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日系ブラジル人が多い浜松市と地域の国際化

1998年10月08日(木)
メディアケーション  平岩 優


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 ●形成される日系人コミュニティ
 昨年、11月に浜松市を訪れた。浜松には約1万人の日系ブラジル人が生活し、日本で最もブラジル人が多い町だ(総人口57万人)。名古屋入国管理局浜松出張所では日系人が毎月、平均250人増加を続けている。浜松は仕事があることに加え、気候が温暖で、日系人のコミュニティが形成されているからだ。

 最近は家族連れで来日するケースも多く、定住志向も強い。市内には日本で唯一のブラジル銀行の主張所もあり、ブラジル人向けの託児所、食品店(市内に10軒)、レンタルビデオ店、レストラン、ポルトガル語教室(子どもが母語を忘れるため)、ポルトガル新聞(週刊)などがあり、生活がしやすい。ちなみに、ポルトガル語の新聞は全国で3紙あるが、2紙が浜松で発行されている。

 その発行元の一つセルヴィツー・グループの社長・増子利栄ジョンさんは日系の3世で、新聞の他にもレストラン、食品・衣料販売、パンなどの食品製造、ポルトガル語教室、ビデオレンタル店などを経営する。増子さんは経済大国・日本に興味を持ち1988年に来日した。当初、なんとか日本とブラジルの架け橋になるような仕事がしたいと考えていたが、そのうち入国管理法が改正され来日する日系人が増加する。

 日本での彼らの一番の悩みは食事だった。日本食がのどを通らず、身体を壊して帰国する人もいたという。そこで、増子さんは93年にブラジル人向けのレストランを開業するが、そこに子どもの教育、資格の取り方、保険からゴミの捨て方までさまざまな相談事が寄せられる。

 増子さんは日系人弁護士による無料法律相談室を開き、「日系人ブラジル人が母国と同じように生活できるよう、手探りで問題を解決しようとした」結果、事業は次々と拡張していった。現在では店舗での年商は3億円、さらに中古車の販売も始め、共働きの日系人家庭のための冷凍食品製造や広告代理店も計画中である。まさに、困りごと、悩みごとにビジネスの種があるといった、ビジネスの原点をみる思いがする。

 1万人の日系ブラジル人が1人年50万円消費するとどうなるか、そこに50億円の市場が成立する。そうした経済効果はさておいても、日本にはない異質な文化や思考法がこの地域に根付けば、新しい混成文化や発想の発信地になれる可能性がある。長い目でみれば、こちらのほうが直接的な経済効果より、はるかに大きなムーブメントといえよう。

 たとえば、戦後に限っても在日コリアの人たちが、スポーツ、芸能、アート、食など戦後文化に与えた影響ははかりしれない。今年のサッカーW杯に優勝したフランスチームのメンバーをみても、10番のジダンがアルジェリア生まれ、アンリ、テュラムがカリブ諸島、その他にも、太平洋のニューカレドニアやアフリカ出身の選手が名を連ね、優勝候補だった南米のブラジルやアルゼンチンを凌ぐ、ダイナミックなサッカーをみせてくれた。

 ●日系人の国保加入問題
 休日は車で郊外に出かけバーベキュウ・パーティ、人が集まればお祭り騒ぎ、ポルトガル新聞を開けば、スポーツ欄はサッカーとF1情報。金曜日の夜には1000人もの日系ブラジル人がディスコに集結する。かれらの生活は静的な日本文化にはない、開放的な明るさを発散させている。

 そうはいっても、日系ブラジル人の生活環境にはさまざまな問題も発生している。

 浜松市は海外拠点をかかえる企業が多く、その帰国子女の対策に取り組んでいたところから、学校などの外国人の受け入れ体制が整っている。市の国際交流センターも駅前にあり、相談室、語学教室などでよく利用されているようだ。そうした中で最も大きな問題は雇用形態と健康保険の問題である。浜松市では外国人と企業との直接雇用は2-3割で、残りは仲介ブローカーが介入している。コストダウンに苦しむ下請け業者などでは社会保険を負担する余裕がなかったり、日系人自体が加入したがらないため保険の加入率は1割といわれる。

