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イラク空爆が映す北朝鮮情勢の危うさ

1999年01月13日(水)
米東西センター上級研究員 中野 有



 1カ月前の米英によるバクダッドへの攻撃の翌日、新聞にカルハ地区の水道管が破裂した写真が載っていた。その鉄管は17年前にイラクの都市開発プロジェクトに従事した際に敷設したものであり、またバクダッドからライブで中継される映像を見ていると走馬灯のように当時の様子が思い出された。

 1981年10月のイラク−イラン戦争の最中のバクダッドへメーカーの駐在員として赴任した。会社90年の歴史で新入社員が海外駐在するケースはなかったと聞いていたが、紛争地に行く物好きな社員がいないので海外に雄飛したいという希望が叶いユニークな経験を積むことになったのである。

 チグリスやユーフラテス川が流れるイラクはメソポタミア文明の遺産もありアラブの情緒が漂い非常に魅力的な地であった。広大な砂漠に水道管が敷設され、それが夕日とラクダのシルエットに映える光景は今でも目に焼きつている。このようなロマンティックな中東の思い出のみならず、戦争の怖さも味わった。イスラムの休日にあたる金曜の午後、チグリス川のほとりをジョギングしていた。

 そこには家族連れでのんびり休日を楽しむ姿があった。まさかと思ったのだがイランの戦闘機が上空に現れチグリス川の堤防に並ぶ高射砲が一斉に火を噴いたのである。その爆音たるや想像を絶するものがあり恐怖におののき木の下に隠れ「頭隠して尻隠さず」の姿勢をとった。テレビで見る爆撃のシーンと違いそこには「本物の戦争」があった。その時、世界は想像していた以上に不確実性が高いとひしひしと感じた。

 イラク政府を相手に仕事をし、また毎夜サダムフセインの勇姿をテレビで見ているとどうしてもイラク寄りにならざるをえなかった。そんな時、イスラエルはイラクの核兵器の製造疑惑のある工場に突発的な空爆を行ったのである。イスラエルの空爆に対しアラブ諸国のみならず国際世論も強硬に非難した背景もあり、率直にイスラエルの攻撃には納得がいかなかった。

 その8年後に湾岸戦争が勃発し多国籍軍の勝利で幕を閉じた。もちろん、歴史には「もし」は存在しないが、イスラエルの攻撃がなければイラクは核兵器を保有した可能性が強く、そうなれば湾岸戦争の雲行きも変わっていたかもしれない。歴史はイスラエルの空爆が正しかったと評価した。

 今回の「砂漠の狐」作戦が決行された時、米国国防総省のシンクタンクの朝鮮半島の専門家と電子メールのやりとりを即答で10回以上行った。なぜなら中近東と朝鮮半島の動向は直結しているからである。米国は中近東と朝鮮半島を世界の火薬庫と考えており、最も懸念しているのがこれらの地域で戦争が同時発生した時の対応であったからである。

 北朝鮮は12月からミサイル実験を再び行う体勢を整えており、北朝鮮は米英の攻撃を注意深く見ていたものと思われる。今回のイラクへの攻撃は湾岸戦争のように多国籍軍を構築することができず、またトマホークミサイル等では地下の核施設を破壊するのは容易でないことから北朝鮮は米国の軍事力を過小評価したとも考えられる。

 イラクへの攻撃が示すように米国は核や化学兵器の査察に関し北朝鮮に強硬な姿勢で臨むだろう。米国内の政治的な思惑にも影響されると考えられるが3月か5月頃には北朝鮮への攻撃の可能性も否定できない。このような朝鮮半島の国際情勢が混沌とする中、日本の果たすべき役割を明確にする必要がある。

 軍事に関しては日米同盟の基軸を強化するのが肝要であるが、朝鮮半島の信頼醸成を構築するにあたり軍事ではどうしても対応できない分野がある。その分野は地理的・経済的な意味においても米国よりも日本が得意とする分野である。紛争を未然に防ぐあらゆる努力、すなわち多国間の協力により北東アジアに自然発生的経済圏を構築するこを推進することだろう。従って、北東アジアの開発を安全保障の要因も含めシンクタンク的な研究・分析を強化することが不可欠であると考えられる。(なかの・たもつ)

 中野さんへnakanot@tottori-torc.or.jp

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