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  印度と日本  サー・ラビンドラナート・タゴール

India and Japan. Sir Rabindranath Tagore, Speech made at Osaka Tenoji Hall, 1, June, 1916
大正5年6月1日午後7時より、大阪天王寺公舎堂に於て講演 (English


 私が貴國に參りまして以来といふものは思ひもかけない非常に御熱心なる歓迎を受けましたので、私は全く驚いたのでありますが、併しこの驚きたる、私に取っては寧ろ非常に愉快なる驚きであります。

 私は初め新進の國民――それは、他の擦れッからしの先進諸國と競争して行かなければならない、叉後れ馳せに、争奪商業や侵略政治の行はるゝ現代の競争場 裡に立ったが為に、後れたゞけを早く取りかへさねばならないところの新進の國民には、詩なんぞは殆ど這入る餘地はあるまいとの、うら淋しい念を懐いてゐま した。

 蓋し自然淘汰の法則は、身を護るに強靭な皮を有せず、叉獰猛残虐なる牙をも有かないで、生れて来たところの詩人をば、強烈なる軽侮心をもって眺めるもの でありまして、詩人のうたふ所の歌も、人生の競争には却て邪魔物とされ、而して生存の為の競争は、その残忍なる足下に、韻文や韻律を蹂躙しつつ、誇りかに その道を進み行くものなのであるからであります。

 でありますから、私が貴國に参りまして、諸君の胸臆に尚ほ地の緑と、空の碧を容るゝの餘地あり、叉此國に咲く櫻の花は、成る程、現代―それは鋭昔を立つ る諸機械や、最新の諸発明、例へば波形になった海鼠屋根や、蓄音機や、活動写真などの行はるゝ現代――に於て、尚優に競争に勝へ得る筈だといふことが、私 に合点されるやうな工合に、待遇されますことは私に、取って、實に一の偉大なる慰藉であります。

 私の幼時から、私の思ひは常に日本に絡みついてゐた。其後私は偉大なる貴國民が、亜細亜に於て巌然頭角を現はし来れる驚くべき勃興を目睹した。で、私の 最大希望の一は、日本――に其處には東西両洋の文明が相合して、而も相許す二人の戀人のやうに、十分に和合してゐるところのその日本――を訪問するといふ ことであった。

 而して日本が現代に於て有する此の親和力は、日本の過去の何れより来り、且つ如何にして養はれしかを知りたい、又何處に此の國力の神秘――それは恰も百 錬の鐵を以て作った名刀が、撓めとも折れざる弾力を有し、而も臨機應變、撃って外づるゝことなきが如き此の國力の神秘――が何處に存在するかを知りたいと いふのが、又私の希望でありました。

 私の想ひが、いにしへの日の日本に振り返るとき、私はその時代の佛教僧侶が、私の國を發して、高峻なる山脈を踰ゑ、廣大なる高原を横ぎり。支那の大河を 渡り、遂にこの海に達しましたことを想起します。彼等は種々の困難と戦った。単に気候や地理上の困難ばかりではない。言語や習慣上の困難とも戦はねばなら なかった。

 けれども彼等は邁進した、心に人類同胞の信を懐くが故に強く。而して活きたろ事業に於て、其の信仰の真なることを明かにした。それ故に彼等の場合に於き ましては、外的困難の爾かく多大なりしに拘らず、内面の通路は、其の信仰に對する熱心と、人生の真理に對し――發見探求して止まなかった――献身とによっ て、寧ろ坦々と行かれたのであります。
斯くて彼等のことがらが、逡に日本の海岸に到達し時に、彼等の理想は貴國民の裡に初めて安住の場所を見出し得たのでした。

 私は古代に於ける此等の行脚僧が我が印度の海岸を發してより、屡次邁進したるべき非常の艱難辛苦と、私の今度の旅行に於ける平易と愉快とを對比せずには 居られませぬ。往時にあっては幾年もかゝつたに相違ない其の旅行を、今は一箇月足らずで成し遂げられる。けれども此の近代の文明は、生活を愉快にし、且つ 生活の外的進歩を急にせんため、あらゆる機械の應用をなしてゐるが、それが為に却って人間内部の精紳には障碍となってゐる。

 何故ならば近代文明は吾人の生活を著しく紛雑ならしめ、価て簡易生活による精紳の透徹を滅ぼして了ったからであります。で、今やわれわれに属する事物の 方が、われわれ自身よりも顕著となり、われわれの用務は餘りに多端となり、われくの娯架を取ることは叉餘りに屡次となり、斯くて生活の表面に浮ぶ滓は濃厚 不潔となりました。

 あらゆる屑砕――文明が費消した莫大なる物質の屑砕――は非常の範囲に於て真生活の障碍を大ならしめ、而して其の障碍は常に深奥なる吾人の本性を閉鎖するのみならす、又之を窒息せしむるのであります。

