伴正一遺稿集・冊子
 

連想


  一

 私のように最も多感な時代を海の戦場で送った者にとって、戦争と平和ということは、なんといっても最大の関心事たらざるを得ない。正義と秩序、自由と平等というような根本問題はもとより、すべての社会現象は、広い意味での戦争と平和(むしろ闘争と協調というほうが適切かも知れない)という観点から、その本質に迫ってゆけるように思われてならない。

 訴訟を戦争ないし闘争の、進歩した一形態として考えられないかということは、大学時代から、私の興味を惹いた話題であった。

 七世紀に Ine王が制定した法律には trial by battle なる訴訟形式が認められていて、血闘の結果、crauen(参った)と言ったほうが負けとなったそうであるが、この規定は形式上永く残っていて、一九二二年のなんとかいう事件に引用されて裁判所を面喰わせたとのことである。

 ロ−マの保佐人は、相手方を法廷まで引張って来る役目が、そもそもの起こりであったという。こんな特殊な例を挙げるまでもなく、自力救済は今日の戦争と本質的になんら異なるものではない。

 暴力と流血のみが、個人あるいは団体間の紛争を解決したであろう遠い昔から、今日のように、純粋に理論闘争を内容とする訴訟によって紛争が解決せられるようになるまでの、幾多の段階を吟味することに、私は限りない興味を覚えた。田舎のある爺さんが「腕力にかけても」というような口調で「裁判にかけても」と意気まいていたことを、私はその度ごとに思い出したのである。

 実定法生成の跡をたどってみると、相対的に単一民族の法や東洋の法には神授的なものが多く、また徹底的な征服関係においてはこの性質が保持されているようであるが、講和的・妥協的に融合した民族や階級の間の法は、多分に契約的なものである。ロ−マ法において、公法私法の泉といわれる十二表法は階級闘争終結の協約であり、近代憲法の祖といわれるマグナカルタもまたノルマンの支配階級とアングロサクソンの地方豪族との間の争乱の末に締結された講和条約である。これらは流血に代わる紛争解決手投を協定して、法延闘争を最後の闘争形式とすることを約した秩序維持契約にほかならない。かくして近代的な法は、戦を契機としつつ戦を収拾するものとして、いわば戦争を父とし平和を母として誕生したものということができよう。

 訴訟および法が戦争と平和という大き問題において占める地位は広くかつ深い。法が少なくとも大局的に人々の正義感に合致し、かつ法を支える実力が健在である限り平和は可能である。その反面、法がこれらの条件を失うならば、平和を守る最後の防波堤は実力の怒涛の前に決潰して社会は再び暴力と流血の昔に帰るであろう。人間社会において紛争の絶滅を予想することはできない。そうだとすれば暴力と流血を防止する最終の責任者は、紛争の発生を防止するものではなくて、発生した紛争を暴力と流血に至らしめずして解決するところのものにほかならないのである。

 とまれ、少なくとも国内的には、闘争の中心が、血を血で洗う戦場から理論と知識の戦場へと移動したことは偉大な進歩と言わざるを得ない。

 こんなことをかれこれ考えながら「悪法」をも含めての遵法の限界、逆に言って戦争や暴力革命の是認され得る条件について頭を突込んでいるうちに、大学を卒業して修習生になり、いよいよ起案なるものをやらされることとなった次第である。

  

 修習記録は、初めての私にとって、甚だ読みづらいものであった。民事第一回はまず五里霧中で、盲航行の末、案を出してしまった。講評を聴いた時は、そんなものかなあという気持で、霧の中にとにかくどこかの灯台から抗弁とか立証責任とかいう警笛が鳴っているのがわかるだけであった。

 第二回の修習記録も、五、六日の間は本箱で居眠りさせておいたが、どうも前回のざまでは愉快な修習生活はいつまで経ってもきそうにない。そこで思い出したのが大学時代の課題である。具体的,技術的にも、戦争と訴訟とは闘争形式として共通なものを持っているのだろうか。持っているとすれば、両者を比較しながら、前者から後者への進歩を考察することは、私のような経歴者にとって、訴訟技術の理解を大いに助けることになり、かつは世界の平和機構を考えるうえに甚だ意義あることである。

 かく考えて開いた修習記録の第一頁には、例によって起訴状の無味乾燥な活字がキチンと並んでいる。その第一頁を、煙草の煙と交互に眺めながら、この活字が生きて躍り出してくる手掛りを模索していた。なんだがありそうな予感はするが、煙草は徒らに短くなるばかりである。やがてとうとう一本は煙と化した。空になった私の手は、なんということなしにゆるりゆるりと訴状を写し始めた。

   訴状
  新潟県西蒲原郡漆山村大字漆山八十番戸
      原 告   漆山培本株式会社
      右法律上代理人取締役社長
             田 中 繁 太
      右訴訟代埋人弁護士
             出 家

 ここらあたりまできた時、空っぽな頭の中から何か動き出したものがある。

 私は紙を改めて丁寧に大きな字で「訴状」と書いた。そしてこの動き出したものをキャッチするためにペンを運んでみた。

 読み返してみるとこう書いてあった。

 訴状! なんと宣戦布告に似たることよ。……戦争法規は宣戦布告を開戦の要件とする。広く闘争関係の発生という点からみれば、両者は全くその軌を一にする。

 しかしながら、宣戦布告文書と訴状との間に横たわる正義の技術の巨大なる進歩を見逃すことはできない。なるほど宣戦布告の規定は、無秩序な開戦からみれば大きな進歩である。しかし、その内容は概ね当事国を特定するほかは、きわめて抽象的に正義乃至権利の擁護を唱え、武力に訴えるの已むなきを説明するに止まり、平和の条件を明示するが如きは絶無なるのみならず、往々にして指導者自身においてすら明確にされていないことがあるのである。これに対して訴状は、ひとり当事者を明かにするのみならず、闘争の限界は請求の趣旨によって明示せられ、主張する利益は具体的な権利として特定されているではないか。訴訟法はなんと洗練された「戦争法規」なることよ。