 こうした中で、問題になっているのが日系人の国民健康保険への加入である。浜松市(静岡県)では1991年の就業者は社会保険に加入するようにという厚生省の通達を楯に、日系人の国保加入を認めていない。しかし、日系人にすれば、「税金を払っているのに、何の権利もない」という意識が強い。近隣の豊田市、太田市などや、大阪、三重などでは国保の加入が認められているになぜ、という疑問もある。

 増子氏は「かって、おじいちゃんがブラジルに渡ったとき、ブラジル政府は土地を与え、子どもたちに教育を施し、健康保険にも組み入れてくれた。社会保険の問題だからと放り出すのではなく、もっと考えて欲しい。ことは命の問題なのだから」と訴える。こうした中で、ロータリークラブや医師会が無料診療にのりだしたり、幾つかの病院が通訳を配置したり、相談室を設けたりしている。が、年金の問題なども含め、かれらの本国の保険や年金の制度とリンクさせるなど、柔軟な対応ができないものか。

 ●地方に期待される「内側からの国際化」
 とりあえず、3K仕事の受け皿として認知されてきた日系ブラジル人であるが日系人自身にとっても受け入れ地域にとっても、そろそろ第2ラウンドを迎えている。外国人労働者から住民としての在日外国人への移行である。住民として受け入れるには定住と権利を保証しなければならない。そこで浮上するのが、在日外国人の教員、自治体職員への採用や地方選挙権の問題である。先年、川崎市が外国人に職員採用の途を開いたように、こうした問題を前向きに捉える自治体も少なくない。

 話をうかがった浜松市の職員の方も、行政の視点から行われる対応、サービスと外国人の立場とのギャップを、常に考えている人であった。それに対し、中央では国民と住民を使い分け、在日外国人のこうした権利獲得を力でねじ伏せているのが現状である。もっといえば、日本はまだ、70万人といわれる在外日本人が選挙権を行使できない国なのである。

 こうした中で、個人一人ひとりが「内側からの国際化」に向かうことが大切であるが、地方自治体の役割が重要になる。なぜなら、外国人を隣人として受け入れ、共存するのは地域の住民だからだ。所詮、中央は国家の枠組みを保守し、その枠を食い破るのは地域の国際化の動きしかない。それは日本だけではなく、世界に共通している。

 しかし、多くの自治体(浜松市ではない)が考える国際化の目玉はいまだに、国際見本市会場、コンベンションホール、ホテルといったハコモノばかり。20年前の幕張、横浜など首都圏の発想と同じだ。同じ宿泊施設ならアジアの若者が格安で泊まれるホテルの建設、外国人向けの医療費補助あるいは留学生交換制度の充実などにおカネを使ったらどうだろう。なぜそうできないのか、それは行政が見せかけだけの国際化で住民を惑わし、「内側からの国際化」を提示しないで保身を計っているからではないのか。

 そんなに国際化を叫ばなくとも、今や欧米の金融資本は日本の資産をターゲットに大挙して押し寄せている、といわれるかもしれない。そのうち、東京の金融街は兜町周辺ではなく、金融外資が集まる溜池近辺に移るとの噂も聞かれるほどだから。

 しかし、考えてみれば、日本の明治以降の近代の中で、国際化は黒船とアメリカ進駐軍に無理矢理こじ開けられたものであり、今度の金融ビックバンも「内側からの国際化」がないままに、ご開帳である。

 浜松市で発行されるもう一つのポルトガル新聞「フォーリア ムンジアル」の編集部で、若い日系人の記者の中川英子さんに会った。彼女はブラジルで銀行、貿易商社に勤めていたが、1991年に妹と来日。以後、キャディなどしながら東京、大阪、浜松に移り住む。彼女に今後、日本に住み続けるのか、ブラジルに帰国するのかと訊ねたところ、「日本でもブラジルでもない。やりたいことがあるところに移り住む」と答えた。

 その日はたまたま、金曜日で、「日系人のことはディスコに行かなければわからないよ」といわれ、彼女の最大のニュースソースでもあるディスコに誘われたが、残念ながら都合がつかずにいけなかった。今度、浜松に行ったら、ぜひのぞいてみたい。

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