 此の結果、人の性質は徒らに表面界に於てのみ現はるゝことゝなりました。この表面の世界では、富とは物質的の富であって、力とは組織の能力であり、敢為 とは野望に勇なることで、科學は即ち心であるといふ次第であります。斯くて人の心は苟も官能の満足を得んが為めに其の力を浪費しつゝ、あはれにも絶ゑず新 しき事件、新しき喧擾を追うて止まず、刺激に對する飽くなき渇望のために、遂に健全なる味覚を失ふに至りました。

 近代文明の虚偽なること、實に斯の如く甚だしく。而も此の文明は常に形式を變へ、方針を變じ、無意義に忙しい塵の暴風に乗して、裂かれ、砕かれ、衰へ、 死せる、物の破片を撒き散らして行く。斯くして真人(リヤルマン)が自他の目に見ゑないやうになしつゝあります。

 剛毅木訥の古代に於ては、真人に接することは尚容易でありましたが、近代に於て隨處に見ゑものは、偉大なる時そのものゝ幻影であって、真人は遂に何處に も認め難くなって了ったのであります。したがって交通の方便は急速に増加しつゝあるに拘らず、真の交通それ自身は、却って減少しつゝあるのであります。

 上に述ぶるところの近代文明の旋風は、他國同様に日本をも捲き込みました。而して私のやうな他國人が、貴國に上陸して、先づ感ぜざるを得ないことは、日 本に近代主義と云ふ堂宇が建って居る事であります。然して此の堂宇の前に人生(ライフ)と云ふものが、人身御供として供へられつゝある事であります。今此 の事を換言すれば日本の外形は、決して純乎たろ日本式ではない。

 倫敦や、巴里や、伯林や、或は亜米利加の工業中心地などにあるものと全く同一のものであります。それから叉日本人諸君の日常生活も、矢張り現代機械の車 輪の忙しい回輪と同じ様に見ゑるのであります。彼等は人込みの中を押合ひ、曳きずり合ひ、而して手取り早く其外観をノートに取り、叉其の外観を早取寫真に 撮られんとを求めて居る。

 彼等はつまらない細かしいことには好奇心を持つが、異人に對すろ愛を持たない。それから彼等は精髄に觸れて居ないつまらぬもので満足してゐる。何故かと 申せば、そんなものは、直に集められ、又直に捨て得られ、出来るだけ短時間のうちに、弄られ、汚され、後は塵箱の中に掃き捨てられるからであります。

 何故斯ういふつまらぬものが、持て噺されるかといふに、それは物皆が次に来るべき蜉游のやうな果敢ないものゝために、餘地を作って行かねばならぬから で、感覚も次から次に動かされて行かねばならず、従って忙しい人は大急ぎで快楽を取らねばならぬといふ次第であろからであります。彼等は単に一時的の玩具 を作らんが為に、永久の物を破壊しつゝあるのであります。

 で、私の最初一見した處によります、この此の國で何を最も多く見るかゑへば、印ち職業的(プロフェッショナル)の分子で、人間的(ヒューマン)のものではない。

 斯の如きは、即ち現代に於けろ障碍であります。而して此の障碍――私が貴國の内心に觸れんがためには必ず打ち勝たねばならぬ此の障碍――は、之を我が祖 先が昔し貴國民に接したときに遭遇したところの障碍に比して、寧ろ遥に大きいのであります。何となれば其の時代に於て、彼等の前に横はった障碍は、単に自 然界の障碍であって、人心の障碍ではなかった。然ろに今は空間的障碍にあらずして、此の時間的障碍を通り抜けねばならぬからであります。而してこれは最大 難事であります。

 併しながら私は決して失望してはなりませぬ。私は此の國に於てまことの真を求め、さうしてそれを見出さねばなりませぬ。即ち此の國人の魂に、まことに真 なりとなすものは何ぞや。日本とは何ぞや、何が日本の特長――それは總て経度緯度を同うする所には、同じく存すといふが如き仮面的のものでなく、真に日本 にのみ存する特長――は何であるかに就て、私は鳥の目に映ずるが如き概括的光景や、早取寫真のやうにあわたゞしき印象を以て貴國を見て、それで以て満足せ しめらるゝやうなことのないことを切に希望するものであります。

 同情と愛とを以て唯一の贈物とする詩人の特権として、私は諸君の活きたる心の隅に入ることを許して貰ひたい。而して諸君の愛を携へて、私は我が郷國に帰 り得んことを希望します――我郷國は、むかしに於てもなしたやうな贈物を。今も贈り得る事と、これだけは正しく誇りを感ずるのでありますが、その贈物は、 機械でもなく。軍需品でもありません。それは、永遠に傅へ得るところの最良最善のものであるのであります。(完)