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55年前まで日本に存在した陪審制度

1998年01月30日(金)
共同通信社経済部 伴武澄

 大蔵官僚が、二人逮捕され、三塚蔵相と小村事務次官が辞任した。またしても日本の官僚を中心として制度疲労が表面化した。制度疲労が起きているのはは霞ヶ関の官僚だけではない。国会はもとより、三権分立の一角を担う司法界でも同じだ。裁判の長期化、警察や検察調べに偏重した判決、特にハイテクや生命工学などに関する裁判での裁判官の専門性の欠如はもはやおおいがたいものがある。
 西部劇で見る乱暴な裁判や報道が伝える米国での陪審裁判は必ずしも万全ではない。しかし、選挙人登録した米国人は企業の社長であれ、家庭の専業主婦であれ、裁判所の要請があれば、すべからく陪審員としての「義務」から逃れることはできない。普通の人による普通の感覚を司法の場に導入することが重要なだけではない。「人を裁く」という難しい判断をあえて国民に委ねることを通じて、国民に試練の場を提供しているという側面も見逃せない。

 ●ステレオタイプでみてはいけない歴史

 陪審裁判制度が昭和初期に導入され、15年間も施行されていたことは案外知られていない。もともと明治憲法制定に際して参考としたドイツ憲法に「Jury」制度があり、憲法草案の策定では熱心に導入が議論された経緯もあったが、「日本人にはあわぬ」とする井上毅ら政府高官の猛烈な反対に遇い、導入に到らなかった。

 それが大正デモクラシーの護憲運動と連動、民主主義の基本として普通選挙と併せて国民の司法参加を求める声が高まった。政友会の原敬は第26回帝国議会に「陪審制度設立に関する建議書」を提出、陪審制度導入のきっかけとなった。

 明治憲法下の日本は絶対君主下のもとに国民の政治参加がまれで本当の民主主義は存在しなかったように思われているが、実はこれも戦前の社会に対するステレオタイプの見方でしかない。

 日本は対外的にはシベリア出兵や中国進出など確かに軍国主義の様相を強め、国内的にも米騒動や労働争議など社会不安が頻発していた。社会的にも政治的にも安定を欠いていたが、思想面では大正デモクラシーに代表される自由な雰囲気があり、社会制度の不備や不公正に対して国民側から多くの意見が出され、政治に反映されたといってよいだろう。少なくとも自由と豊かさのなかで政治的無関心が蔓延している現在と比べても当時の方が政治に対して正面から取り組む姿勢があったように思う。

 陪審制度導入もそうした国民的世論の高まりの代表例のひとつとして位置づけることができよう。

 ●普及に徹底した啓蒙/全国で3339回のも講演会

 陪審法の本格的整備は原内閣(1918年9月から1921年11月)に始まる。法律の制定は1923年4月で、施行は28年からだった。もちろん内容的には陪審で取り扱う事件を限定するなど欧米の陪審制度から比べるとお粗末なものだったが、法律制定から施行までの5年間の準備作業と宣伝・啓蒙活動は驚くべき内容で、陪審制度導入にかけた当時の日本政府の熱意が伝わってくる。逆に慎重の上にも慎重を期した結果、5年間もかかったのかもしれない。

 判事と検事を欧米に派遣するとともに、関連法令の制定を急いだのは当然として、陪審制度の運用のため各市町村と綿密な事務協議を繰り返した。また、新制度の徹底のための宣伝、普及活動も同時に進められ、全国で延べ3339回もの講演会を開き124万人もの聴衆を集めた。さらに啓蒙パンフレット類284万枚を作成、ほかに宣伝用映画11巻(うち日本映画7巻)も作成している。

 日本の陪審制度は1943年、「戦時」を理由に「陪審法ノ停止ニ関スル法律」が交付され、停止した。あくまで廃止されたのでなく、停止したのだ。付則に「大東亜戦争終了後再施行スルモノトシ其ノ期日ハ各条ニ付勅令ヲ以テ定ム」と規定しており、多くの法律学者に陪審法は現在でも「眠っている状態」と考えられている。

 ●国民性成熟にも求められる陪審制度

 戦後の憲法制定過程で、陪審制度に関する議論もあり、占領軍内部には「日本の民主化政策の一環として陪審制度の導入が不可欠」との考えが強かったようだが、日本側は「時期尚早」を理由に新憲法への明文化を阻止したという。

 その際、「日本での民主主義の未成熟」や「日本人の国民性に合わない」ということも大きな理由となったようだ。未成熟だったり、国民性に合わないものがどうして明治憲法制定に当たって議論されたり、大正時代に制度として導入されたのか疑問だ。また政府が外国から制度改革を求められたときになぜいつもこの「国民性論」が持ち出されるのか疑問も残る。

 確かに日本人のなかには義理人情があり、素人が隣人を裁くなどということは得意でないのかもしれない。自ら勝ち取った民主主義を持たないため、お上の権威に対して弱く、専門家である裁判官に裁いてもらいたいという気風が残っていることも否定できない。しかし、それだけで国民性の問題にすり替えられてはたまらない。

 われわれも経験を通じて素人が隣人を裁くという欧米の制度を試してみる権利はあろうかと思う。いままでの傍観者から当事者になることにより、経験を通じて「人を裁く」ことの難しさや責任を体得することができるようになる。そう考えるのは決して間違いではない。自ら民主主義を勝ち取った歴史がないのなら「未成熟な国民」にとってなおさらそうした経験や体験が必要なのではないだろうか。

 丸田隆「陪審裁判を考える」(中央公論社、1990)を読んだ。





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