HAB Reserch & Brothers

借りた時間、香港150年史

1997年06月18日
共同通信社経済部 伴武澄

ご意見
1832・・・広州でジャーディン・マセソン設立。阿片貿易
1842・・・南京条約で香港島を英国に割譲
1845・・・ロンドンのオリエンタル銀行の香港支店開設
1860・・・北京協定で九竜を英国にj割譲
1864・・・香港上海銀行が地元財界人によって設立
1864・・・ジャーディン・マセソンがセントラルに本店
1870・・・人口12万人。香港の貿易の大半は依然、阿片
1872・・・香港上海銀行が初めて通貨発券
1880・・・人口16万人
1891・・・香港に証券取引所
1895・・・ジャーディン・マセソンが繊維業を開業
1897・・・香港境界拡張専門協定で新界地区と235の島を租借。人口25万人
1910・・・人口43万人
1923・・・香港上海銀行が上海に本店以上の規模のビル建設
1925・・・反英暴動が中国で高揚。25万人の労働者が香港離脱
1940・・・人口160万人
1941・・・日本軍による占領
1945・・・日本の敗戦。英国が軍政
1947ー49・大陸から大量難民。上海財閥の多くも香港に移転
1955・・・映画 慕情
1956・・・大陸から大量難民。人口260万人
1959・・・スワイヤー・パシフィック社、上場
1961・・・ジャーディン・マセソン社、上場
1960・・・大躍進の失敗でまた難民
1962・・・国境に有刺鉄線
1966・・・文化大革命で北京の英国大使館焼き討ち
1967・・・香港でプロ文革による暴動
1971・・・国連カが中華人民共和国を承認
1973・・・新界にニュータウン登場
1976・・・周恩来、毛沢東が死去
1978・・・中国が経済の改革開放路線を宣言
1980・・・中国国際信託公司(CITIC)が香港事務所
1981・・・英国が国籍法を制定
1982・・・深せん経済特区の建設スタート
中英による香港返還交渉始まる
1983・・・香港ドル、米ドルとのペッグ制(1j=7.8香港j)
1984・・・中英共同宣言で香港の中国返還合意
1984・・・ジャーディン・マセソン社、バーミューダへ本社を移転
1987・・・中国国際信託公司(CITIC)が香港に子会社CITIC PACIFIC
1989・・・6月4日、天安門事件
移民ブーム。カナダやオーストラリアへ年間3ー6万人脱出
1990・・・香港基本法。人口580万人
1991・・・香港上海銀行が持ち株会社をロンドンに設立
1992・・・パッテン総督が就任
アジアで初めての衛星テレビSATR TV始まる
1994・・・中国銀行香港支店が香港ドルを発券
1995・・・民選の立法評議会で民主派が勝利
1996・・・12月11日、董建華氏が香港特別行政区の初代行政長官に選出される
1997・・・7月1日、香港返還

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