イラク戦争がはじまった直後の2003年だから、かなり前のことになる。私は萬晩法に「国際刑事裁判所と政治家の老後の過ごし方」を書いた。
http://www.yorozubp.com/0303/030325.htm
当時書いた第一の理由は、ブッシュ米大統領(現)とブレア英首相(当時)が嘘をつきまくってイラク攻撃をはじめたこと。第二の理由は、当時オランダのハーグに設置された国際刑事裁判所(ICC)がその活動を開始したこと。第三の理由は、東京裁判も(ニュールンベルク裁判と同じように)国際社会での刑法運用の発展に大きな貢献をしたのに、日本が国際刑事裁判所設置のためのローマ条約(1998年)に調印していなかったことで、私には残念に思われた。(さいわい、2007年から日本も加盟しているだけでなく裁判官まで派遣している。)
「国際刑事裁判所と政治家の老後の過ごし方」のなかで、私は、ピノチェト元チリ大統領(故人)やシャロン・イスラエル首相(当時)の例を挙げて国家犯罪が免罪される時代は終わりつつあり、「ローマ条約加盟国(当時七十カ国、現在百カ国)は、現役時代よからぬことをして訴えられた政治家を条約上引き渡さなければいけない」ので、ブッシュ大統領やブレア前首相が定年後外国旅行もできなくなると悪態をつく。でもそう書きながらも、誰からも本気にされない気がした。でも当時私が書いたことは、見当違いでなかったようだ。
■「純粋な犯罪」と「本当に悪い政治」
2007年10月27日パリであったことである。「フォーリン・ポリシー・マガジン」誌が朝食会を主催した。出席中のラムズフェルド前国防長官は、突然現れた米大使館員に伴われて慌ただしく立ち去り、その後フランス国土から消えてしまった。前日、欧米の人権諸団体が、バグダッドのアブグレイブ刑務所やグァンタナモ米軍基地で拷問を命じたとしてこの米政治家を告発していたからである。
告発した人権団体の一つであるCCR(憲法センター)は発表した声明のなかで「拷問に関係した役人や政治家に対して裁判がはじまるまで私たちはあきらめない。今こそ、このことがわかるはずだ。ラムズフェルドは地球上逃げ場所がないことを理解するべきである。拷問は人類の敵だから」とのべた。当時の新聞によると、似たような告訴はフランスだけでなく、ドイツ、スペイン、スイス、スウェーデンなどの国でもだされていた。
これは一年前のことだが、米大統領選でオバマが勝利して以来、ラムズフェルドをかこむ内外の環境はきびしくなるいっぽうである。ドイツのように対米関係悪化を怖れるあまり、人権団体からの告発を受理しなかった国々も、これからは態度を変えると思われる。また2008年12月11日に米上院軍事委員会の調査報告がでたが、アブグレイブ刑務所やグァンタナモ米軍基地などの拷問や虐待が監視員個人の暴走でなく、ラムズフェルド国防長官をはじめ上に立つ人々に責任があったとしている。
ブッシュ政権の不法行為に対する刑事訴追については2、3カ月前までは人権団体関係者や法律の専門家のあいだで議論されるだけだった。例えば9月22日に100人の法律の専門家がこの問題のためにマサチューセッツ・ロースクールによって主催されたシンポジウムに参加している。ところが、バラク・オバマが第44代米大統領に就任する2009年1月20日が近づくにつれて主要なメディアも少しずつとりあげるようになった。
2008年4月14日付けのフィラデルフィア・デーリーニューズによると、オバマ候補(当時)は「大統領に選ばれたなら法務長官に自分の前任者の行為を調べさせるが、そのとき、『純粋な犯罪』と『本当に悪い政治』を区別することが重要だ」と語った。しかしすぐに「共和党の政治家から党派的な魔女狩りと思われることは避けるべきだ」とトーンをやわらげる。
オバマ政権が直面する最大の問題は、周知のように、経済問題であり、これが最優先で、そのために共和党の協力も必要である。またロバート・ゲーツ国防長官が留任したことで、新政権がこの問題で積極的にならない予感がする。しかしながら米国も三権分立で司法が独立しているはずで、今後どのように展開するかは予測できないところがある。
