HAB Reserch & Brothers

大蔵大臣が3分の2を所有していても民営NTT

1998年1月15日(木)
共同通信社経済部 伴武澄
日本の国営企業の民営化は比較的早い段階に始まった。中曾根民活で国鉄、日本電信電話公社、日本専売公社の三つの巨大組織の解体が始まり、1985年にそれぞれJR、NTT、JTの株式会社に組織替え、国鉄は五つの旅客会社と貨物会社に分割された。

筆頭株主は大蔵大臣

1985年はプラザ合意で円高が進み、日本全体がバブル経済に染まっていくきっかけとなった年である。NTTの株式放出をめぐる議論をたどると、それ以降の日本経済がどのように肥大化し、どのように歪曲されていったかを鮮明に描くことができる。

株式の放出の第一弾はNTTだった。日本電信電話会社法では、NTT(資本金7800億円)の株式上場に当たって全1560万株の3分の2の1040万株の放出を義務づけていた。1987年2月10日、第1回目として195万株が119.7万円(額面=5万円)で放出された。株価は瞬く間に上昇、4月には300万円を超える水準にまで達し、証券会社やアナリストは「1000万円説」をはやしたてた。

第2回目の放出は同年10月10日。世界的な株価暴落をもたらしたブラックマンデーの直後だったが、株価は255.0万円と第一回目の倍以上の高値。まさに「法外」といってもいい水準だ。第3回目は翌1988年10月20日は株価がいくらか鎮静化していたが、190.0万円という放出株価を維持できた。

119万円でNTT株式を購入した人は「NTT成り金」としてもてはやされ、あるいは妬まれた。逆に255万円で買った人は、その後に大きな損失を被った。

期待された第4回目の放出は1989年9月13日に予定されていたが、大蔵省の突然の発表で見送られることになった。NTTの株価が第三回目の放出価格の190万円を大幅に下回っていたからである。橋本竜太郎蔵相(当時)は「株価が低迷しており、NTT分割など同社の将来をめぐる議論の先行きが不透明だから。国民の大切な財産であり、慎重に売却したい」と説明した。ほかの株価は東証ダウが3万9000円の史上高値をつけた同年12月を目指してまだ上昇の途上にあったのにNTT株だけは独歩安だったのである。

株式投資は誰がどのような価格で購入しようが自由だ。投資にリスクが伴うのは誰もが知っていることである。しかし本質的に株価が上場するのは「業績が上がり配当が増える」との期待があるからだ。ところが当時の日本では「1株当たり資産」が株式投資の判断材料となっていた。

全国に膨大な資産を保有するNTTの想定株価が1000万円といわれても誰も不思議に思わなかった。将来的に飛躍的な業績上昇の見込みがない鉄鋼業界や紙パルプ業界の株式も保有土地が大きいというだけで1000円前後の株価をつけていたのだから当然だ。

119万円で上場を果たした1987年以前にマスコミや証券会社はNTTの業績や資産状況などをもとに株価を試算した。その結果、100万円以上の評価をしさ試算はひとつもなく、80−60万円というのが妥当な相場だとされた。

しかし、不思議なことに株式放出は3回の540万株だけで、放出すべき1040万株の半分を残してNTT株式の放出は終わっている。大蔵大臣つまり政府保有は65%のままだ。株式の3分の2を政府が保有したまま、民営企業と呼ばれ、そして東証に一部上場している怪がここにある。許認可権限や社長の任命権が法律で定められなくとも株主総会の議決権は一般株主にはまったくないままだ。



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