという面では新しい局面を開くことになるであろう。「日本人のマインドに学べ」という発言がシンガポールあたりに出始めている。「勝手に学んでくれ」では、わがほうに能がなさ過ぎる。授業料をタダにする必要は必ずしもないが、教える(ヒントを与える)準備はなくてはならないと思う。通常の技術援助を小・中学校教育にたとえるなら、中進国援助は、高校や大学教育である。この段階に即した〃教育手法〃を編み出す必要があると思う。

 中進国に対する技術援助は〃タダでなくていい〃ということを強調したい。政府援助の枠外にしたほうがいいかどうかを仔細に検討すべき局面も少なからず出てこよう。この面でこだわる必要はないと思うが、「日本政府が対価を受けるのはおかしい、対価を受けるなら政府援助の枠組み以外にせよ」というのは議論が単純過ぎるように思う。幹旋という形で政府が介在してもいい。政府部門がもっているノウハウの場合なら、援助は援助で、対価は対価で受け取ってどこが悪いのだろう。法律解釈論で無埋なら立法論に入っていって差し支えないではないか。

 一方、産油国などの富裕国に対する有償技術協力についても、私は肯定説である。技術援助は、この際因数分解して構造を立て直していいと思う。

 中国の場合、私はかなり極端なことを主張し続けた。「研修員は中国政府の資金で日本へ送り、滞在費まで負担せよ。専門家の授業料はタダとするが、滞在費は中国が負担せよ」というように。ノウハウ料の観念が三十年前の日本と同じでほとんどなかった中国は、それでは援助ではないと反論したが、それに対しノウハウ料を積算してみせ、目に見えない経費を日本政府がいかに負担するかを説明したものである。

 先進国は技術協力で無償方式をとっているが、実際は技術をタダで教えるほかに、周辺経費を潤沢にみている。このあたりのことも中進国技術援助構想の中で、理論を詰めておく必要があろう。機材供与の位置づけも同様である。

 チーム編成

 一人の専門家を単発的と評し、チーム化、プロジェクト化を口癖のようにいう向きがあるが、私はそれに賛同しない。一人でもワンマン・プロジェクトだ。規模は一つ一つの事例で決まる筈だと思う。

 大規模になれば効果があがるともいえない。〃船頭多くして船山に上る〃という現象がよく見受けられた。それはチームに規律がなかったからだ。出発の二カ月前に名刺を出して「どうかよろしく」という状態で組まれたチームが、挫折感に見舞われることの多い開発途上国の職場で、一心同体となり得たらむしろ奇跡に近い。一人は農林省OB、一人は何々県、もう一人は農家……というように全く所属も意識も違う者同士だったら、お互い馴染みがでてくるのにかなりの月日がかかる。まして性格が違っていたら、所属組織が同じくらいのことではなかなか壁を越えられない。本質的には永遠に片づかない性質の話である。

 そこで考えられることは、通常は期待できないにしても、チームの人選についてはまずその〃長〃を選び、他のメンバーの人選についてはまずその長の意見を基にするとか、少なくともその意見を最大限に尊重するなどして、寄り合い世帯に生じやすい弊害をあらかじめ封じておくということである。長の人選は最も重要なことであるから、管理能力を中心に考えるべきであり、必ずしも技術畑にこだわらないくらいの心構えでいていいのではなかろうか。

 チーム各人の住居についてもいろいろ考えなくてはなるまい。家族寮や団地方式は何か危急な時は役立つが、日常の人間関係保持のうえでは必ずしもいい方式とはいえまい。四六時中顔を合わせていると、日中の不快感が夜まで持ち越される。少し離れていれば職場でのシコリは帰宅後という冷却期間の功徳で消えやすい。亭主間のケンカが女房間のそれに伝播するといったたぐいのこともかなり少なくすることができよう。職場とは別の天地を与えることが息抜きとなって、人間関係のきしみを防ぐことになるのではないか。

 専門家に協力隊員をつける場合、このような配慮は特に重要になると思う。どちらが悪いというわけでもないが、気風の違いからお互いに気まずくなる公算は極めて大きいと考えられるからである。

 権限委譲

 協力隊にいた頃の私はよく、これは本部横暴のケースだとか、あれは現地横暴のケースだったとかいう言い方をし、その判定を足掛りにして事案を決したものである。残っている記憶では、本部横暴のケースが断然多かったように思う。何十枚にものぼる意見具申に対する本部の答が、誠にツレないものになろうとしている事例に毎日のようにぶつかった。機材申請の例だと、「フォームを送るからそれに書いて出し直せ」という式のものも少なくなかった。「これで二、三カ月は遅れる。任期の十分の一、下手をすると五分の一が空費される」と思ったものである。季節のあるものだと、その遅れが一年の遅れに等しくなると思われることもあった。

