自由インド、その問題点(ボースの論文)
この論文は、ドイツの雑誌『ヴィー・ウント・マハト』に一九四二年八月に掲載され、インドでは永らく発表されなかった。外国の読者向けに書かれたものだが、現在のインドで読まれるべき独自の価値があるものと思われる。(ネタジ・リサーチ・ビューロー発行『NRBブレティン』編集者の言葉)
新たなる覚醒
イギリスによるインド占領は一七五七年、ベンガル・ファーストと呼ばれる地方がイギリスの手に落ちた時に始まる。占領は拡大し、最終的には一八五七年、偉大な革命の後に完成した。この革命は、イギリスの歴史家は「セポイの反乱」と記しているが、インド国民の立場からは「最初の独立戦争」である。初期の段階では革命は成功したが、インド人の指導者に戦略と駆引の面が欠けていたため、最終的には失敗した。イギリス側が戦略と駆引の面方で優れていたからだ。とはいえ、イギリスは非常な困難の末、やっと勝利を得たのであった。革命の失敗後、インド中は恐怖による統治が跋扈した。インドの人々は完全に武装解除され、イギリスはそれを現在に至るまで続けている。今では彼らはこの一八五八年の武装解除が歴史上大いな過ちであったことを認識している。というのも、武装解除が広い範囲にわたるインドの弱体化と無気力化を起こしたからである。
一八五七年の偉大な革命の失敗の後、インドの人々は一時意気消沈した。しかし世界各地の革命によって刺激され、一八八五年にインド国民会議が結成されると、政治的覚醒が始まった。今世紀初め、ナショナリストの運動は二つの新しい方法、イギリス製品排斥と密かな反乱を展開した。先の世界大戦の後、一九二○年代、ガンジーは新たな「市民大衆による不服従運動」の方法、武器を持たずに外国の統治を覆すことを目的とする消極的抵抗を導入した。現在、このような運動の高まりは、インド国民がイギリスをインドから追い出す可能性を持つという新たな段階をもたらしている。
今日の状況
今日のインドは、イギリスがすべての人々から憎悪されている状況である。国民の大部分は現在の国際的危機を大英帝国の軛(くびき)を覆すのに利用することを望んでいるが、国民のほんの一部分は可能なことはイギリス政府の妥協を引き出すことと考え、覆すには不十分だと感じている。道義的信念を失い、イギリスに協力しようというインド人は一人としていない。それ故、イギリスの支配はインド人の善意の上に安住することが不可能になり、銃剣によってのみ可能になっている。
多くの人々が、イギリスがインドのような巨大な国を比較的少ない武力で統治していられるのはなぜか理解できないでいる。その秘密は、少数とはいえ近代的な軍隊が、膨大だが武器を持たない人々を抑えることができるから可能なのである。近代的な占領のための軍隊は長期間にわたって敵対する勢力との戦争に巻き込まれず、人民により組織され、内部から盛り上がった武力抵抗を鎮圧することが可能だった。だが、現在イギリス帝国は他国との戦争に関わり、その力が顕著に弱体化し、インド人民がイギリスの支配をやめさせ、永遠に終らせるための革命に立ち上がることが可能になったのである。従って、インド人民はこの闘争において武器を取り、現在イギリスと戦っている勢力と協力する必要がある。この事業はガンジーには成すことができない。今、インドは新たな指導理念を必要としているのである。
インドが自由になる時
多くの人たちが、イギリスがインドを手放すには何が起きる必要があるのかという質問をする。イギリスの宣伝は、多くの人たちにイギリスなしではインドは無政府と混沌状態になると思わせてきた。だがそのような人たちは、イギリスによる占領が一七五七年に始まったばかりであり、占領は一八五七年まで完全なものではなく、それまでのインドは何千年もの歴史を持つ国であることをいとも簡単に忘れてしまっている。もしもイギリスの統治以前にインドにおいて文明や文化、政治的・経済的繁栄があったとすれば、イギリスによる統治が終ればそれらは可能であるに違いない。事実、イギリスの支配下ではインドの文化や文明は抑圧され、政治は国民の手から奪われ、豊かな繁栄した国が世界で最も貧しい国の一つにされてしまった。
新しい地方自治
イギリスをインドから駆逐した時、第一の仕事は新しい政府の樹立、秩序と公共の安全の確立だろう。新政府の仕事には地方自治の再構築、国民軍の創設が含まれることが必要だ。地方自治の再構築は比較的簡単である。過去、地方自治は常にインド人の手によって運営され、最高の地位にだけイギリス人がいたのである。この二十年間に、最高位のイギリス人にインド人が徐々に代ってきているほどだ。中央政府の総督府の閣僚の一部もインド人になっている。一九三七年以来、地方政府では大臣はすべてインド人で、イギリス人の役人がその下で働いている。高い地位がイギリス人からインド人に代った時、インド人はイギリス人より高い能力を示している。インド人の大臣や役人はイギリス人よりもこの国に精通しており、国民の繁栄に熱意を持っている。だから、インド人がそれまでのイギリス人よりも効率よく活動したのは当然である。簡単に言ってしまえば、我々は今日のインドの役所によって訓練された経験豊かな母体を持っているので、地方自治の再構築には何の困難もないのである。自由インドの新政府は地方自治のために新たな政策と実施計画を提示し、指導者に新たな指導理念を与えるだけでよいのである。
