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お札に耐えられる顔がいなくなった

1998年03月27日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄

 ●角栄さんだけはお札にしてはならない
 かつて日銀記者クラブを担当していたとき、お札の顔が話題になった。
 「将来、お札の顔を変えるときに戦後のどんな政治家や文化人が候補に上がるのだろう」。
 そんな問題提起があって、みんな「うーん」とうなってしまった。

 「顔だけで言えば、吉田茂や佐藤栄作は絵になるかもしれない」
 「田中角栄はどうだ。将来の歴史家は負の遺産だけを書くのかな」
 「それだけはだめよ。角栄はお札そのものだから」
 「角栄さんが歴史に残るかどうか、分からないぜ」
 「文化人はどうだ。ノーベル賞の湯川秀樹とか川端康成とか」
 「そんなこといえばアーロンの本塁打記録を塗り替えた王貞治だって候補者だ」

 結論は「100年たっても価値が変わらないという意味では、候補者にさえ上らないだろう」というものだった。現在の1万円は福沢諭吉、5000円は新渡戸稲造、1000円が夏目漱石である。みんな明治の文化人である。その前は聖徳太子が1万円と5000円、伊藤博文1000円、岩倉具視500円、板垣退助100円。聖徳太子を除くと明治の政治家だった。みんな歴史をつくった人たちだ。

 アメリカのドルはワシントンやジェファーソンら独立の英雄たち。英国はエリザベス女王だ。香港返還で硬貨からエリザベス女王の顔が消えて香港の"国花"に変わった。EUの通貨であるユーロには顔がない。通貨は国家の顔である。王国では君主の肖像が紙幣に印刷され、それ以外では国民が認めるような歴史上の人物が選ばれるケースが多い。

 ●平成の切手は漫画と芸能人
 一昔前、記念切手で「文化人シリーズ」があった。正岡子規とか夏目漱石、森鴎外といった文人が多かったように記憶している。悲しいことに最近の人気切手シリーズは芸能人と漫画だ。美空ひばりや鉄腕アトムが切手になってはいけないというのではない。単なる切手の話だが、この切手の売り出したときの東京の経済部デスクに座っていた。郵政省担当が短い紹介原稿を書いてきたとき悲しい思いがした。

 もっと他に国民が肖像にしたいという人物がいないのだろうか自問した。いまの日本には誰でもが尊敬できるような政治家や文化人がいなくなったのだろう。それにそうした人物論を真面目に語る国民がいなくなってしまったのだろう。それともそんな論議を見出すのさえ"野暮"な時代になってしまったのだろうか。

 以前の萬晩報で日本人が貧相になった話を書いた。狭い住宅や教育が豊かさを失わせ、日常生活の中に"異なるもの"を受け入れる土壌を失った。かつて日本人の子供たちは「誰々さんが見ているじゃない。恥ずかしいから辞めなさい」といって親に怒られた。これもあまりにも日本的な怒り方なのだが、最近ではそんな怒り方さえなくなってしまった。神を恐れるどころか他人の目さえ気にしなくなった。

 ということは他人を見る目も養われていないことになる。だからこそ切手に肖像化されるのはスクリーンやテレビを通じた芸能人か漫画の主人公だけという珍現象が起きるのだ。

 ●消えた骨太の個性
 一昨年、月刊文芸春秋で21世紀を担うニューリーダー論を特集し、新聞記者にアンケート調査した。政治家は忘れたが、経済人では稲盛和夫氏、諸井虔氏、牛尾治朗氏とかが上位に上がっていて「なにがニューだ」とけなし合った。若手といえたのは孫正義ぐらいのもので「本当に日本の産業界は大丈夫だろうか」と仲間内で真剣に未来を憂えた。筆者にもアンケート用紙が送付されたが、思いつかなかったから答えなかった。本当にいないのである。

 今週号の「日経ビジネス」を読んでいたら、日経新聞の吉野源太郎論説委員が「規制下に消えた骨太の個性」というタイトルでコラムを書いていた。流通業界の専門家で中内功ダイエー会長や岡田茂三越社長、小菅丹治伊勢丹社長らの1970年代に異彩を放った経営を語っている。「成功者はみんなアウトローだった」というのが結論である。混迷の時代だから異端者に未来を託すしかないという主張には大いに賛成だ。

 ●人間40にもなれば自分の顔に責任がある
 リンカーンは閣僚の人選を顔で決めたという有名な話がある。ある人物を閣僚に推薦したとき「あの男は顔が気に入らないから用いない」といった。推薦者は「それはアンフェアだ。顔は当人の責任ではない」といったら、リンカーンは「そうではない。人間40にもなれば自分の顔に責任がある」とやり返した。

 顔はその「内なる人」を現しているといったのは、現天皇の御教育参与だった小泉信三氏だ。一事を成し遂げた人、一芸に達した人には実際何物かが現れている。学識か、知恵か、威厳か、魅力か、親切か、実際の顔は顔の奥の何物かを語るそうだ。  

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