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『潮騒』とゲータ祭と伊勢の営み

2010年01月05日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄
 2005年02月16日の日記である。まだ公開していない文章を紹介したい。
 日曜日に神島に行こうと決めて、土曜日の午後、近くの書店で三島由紀夫の『潮騒』(新潮文庫)を買った。夜、その本を読みながらインターネットで鳥羽から神島への船便を検索した。

 一周しても一時間足らずの小さな島であるが、午前の便で着いたら、午後3時半にしか帰りの便がないことを知った。どうやって時間も過ごすのだろうと考えたが、行ってみると時間はそう余らなかった。 『潮騒』は一夜では読み切れなかったから、鳥羽からの船で続きを読み始めた。連絡船はポンポン蒸気に毛の生えた51トンの小さな船だった。224人乗りの船に客は十数人だった。途中菅島に寄ったら、乗船客は名古屋からのアベックと僕だけになった。

 荷物はけっこうあって、クロネコヤマトの宅急便と郵便マークの入ったずた袋が一緒に運ばれている光景を目にして、ほほえましかった。連絡船は鳥羽市が経営しているものの、小さな島への荷物では官も民もないのは当然のことと理解しなければならない。郵便局の民営化でサービスの低下が議論されているが、民営化されたらされたでなんとかなるものなのだ。

 日曜日なのに鳥羽沖には多くの漁船が出ていた。冬の太陽に海がきらきら輝いて漁船の影を映し出していた。太古からこの海域は海の幸に恵まれていた。天照大神が伊勢の地を選んだのも「美味し国」(うましくに)であったと日本書紀に書いてある。

 『潮騒』を読みながら「営み」ということを考えた。人は生きるために精一杯働く時代がつい最近まであった。海の民だって魚を取るのは生業ではなく、その日の糧を得るのが本来の目的だった。生きる目的などというものを考えるいとまもなく人間は働き続けてきた。生きる術さえ知っていれば家族を養い次の世代を育むことができた。その繰り返しが「営み」なのである。営みこそが人間にとって一番崇高な行為なのだ。そう書くと話がややこしくなる。「営み」だけがあるとだけ言えば簡単でいい。

 船の中で、ただぼんやりとそんなことを考えていた。

 神島の桟橋に着いて、朝飯を食べていないことを思い出した。桟橋に近くに「コンビニでも」と考えたのは多少浅はかだった。神島は漁港の回りにわずかな平地があって、そこから急な斜面に家がへばりついている。桟橋から見渡しても漁協と郵便局、それと民宿以外に商売らしきものはない。

 通り掛かりの主婦に「パンでも売っている店はないか」問うた。「あそこの岬っていう看板の右手にある」という。行ってみると、半間ほどのガラス戸の中で雑貨、小間物を売る店があった。賞味期限が翌日に迫っている「クリームスティック」を買って、ついでに「お食事」と書かれた岬ののれんをくぐった。この様子だと昼飯を食いそびれると心配になったからである。

 中年のおかみが出てきて「1時過ぎなら用意できます」という。 「ちょうどいい、島を一周して戻ってくるから」と答えて島歩きに出発した。船で一緒だったアベックはすでにどこかに消えていた。

 神島の人口は600人。その昔でも1500人程度だったらしい。だから家といっても数百もあるわけでない。家と家はほとんどがひっついていて、わずか1メートルほどの通路のような坂道が家と家を隔てている。人がすれ違う時はどちらかが立ち止まって避ける。だから島には自家用車はおろか自転車さえも見かけない。走る道がないのだ。

 何人かとすれ違って、3人目だったと思う。手にサカキを下げたおばさんが「正月が来るから」と独り言をいったので、「神さまにそなえるのですか」と聞いた。

 おしゃべりはいきなり始まった。

「神島の人たちはみな、平家の落人だから高貴な生まれだ」という話から、「ここの神さまは伊勢神宮よりも古い」だの「江戸時代に漁に出た男たちがしけで全滅して女ばかりになって養子をとった」だの、昔々の話をさも最近の出来事のように話すのが面白かった。

 話が神島で有名な正月のゲータ祭におよんだので「島外からも大勢くるんでしょうな」と聞くと「なーに。民宿の人たちもみんな祭に出るからお客をとれないのよ」と返ってきた。ゲータ祭は正月の未明に行う。見に行くとなれば、そんな時間に船はないから前日から泊まらなければならない。島の人は宿泊客の世話より自分たちのお祭りの方が大事らしい。おばさんによれば、商売っ気などはなからないのだそうさ。

 神島の正月は祭が続く。ゲータ祭は元旦の夜明けに、グミの枝を束ねて2メートルほどの輪にした「アワ」を島の男衆が長い竹の棒で持ち上げて落とす珍しい祭だそうだ。おばさんによれば、過ぎた年の厄を払う行事なのだ。2日になれば漁船が大漁旗を上げて船からお金をばらまく祭があるという。4日は米寿とか喜寿になったお年寄りが神社の境内でまたお金をまく。だれでも拾っていいのだそうだ。その後、獅子舞もある。さらに6日には弓祭もあるから見に来なさいという。山積みされたすす竹・しめ縄・門松などを火にかけ、火の向こう側においた的に矢を射るのだ。

 おばさんとの会話が長くなりそうになったので、失敬して八代神社に向かった。『潮騒』にも出てくる「女坂」を登った。坂といっても家と家の間を縫う狭い通路のような階段である。神社に向かう境内の200段の階段を登る時は時々、後ろを振り返ると伊勢湾がきれいだと聞いていた。そんなことを思い出し、横の路地にそれてから正面の男坂にたどり着いた。息を切らして振り返るとなるほど美しい。松の枝越しになんども振り返った。

 伊勢から神島はほとんど見えないが、ここから見る伊勢は存在感がある。というより伊勢湾全体が生活圏だということがよく分かる。
(2005年02月16日)
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