国民軍
国民軍の建設はこれよりは困難な仕事である。もちろん、インドは膨大な訓練され経験のある兵士を持ち、この戦争の結果、その数は増大された。しかしつい最近まで、インドの軍隊は大部分がイギリス人によって指導され、高級将校は例外なくイギリス人だった。戦争状態のため、イギリスは数多くのインド人将校を無理矢理任命したが、高級将校はほんの数名にすぎない。戦車、飛行機および重火器等の近代兵器は、以前はイギリス人に渡されていたが、状況におされインド人にも渡されるようになった。そのためインド人高級将校の不足という状態は依然残り、国民軍の建設にはいくつかの困難が存在するだろう。このような観点から、インドの主要な問題は、国民軍の完全編成を十年以内に行うため、大量の将校をすべての階級にわたって短期間に養成しなければならないということである。国民軍と共に、海軍と空軍も平行して、可及的すみやかに建設すべきである。ある期間インドが平和を享受でき、いくつかの友好国の援助が得られるなら、国家の防衛組織の問題は満足な解決を得られるだろう。
新国家
将来のインド人国家の存在形態を云々すべきではない。可能なのは、ただ国家とその形態を決定する基本原則を示すことである。インドはこれまでいくつかの帝国を経験している。このことは我々は我々の政治的崩壊を招来した原因を考察し、将来における政治の再建を準備しなければならない。さらに、今日のインドの知識階級は現在の政治的諸状況と密接なつながりを持ち、深い関心を抱いていることを忘れてはならない。そしてまた、我々はヴェルサイユ以後のヨーロッパの他の場所における政治的体験を考察すべきである。そして最後に、我々はインドの状況から何が必要であるかを考察しなければならないのである。
しかしながら一つのことははっきりしている。それは強力な中央政府が作られるということである。さもなければ秩序と治安が安全に保持されない。強力な中央政府を支えるのは良好に組織された統制された全インド的政党であり、それが国民と一体化を進める最大の手段になるだろう。
新国家は個人や団体の完全な宗教的自由を保証し、国家の宗教を持たない。政治的・経済的諸権利は全国民の間に完全に平等である。すべての個人が雇用、食物供給、教育、そして宗教と文化の自由を得た時、もはやインドには少数派問題は存在し得ない。
新しい制度が確立し、国家期間が円滑に機能を始めれば、権力は分散され、地方政府により大きな権限が写えられるだろう。
国家の一体感
新国家の一体化のためにはあらゆる可能な宣伝手段、つまり新聞、放送、映画、演劇等を国が保有すべきだ。反国家的、あるいは国家を分断する要素、イギリスの秘密機関に類するものが国内に存在するならば、それは完全に制圧されるべきである。適当な警察力がこの目的で組織され、国家の一体化に反する攻撃は重く罰されるようすでに国土の大部分で理解されているヒンドゥー語がインドの共通語に採用されるべきである。ヒンドゥー語による学校における初等・中等教育、大学における高等教育は特別な現象、すなわち早期から国家の一体化の精神の涵養を可能にするだろう。
イギリスの宣伝は、インド回教徒は独立運動に反対であるという印象を作り上げてきた。しかしこれは完全な偽りだ。国民的運動において回教徒が大きな比重を占めているのが真実だ。現在のインド国民会議の総裁アサドは回教徒である。大多数の回教徒は反英であり、自由インドの実現を求めている。回教徒あるいはヒンドゥー教徒の親英政党が宗教政党であることは疑いない事実だ。しかしこれらの政党は決して人民を代表するものではないのである。
国家の一体感の上から、一八五七年の革命運動は偉大な実例である。この戦いは回教徒であるバハダール・シャーの旗の下に、あらゆる宗派の人々が一体となって闘われた。それ以来インドにおける回教徒は国家の自由のために働き続けてきた。インドの回教徒問題、あるいはムスリム問題は、アイルランドにおけるアロルスター問題やパレスチナにおけるユダヤ人問題と同様、イギリスの人為的産物であり、イギリスの支配が払拭されれば消滅するものである。
社会的諸問題
新制度が確立すれば、インドは全神経を社会的な諸問題に注ぐことが可能になる。社会問題で最も重要なのが貧困と失業の解決である。イギリス統治下のインドの貧困は、イギリス政府によるインド工業の組織的破壊と科学的農業の欠如の二つの主要な原因に根ざしている。イギリスの統治以前のインドは必要な食糧と原料を生産し、衣料品などの工業の余剰生産物をヨーロッパその他に輸出していた。産業革命の出現とイギリスの政治的支配はインド古来の産業構造を破壊し、イギリスは新たな工業の構築を許さなかった。イギリスはインドを意図的にイギリスの産業に必要な原料供給国にしてきた。その結果が数百万インド人の失業であった。この結果、かつて肥沃であったインドの大地は痩せた荒地となり、現在の人口を養うことが不可能になった。貧農層の約七〇%が年間約六カ月働けないでいる。インドの貧困と失業問題を解決しようとするならば、工業化と科学的農業を国家目標にする必要がある。