ここでオバマがいう「純粋な犯罪」か「本当に悪い政治」かの区別こそ、国家犯罪の訴追もしくは免責にかかわる根本問題である。ブッシュ政権の行為が「本当に悪い政治」に過ぎないなら、被害が甚大であっても、政治的無能にとどまり、刑法やそれに類したルールの適用から免除される。現在、政治概念を拡大解釈して、政治家のしたことはおしなべて政治行為とみなす論調がめだつ。そうであるのは、「党派的魔女狩り」になり、国民の亀裂をうむ危険を本能的に怖れるからだ。このような亀裂がのぞましくないことは、第一次大戦後のドイツ、また第二次大戦後の日本がしめす通りである。
拷問も虐待も盗聴も人権侵害であり、「純粋な犯罪」として問題にしやすい。訴えられたラムズフェルドや、前CIA長官、アルバート・ゴンザレス前司法長官なども、同時多発テロで国家非常事態になり米国民の安全を守るためにやったといえば、納得してくれる人も少なくない。彼らが有罪になっても、米国全体として「正義を回復した」ことを世界にむかってアピールできる。こう考えると、この種の国家犯罪の訴追実現はそれほど難しいことでないかもしれない。
■大統領は人殺し
でもこんな人権侵害で訴追するより、もっと厄介で面倒なことに挑戦しようとする人がいる。それはヴィンセント・ブリオシ元検察官(74歳)で、「ジョージ・ブッシュは人殺し、それも、何千人も殺したというのに、このままで行くと、彼は罪を問われることもない。だのに誰も何もしない。米国民がそんなことを許していいのか」と憤慨し、米国・国内法の殺人罪でブッシュを告発できると確信する。
http://www.prosecutionofbush.com/
私はドイツで暮らしているせいか、彼の名前を聞いてもピンと来なかったが、米国では有名な検察官だった人で、現役時代にはカリフォルニア州で活動していたという。彼が手がけたとは知れなかったが、昔1960年代末、映画監督ロマン・ポランスキーの妻・女優のシャロン・テートをはじめ総数7人がカルト・グループによって惨殺される事件があった。直接手を下さなかった教祖のチャールズ・マンソンがブリオシ検事の努力で有罪判決をうける。彼は、現役時代に手がけた105件の重罪のうち104件で有罪判決を得た有能な検察官であるだけでなく、筆も立ち著書も多い。シャロン・テート事件についての本「ヘルター・スケルター」はベストセラーになり映画化された。
ブリオシ元検察官が今回お縄をかけようとする相手は、周知のように、とてつもない大物である。麻薬中毒の売春婦の息子として生まれ、ヒッピーの女性をマインド・コントロールして7人の殺人を実行させたマンソン教祖とは対照的に、ブッシュのほうは、第44代米大統領、育ちもよく、マインド・コントロールの相手の数だけでも(、一頃は大多数の米国民がイラク戦争を賛成していたことを考えると、)億単位にのぼり、殺人罪の犠牲となった米国兵士の数は四千名以上にのぼる。
米国で殺人者を起訴できるのは、州司法長官か、イラクで戦死した兵士の居住地区の検察官で、前者は50人だけだが、後者の数は2千人以上にもなる。もはや現役でないブリオシ元検察官ができることは、本を書いて、その中でどのように起訴できるかの筋書きをしるし、共鳴してくれる州司法長官か検察官かが出て来るのを待つしかない。「ブッシュを殺人罪で起訴する」はこのような目的から生まれ、米国では2008年5月に、ドイツでは翻訳が同年秋に出版された。
どこの国でも殺人罪というと、物欲、性欲とかいった動機と憎悪や悪意から意図的に実行された人殺しを考えてしまう。ブッシュがイラクへ行き、例えば物欲から、自ら手を下して、米軍兵士を殺したのではないので、殺人罪で裁判にかけることなど不可能に思われる。ところが、ブリオシ元検察官によると米国ではそれを可能にする刑法的運用原則があるという。
ブッシュが直接手を下していないことについては、犯罪の謀議(計画+相談)に参加した者(=共同謀議者)は責任が問われるという法的原則があり、これが適用されるという。こうしてブッシュ・チェルニー正副大統領やその他の閣僚は共同謀議に参加したので米兵殺害から免責されない。
