ネタジを憶う 元光機関員 林正夫

 ネタジを憶う 元光機関員 林正夫
 「ネタジ」とは、インド語で「指導者」という意味の尊称である。だから「ネタジ」と言われるインド人はスバス・チャンドラ・ボース氏の他にもいる筈である。しかるに「ネタジ」といえばチャンドラ・ボースー人に限られているのは、彼の傑出した偉大さが「ネタジ」の持つ意味を決定づけているからであろう。私がスバス・チャンドラ・ボース氏の名前を初めて聞いたのは一九三二年であった。先年カルカッタ市長に選ばれた彼が、市長自ら独立運動の急先鋒として示威運動に参加して逮捕され、釈放されるや、たちまち祖国独立のために挺身する火の玉のごとき情熱を知り、若き血をたぎらせたものである。
 一九四一年になると、私も本格的にインド独立運動に身を投ずるようになったが、その頃は中村屋のラス・ビハリ・ボース氏やデス・パンディ君等と、インド問題で夜の更けるのも忘れて語り合ったことも一度や二度ではなかった。あの頃の同志も今は既になく、思えば感慨深いものがある。
 その頃ネタジは入獄中の身であったが、世界の大勢とインドの立場は、もはや一刻も座視するに耐えず、彼は断食によって自己の容態を悪化させ、仮出獄を強要せしめて、ついにインドからベルリンヘの決死的脱出を決行したのである。
 一九四二年、日本軍のシンガポール占領にともないインド国民軍は編成され、インド独立連盟と呼応して、いよいよデリーヘの道へ本格的な進撃が開始されることになった。この時、一九四三年四月、インド洋上でドイツ潜水艦より日本の潜水艦に劇的な移乗を決行して、極東の一角に姿を現したチャンドラ・ボース氏こそ、インド民衆の尊敬と思慕を一身に集めた、他に比類なき指導者であった。
 一九四四年三月、ビルマ、ラングーン郊外ミンガラドンに集結したインド国民軍の進撃にむかって最高司令官チャンドラ・ボースは、将兵を閲兵して約一時間に亘る大熱弁をふるった。
 「いまや吾々は祖国インドの自由と独立をめざす絶好の機会を得たのである、この千載一遇の好機に吾々は日本軍と協力して自由と独立の崇高なる目的達成の為め全力を尽して戦わねばならない、それが祖国インドヘの最大の責務である、その吾々の一挙一動はインドに苦吟する五億の同胞が驚異と大きな期待を抱いて注視していることを知らねばならない、そして吾々のこの固き決意と自信を持って進撃する時、必ずや自由インドの独立は達せられるであろう、而して今こそ印度国民軍に与えられた任務は甚だ重大であり且つ此の上なき名誉でなければならない、願くば各自悔を残すことなき最善の責務を達成し独立インドの一日も早からんことを祈る」とのネタジの火の如き情熱からほとばしる此の劇的な熱弁に武者振いをせぬ兵土は一人もなかった。実に意気天をつく盛んな実に感慨に満ちた出陣式であった。此の火の如き熱弁を聞いた私も身震いする程の感動を覚えた、そしてこの時のネタジの勇姿を今も私は忘れることは出来ない。
 戦時中、光機関員として苦楽を共にした私は、国民軍の将兵がネタジの命に服する様子は、生死を超越して劇的であったことをしばしば感じている。これほどの崇敬と信望を集めていたネタジなればこそ、複雑なヒンドウー教、回教の対立を解消して、一つに融合させることも出来たのである。これこそ、不可能を可能にした一大事実であり、彼以外にはとうていなし得ることではない。戦後、インドとパキスタンに分裂してしのぎを削っていることでも、これは容易に立証できることである。この偉人が飛行機事故によって幽明を異にしたことは、インドだけでなく、日本にとっても、実にかけがいのないマイナスであることを思い、返すがえすも残念でならない。
(一九六〇年五月七日スバス・チャンドラ・ボース・アカデミー発行『ネタジ』)


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