 返事の出し方(起案ぶり)もさることながら、「そもそも、こんなものだったらその国にだって売っているだろう。一時間飛んで隣の国へ行けば、即座に手に入るのではないか。それをいちいち日本で調達して送る必要がどこにあるのか」こう考えて私は、現地調達方式を大幅に取り入れることにした。隊員一人を二年派遣するコストを計算してみたことがある。確か一千万円前後になったと記憶している。

 それを正しいと仮定すると、隊員が一日空費すると一万円以上の損失、一力月空費すると四十万円、「わずか五万円か十万円安く調達しようとして、四十万円捨てる法があるものか」と思ったからである。金の問題だけではない。それで失われる士気を考慮したら大変なことだとも思った。

 確かに、かなりいい加減な申請をしてくる隊員もいた。本部のチェックが大切なことも往々にしてある。しかし、その本部のチェックがいい加減であれば、文書が往復しているうちに任期が空転するわけだ。駐在員にしっかりした者を送って、細部の権限を委譲するのがせめてもの改善方法だと思い、そのシステム設計に没頭したものである。アイデアまでは割合楽に立つが、いざそれをデザインするとなると大変である。委員会を作って事が進むものではない。そんなものをやたらに作っても本来の仕事が滞るだけである。本部でも少々のデメリットは覚悟のうえで、担当職員一人に全責任を被せたほうがましだと思うようになった。

 あれやこれや、技術協力事業がどんなに難しい、というより〃しんどい〃仕事であるかを痛感したものである。「審議会などで答申するように事が運べば世話はない」と独り言までいったものだ。「完全主義こそが、技術協力事業運営の敵だ」と思うようになった。権限の大幅委譲、そのための厳しい職員訓練、それで六○点が取れたら上出来、当時なら四○点でも合格するくらいでないとやっていけないと思った。

 権限委譲の中でも重要なのが、東京から現地への権限委譲である。「甲論乙駁は現地の環境と雰囲気の中でやるべし、JICAの定員全体の中では現地職員を増強すべし」というのが一貫した私の考え方となった。もっとも、それは〃言うは易くして行うは難し〃本部構造を徹底的に改造して初めて可能になる。したがって本部内の権限委譲のためには、常識的な秩序感覚から抜け出す必要があった。協力隊職員以外にやらせるわけにはいかないものを除いて、なんとか下請に出してしまう方法はないものかと模索もした。大きくなる企業ほど底辺に巨大な下請のメカニズムが構築されているのに注目した。

 これから経営管理などが協力分野として広がっていくと、民間人の動員量が多くなるに違いない。そうした場合JICAは、技術料の価値体系だけをきちんと決めておいて、ほとんど請負に近い形で事を進めないと、定員がいくら増えても追いつかなくなるのではなかろうか。〃切符売りから頭脳化へ〃JICA体質はそういう姿で変わっていかざるを得ないと思う。権限委譲、請負化こそが運営面で技術協力の拡大を支える道だと思う。

 気風

 JICAは、やや現地横暴気味で動いて丁度いいと思う。幹部が例外なく現地体験者である、といえる時代を早く作ることに腐心して欲しいと思う。プロパー職員は、若い時一度必ず海外に出す。中年の頃にはプロジェクト・リーダーか海外ブランチの長として派遣し苦労させる。なんとか海外勤務希望が多くなるようにインセンティブを考え出す(権限委譲もその一つ)、こんな努力が肝要ではないか。これらは事の性質上十年がかりで取組むべきことだと思うが、始めるのは一日でも早いほうがいい。

 気風の問題と関連するが、JICAの場合は職員の中に地域専門家を育てるのが賢明ではないだろうか。第一に言葉の問題である。地域研究的な素養もこれから不可決になるに違いない。技術だけの面でみたら、JICA職員が日本のトップクラスになれる見込みはない。努力次第で日本のトップクラスを目指せるものがあるとしたら、それは地域専門家となることである。

「その地域のことなら、JICAの誰々の意見をぜひ一度聴いておけ」といわれるようになれば、押しも押されもせぬ一流ではないか。そしてそれは夢ではない。JICAの人事方針と本人の努力次第である。

 こういう人材を育てることは、本人たちの定年後の選択肢まで広げる意味で測り知れない意味をもつ。それだけでなく、個人の生涯のプライドを越えて、JICAのプレステージをも高めるに違いない(開発途上国の大使の中には、常々数名のJICA出身者がいるような時代もくるかもしれない)。そのことはまた、真の意味の俊秀をJICAに集めるうえで決定的な好条件をもたらすのではあるまいか。(昭和56−57年、「月刊アピック」掲載)
 


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