外国の統治下、イギリス人は支配者であるだけでなく、労働力の雇用者であり、インド人を悲惨な状況においた。自由インド国家は生活賃金、疾病保険、事故による保障等の労働者の福祉を用意しなければならない。また同様に貧農層は過度の小作料と常識外の借金から解放されなければならない。
このような点から、インドにとってArbeitdienst, Winterhilfe, Kraft duruch Freude のような労働者福祉の研究機関が非常に興味深いものである。次いで重要なのが公衆衛生の問題である。この問題はイギリスの支配下では未解決のまま取り残されている。幸いにも、現在のインドはイギリス人医師より優秀な資質の優れた多くの医師が公衆衛生に携わっている。国家の援助と財政的補助を与えることにより、各種疾患の根絶に大いに貢献することが可能である。これにはインド古代の医療法であるアユールヴェーダやウナニも有効である。
さらに、多くの地方で約九〇%にものぼる文盲という恐るべき問題がある。だがこの問題も、国家が財政的基盤を準備すれば、取り組み不可能なほど困難ではない。職に就いていない教育を受けた男女が大勢いる。自由インドでは、こういった人々を国中に送り、学校や専門学校、大学の創設に従事させることが可能だ。このような仕事や体験が、インドの国民が必要な教育組織の発展をもたらす、幸いなことに、サンチニケタンのタゴールの学校、ハルドヴァールのグルカ教育機関、ベナレスのヒンドゥー大学、デリーのジャミア・ミラ(国立ムスリム大学)、ワルドハ近くのガンジーの学校などですでに経験が積まれている。さらに我々にとって、イギリスの統治以前作られた教育機関も興味がある。
筆記言語に関して私見を述べれば、現在国内に流布されているものとは異なり、自由インド政府はラテン文字の普及に努めるべきである。
財政問題
自由インドが大きな課題が要する資金をどのように得るかは非常に重要な問題である。イギリスは金銀を奪い、今では僅かしか残されていないが、イギリスはこの国を離れる前にそれらを再び移動することは確かだ。インドの国家経済は当然、金本位制を放棄し、金ではなく労働とその生産に基づく考え方を受け入れるだろう。貿易は、一九三三年以後のドイツのように、バーター貿易(物々交換)を原則に、国家の統制下に行われる。
計画委員会
再建の諸問題を実行する際に、一九三八年十二月、私がインド国民会議議長の時、生活のすべての分野の再建計画を作成する国家計画委員会を開設したことが参考になる。この委員会は既に価値ある業績をあげ、その報告書は我々の将来に役立つだろう。
藩王問題
インドの藩王とその領地は時代錯誤なものであり、早急に廃止されるべきだ。イギリスがこの国の一体化を妨害するために保護しなければ、これらは相当前になくなっていただろう。藩王の大部分はイギリス政府の熱心な支持者であり、イタリアのリオルギメント運動(国家統一運動)においてピエモントが果たしたのと同様な役割を演じようとする藩王は一人として存在しない。藩王領の人口はインドの全人口の四分の一であり、英国の統治するインドにおける国民会議派に関係の深い大衆運動が存在する。藩王の大部分は領民と縁遠い存在であり、当然イギリスの統治と共に消滅するだろう。イギリスが藩王に近代的軍隊の保有を許さなかったという単純な理由から、藩王が自由インド政府に対する障害になることはない。これとは逆に、藩王が革命に参加するなら、居住地が与えられるだろう。
国際関係
過去において、インド没落を招いた原因の一つに外部世界からの孤立がある。それ故に、将来インドは他の国々と密接に接触しなければならない。インドは地理的に西洋と東洋の中間に位置し、これがインドの文化的、経済的、政治的役割を確かなものとするだろう。
将来、現在インドの敵と闘っている三国同盟諸国と密接な関係を築くことが自然であろう。
陸軍、海軍、空軍の建設と同様に、インドの迅速な工業化には、海外からの援助が不可欠だ。インドはあらゆる種類の機械、科学技術の知識や設備と専門家が必要になる。さらに、国防力の建設には軍事専門家や兵器も必要だ。これらは三国同盟諸国が価値ある援助として用意できる。自由インドでは生活水準が急速に上昇し、その結果、消費は急激に増大するだろう。そして自由インドは工業製品の巨大な市場となりそれがすべての先進工業国にとって魅力となる。
そのかわり、インドは人類全体の文化と文明に何らかの貢献をすることができる。宗教や哲学、建築や絵画、舞踊や音楽、そしてその他の芸術や手工芸において、インドは独自なものを世界に提供できる。このような進歩から判断するに、外国の支配という困難にもかかわらず、インドが学術と工業的発展において大きな成果をあげるのは非常に速いと私は確信している。
若いインドには成し遂げるべき巨大な課題がある。数多くの困難が起こるのは疑いないが、そこにはまた戦う喜びと光栄そして最終的な勝利がある。
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