スバス・チャンドラ・ボース氏の遺骨について 蓮光寺住職望月教栄
一九四五年九月十五日午前八時頃、堀の内妙法寺役僧が当寺に来られ、秘密の内に、同年八月十八日台北飛行場にて死亡した印度独立軍最高軍司令官チャンドラ・ボース氏の葬儀を依頼された。当時世情不安にて、妙法寺住職並近隣諸寺は種々の事由から悉く拒絶されたが、蓮光寺住職は変っているから是非引き受て貰いたいといふ相談である。私は霊魂には国境はないのみならず、死者に回向することは仏法に従事する僧侶の使命だと感じ、即時快諾した。其の結果同月十八日午後八時、ボース氏の遺骨を当寺に持参して葬儀を挙行することになつた。
参列者は参謀本部の平服軍人、ボース氏親衛隊員、サハイ夫人、アイヤ氏、ムルテイ氏、木村日紀氏、其の他印度人、日本人約百名が参集した。
其の後印度人が参拝に来寺したが、極秘故遺骨保全に苦労し、日夜心身共につかれ、寺務に支障を来たした。一九五〇年サンフランシスコ平和会議の頃になると、ボース氏の事が新聞報道せられる様になり、印度代表部チェトル氏と共に外務省儀典課長田村幸久氏が当寺に見えられ、ボース氏の遺骨に参拝した。同年五月、六月にボンベイ情報官、アイヤ氏調査に来られ、再度来寺、トラベル一等書記官も来寺、貴下の行動如何によつては日印関係の紛乱する事があるかも知れぬ故自重されたいと言い、ボース氏のために身命を賭したことを感謝し、最上の敬意を示した。ラウル大使が来朝し再参来寺し、諸事よろしくと頼まれた、私も一九五三年二月下旬にラウル大使と会見し、ボース氏の遺骨に対し指示を求めた処、利欲に利用する事、不純な策動に乗る事、其の他の目的に利用するのは全部拒否する方針である。但し貴下主催する分には構わぬと言つた。
一九五三年十一月二十七日、私は印度首相ネール氏へ手紙を出して如何に処理をすべきかを尋ねた処、一九五四年月十二日に極秘の内に、ネール首相代理として大使館より二人来寺し、葬儀及遺骨に関する私の努力に対し絶大な感謝を示し、その所置に関しては骨に私の誠意を信じ、私を信頼して当分之を回向して預り呉れと云はれた。
一九五六年五月三十日、チャンドラ・ボース死因調査委員会に呼ばれ、当時の模様を聞かれた(詳細は印度政府発行調査記録にあり)後三人の委員は直ちに当寺に参り遺骨に焼香供養した。スレス・チャンドラ・ボース氏は涙を流し、立ち上る事すら出来ず、私も共に泣き手を取り自動車へ乗せ帰らせた。
一九五六年十月十二日に外務省より報告書が届いた。要約すると「委員会が挙げている証拠が本事件に関連するほとんどすべてを網羅しているので、承認さるべきである。要するにボース氏は台北で飛行機事故の為め不慮の死を遂げ、現在東京都蓮光寺にある遺骨は、同氏の遺骨であると認められる。このボース氏の遺骨を将来インドに持ち帰り、記念塔を建立する必要がある。ここに永年にわたり大いなる崇敬の念をもつて遺骨の保護に当つて来られた蓮光寺住職に対し深甚なる謝意を表したい」と。
以来、一九五七年八月十八日、ボース氏十三回忌大法要を挙行す。列席者はインド大使館員外務省、其他多数。
一九五七年十月十三日、ネール首相来寺親しくボース氏遺骨に参拝、私に感謝の意を表した。
一九五八年十月四日、プラサット大統領来寺参拝敬意を表した。
一九五九年十二月四日、シン印度大使参拝し敬意を表す。
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