 しばらくして私は、訴状の次の文書をゆっくりと書いてみた。

  新潟具西蒲原郡漆山村大字漆山八十番戸

 ピンときたのは戦争における「地の利」と訴訟法における管轄規定をめぐる公平の問題である。しかしこの比較は、もう一度初めから訴訟法の復習をしないとできそうにもない。私は六法全書を二、三回めくっただけで、これを見送ってしまった。そして次に

  原 告  漆山培本株式会社

と書いた。

 この社団は、自らの利益を相互折渉、すなわち純平和的手段によって実現することを断念したのである。戦争と同じく、訴訟もまた徒らな出費を余儀なくされる。とすれば、原告においては、勝訴の利益が訴訟の出費を償って余りあるという採算を立てており、敗訴の危険をも計算に入れているに違いない。このあたり戦争と実によく似ている。しかし、訴は、時として採算を超えて提起される場合がある。表面的にはこれを感情問題とみることができる。しかし、感情の奥には往々にして深い人間性が潜むものであり、憤激の情をつきつめる時「世界滅ぶとも正義は守らるべし」という哲学的立場に通ずるものを発見することがあり得るのである。戦争といえどもかかる類型のものがないではあるまいが、国家の潰滅または共倒れは決して個人のそれと同日に談ずることはできないのである。

 一般的に言って、訴訟は功利的な打算ないし「政治的」な配慮のうえに立ちつつ、主張する利益が、権利すなわち正義の一環として争われている限度において、正義を擁護する強力な手段であると言うことができる。正当なる戦争や暴力革命もまた、その原始性・野蛮性を仮に除外して考え得るならば、かかる性質を持つことを肯定しなければならないであろう。「闘いにおいて汝の権利を見出すべし」私は前述の意味において、ここに真理ありと感ずるものである。

  右法律上代理人取緒役社長 田中繁太

 ここに大きな問題が横たわる。私は連想を馳せて「天皇陛下および日本国政府」なる降伏文書の文言に想到した(正確には当時の天皇は代表者ではないが)。今次大戦は国民の負担と危険において戦われた。そしてそれが、国民の「利益追求感」によって起こされたものなのか、代表者のそれから起こされたものなのか、そのいずれが真実であるかを私は知らない。この原告社団においても、構成員の負担と危険において闘われる訴訟が、彼らの意志に基づいて開始されたか否かは容易に究明し難いところである。人類の悲劇の大きな一つの原因は、代表という社会関係から永遠に不安を抹消できないという事実に存するのではなかろうか。もっと突きつめれば、社会には、人々の努力なしに枕を高くできるような制度はあり得ないのであって、人類は常に悲劇の危険に曝されるように運命づけられているのではあるまいか。

  右訴訟代理人弁護士 出家助衛

 私はまた連想をもって「戦争担当者陸海軍」と並べてみたいのである。

 弁護士はなんら生産をなすものではなく、広義の訴訟費用で生計を立て、訴訟担当を職とするものである。彼は法廷の軍人である。クラウゼヴッツを初め多くの戦争論者は、戦争において政治と戦略(政府と軍)といずれが優越すべきかについて両極説と折衷説に鼎立している。今次戦争中における軍の優位について戦争後、人は口をきわめてこれを誹謗するが、問題はしかく簡単なものではない。そしてこれに関する見解は、当事者と訴訟代理人に置き換えて、ほとんどそのまま妥当するのではあるまいか。何故とならば、戦争も訴訟も共に技術的であって、訴訟のほうがより専門的だということはにわかに断定し難いからである。

 私は日本において、政治と戦略との地位の適切な調和について、科学的にこれを問題とすることが欠けていたことを認めると同時に、同様な関係にある当事者と弁護士との関係があまり検討されていないのではないかと思うのである。私は知識・教養・実行力・熱意・誠実その他あらゆる人間的な力の総和において、戦争専門家たる軍人を適切な地位に抑えるだけの力量が、国民・国会・官僚などに欠けていたことを悲しむと共に、将来の問題として、訴訟専門家たる弁護士の分別と、当事者一般の「力量」の向上とが相まって初めて、裁判所の機能が全うされ正義が守られるのではないかと思うのである。このこと刑事事件において、国民を代表して反逆者と闘う検察官についても大同小異ではあるまいか。

  東京都渋谷区原宿三丁目三百五十三番地
      被 告  林  両太
(筆滞り、立って逍遙す)

 被告において共通なことは、彼の希望と現在の事実状態が一致していることである。故に彼は現状維持を欲するのである。これに反して原告は、常に希望と現状が一致せず、したがって現状変更を欲するものである。消極的確認の訴においてすら、彼は不安の存続状態を除かんと欲する点において積極的である。以上の結論は、もちろん双方の希望利益の必要性、切迫性に触れるものではないが。原告にとって現状から希望状態への道には、権利の天王山をかち得ることが必要であり、そのためには相当な戦費を割かねばならぬ。そして被告にとっても現状維持の唯一の道たる「天王山」確保のために、挑発されたる戦の戦費を忍ばねばならぬ。労せずして利益を得、また、守ることの難しきかな。

  賃金請求の訴

と書いた時、自宅研究の一日はすでに大半を過ぎていた。修習記録はまだ二頁が開かれている。私は再度の霧中航行を覚悟して、急行に転じた。戦争ほどではないが、闘争技倆が勝敗に大きく影響せざるを得ない姿をあちこちに見ながら。(第三期司法修習生、昭和24年、「司法研修所報」掲載)
 


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