スバス・チャンドラ・ボース氏について 山本敏

 スバス・チャンドラ・ボース氏について 元光機関長 山本敏
 私がスバス・チャンドラ・ボース氏に初めて会ったのは一九四二年でした。ベルリンの日本大使館における一時間半の会談で、私はボース氏の人格に深い感銘を受けました。私は、よく知られた人物を含め、多くの政治的亡命者に会いましたが、ボース氏ほどの感銘を与えた人物は一人としておりません。その後の会談を通じて、私はボース氏の人を惹きつける人柄が世界情勢に対する広い視野とインド独立に対する燃え上がる情熱から来ていることを、次第に理解するようになりました。
 私は、日本が無謀な太平洋戦争を行っている一九四三年の始め、ベルリンから日本に帰国いたしました。当時、日本の政府は大本営同様、インドの独立問題に多大の歓心を寄せていたとは申せません。そしてボース氏のアジア諸国訪問にも興味を示しませんでした。私はボース氏の訪問の重要性を何回も報告しましたが、残念ながら、私の上司は報告に大きな関心を示しませんでした。しかしながら、あの時代の日本の政府や人々が現在ほどインドに関心を払わなかったと責めることはできないでしょう。
 こういった状況下、スバス・チャンドラ・ボース氏は日本を訪問しました。一九四三年の暮れでした。奇妙なことに、ボース氏が東京に現れると、日本人のインドに対する関心が大きく変化しました。私を惹きつけたボース氏の魅力が、東条首相を含め、日本人を熱狂的にとらえたのです。今度は、ボース氏とインドに関する事柄が日本でも大きな話題となり、公の活動にボース氏は熱心に引き出されるようになり、ボース氏を演説会や会見で紹介することに何の困難を感じなくなりました。
 氏の日本滞在はそう長いものではありませんでしたが、日本人は非常に感動させられました。このことは、それはもういつでも誠にすさまじいものでしたが、氏の演説に対する歓声や万雷の拍手にはっきりと現れていました。
 ボース氏とのお付き合いのほんの始めの頃は、私は氏の魅力がどこから来るものか理解できませんでした。大部分生まれついて備わったものではないかと感じていたのですが、三年間の親しい個人的な交際を通じて、やがて氏の自らに課した厳しい自己鍛錬とやむことにない没頭が、インド独立の実現を目指す鍛錬と没頭ですが、彼の人間的魅力の源泉になっていることを認識するようになりました。この崇高な目的のために、氏は心血を注ぎ、一刻をも惜しんだのです。
 私は氏が時間を無駄にしているのを見たことがありません。ボース氏はいつも独立への茨の道を短縮するための演説会や執筆にこの上もなく熱心に取り組んでいました。健康を維持するだけの短い睡眠は、彼が自分に許したたった一つの贅沢だったのですが、いかに多くの夜を演説や執筆のために犠牲にしていたことでしょう。
 戦時には、真実が政権により宣伝される作り話で隠蔽されることがしばしば起こる。イギリスの、ボース氏は日本政府の手に操られる単なる傀儡であるという宣伝が、声高に、執拗に繰り返されたのはその好例である。それまで経験しなかったこのような根拠のない報告にもとづく煽動に、さすがのボース氏も神経質になっていた。思うに、ボース氏は独立独歩の精神が侵害される位置に置かれたことがなかったためではないだろうか。独立独歩の精神にとり、友好以外の何ものかを代償として求める援助はボース氏をひどく困惑させたに違いない。
 私は、ボース氏に指導される独立運動に対する政治的、経済的支援はいかなる騒音にも煩わされるべきでないと、危険を犯して申し出た。さもなければ、独立独歩のボース氏に何ができるであろうか。実際ボース氏は、独立運動継続に必要な日本からの援助を「贈与」の形では決して受け取ろうとはしなかった。援助は常に「借款」の形でサインすることを主張した。これはボース氏が日本の友情を信頼し、日本が可能な援助に対し感謝の念を持ちながらも、貰うのではなく借用するのだと考えていたことに他ならない。ボース氏は決して憐れみを乞わなかった。このようなボース氏がどうして傀儡だろうか。
 「平和」が真剣に希求されている現在、私は戦いの精神を称賛することが時代錯誤と受け取られることを怖れる。しかし私は、生命を賭けてチャンドラ・ボース氏が指導した独立運動の戦う精神を称賛せずには入られないのです。インド独立の戦いのまっだなかにおいて、ボース氏の思いやりのある性格は、理由のない戦いを決して許さなかった。独立という崇高な目的を求めることだけにボース氏は戦い、次第次第に戦う精神を自己のものとしたのである。
 ボース氏はインド独立に最後の血の一滴まで捧げ、同じ目的を持つインド人の人々に同じことを求めた。氏はインドの人々に繰り返し「我々すべてにとって、今こそ祖国のためにすべてを捧げるときである。青年たちよ、偉大なる祖国のために諸君の血を捧げよ! 富めるものよ、母国を救うために諸君の富を捧げよ」と言って愛国心を訴えた。
 私は戦場におけるボース氏の勇敢さについてここに書くことはできない。それは一九五六年八月に日本の外務省アジア局発行の「スバス・チャンドラ・ボースとアジア」の中に詳細に述べられている。しかしこれに関連する私の一つの経験をお伝えしなくてはならないと思う。
 ボース氏が軍の護衛下にあった時、その行動が精力的で移動が激しく、周辺に衛兵が全くいなくなることがしばしばあった。私がイギリスの狙撃兵や機銃にもっと気を配るように頼みますと、ボース氏は「すでに私の命はインド国民軍に捧げたものであり、数千の私の同志が今この瞬間にもインド独立のために血を流している。どうして私一人だけが自分の安全に気を配れますか」と答えられた。この言葉を聞いて、私は彼の勇気と愛国心にもう一度心を揺り動かされたのです。


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