次に重要な原則は、「悪意のない第三者」という考え方である。共同謀議者が意図的に一連の事件をひきおこして、「悪意のない第三者」にある行為を実行するきっかけをあたえ、その結果、人が殺される。共同謀議者がそのようになることを承知している場合、殺人罪を犯したことになる。
この原則を適用すると、ブッシュ、チェルニーなどの共同謀議者は、当時(イラクが米国民に直接脅威になるという虚偽の事実を主張して、)米軍をイラクに侵入させた。これらが「意図的にひきおこす一連の事件」で、これがきっかけになって、「悪意のない第三者」のイラク人が、侵入米軍兵士に発砲したり爆弾を投げたりするようになった。イラク人のそのような反応も、共同謀議者にあらかじめよくわかっていたので、この「悪意のない第三者」を適用することができる。
ブッシュやチェルニーの共同謀議者は、自分たちが米軍兵士に憎悪を感じていなかったし、また殺されることものぞまなかったと弁解するかもしれない。これらの情緒的側面は通常の殺人罪が成立するために大きな役割を演じるが、「悪意のない第三者」が適用されると、重要でなくなるという。判決を左右するのは、「意図的にひきおこす一連の事件」、すなわち米軍のイラク侵入が兵士殺害の原因になっている点である。殺される本人が同意しても殺人は殺人であるので、似た理由から、議会も戦争に賛成したといっても、言い訳にならない。
ブリオシ元検事の本を読んでいると、ブッシュは4千人に及ぶ自国兵士の殺人の咎で有罪判決をくらいそうである。それも、ヨーロッパと異なり、死刑が廃止されていない米国で、、、ひょっとしたら、靴が飛んで来るといった生やさしい話ではすまなくなる日が来るかもしれない。
■平和に対する罪
ここまでブリオシ元検察官の論理につきあった人にすぐわかるように、殺人罪が成立するための最大要件は、イラクに米軍を侵入させたことが正当防衛のための戦争でなかった点にある。自衛のための戦争であったなら、米国民の安全を脅かすイラク人は「悪意のない第三者」にならず、殺人罪も成立しない。
だからこそ、ブッシュ以下の共同謀議者は、イラクが大量破壊兵器を所有しているとか、またそれらがテロ組織アルカーイダの手に移るとか、「虚偽の事実」を挙げて、イラクが米国民に直接脅威になると主張した。ブリオシ元検察官は本の中でこの嘘の記述に多数の頁を割いている。例えば、自国の情報機関から提出された報告書にイラクが米国にとって直接脅威にならないと明記されていた。ところが、共同謀議者は、議会などに配布される普及版でこの重要部分を削除させた。これはかなり露骨なやり口ではないのだろうか。
ブリオシ元検察官はブッシュを殺人罪で挙げようとしているが、間接的には、米国が自衛のための戦争をしたか、それとも侵略戦争をしたかが、裁かれることになる。これは、第二次大戦後にあった日独国際軍事法廷の「平和に対する罪」が裏口から米国内の法廷に入り込むことである。そんなことが「永世戦勝国」に起こるとしたら、日本で生まれ、ドイツで暮らす私には、特に感慨深いことになる。また侵略戦争の罪は「人道に対する罪」などくらべて政治的なものから切り離すことが難しい。そのためにこの罪は国際刑事裁判所の管轄からはずされた。この点を考えると、このカリフォルニア州元検察官の無手勝流に驚くしかない。
問題は、法理論でなく、この無手勝流が読者に発想の転換を強いるのに対して、人々の意識のほうがそこまで行っていない点にある。奇妙なのは、私たちのほうから、国政をつかさどる人々の「政治行為」に対して刑法を適用することに遠慮してしまうことである。だからこそ、ブリオシ元検察官のこの本がよく売れているのにもかかわらず、米主要メディアの書評でほとんど無視された。著者はこの事情を予想し、「起訴論拠」の章の冒頭で、二つの法諺を掲げる。一つめは、国王は免責されるという意味の「国王は不法行為を犯すことができない」であり、二つめは「何人も法に服さなければいけない」である。
この件については、国際会議で条約が仰々しく締結されたり、批准されたりする必要もない。どこか、米国の村や町で、ブリオシ元検察官の本に共鳴して自分も何かできると確信する検察官が現れてくれたらいいのである。そうしたら、著者がのぞむように、戦争を決断する政治家の「法的リスク」がこれからは少しは高くなるはずである。
美濃口さんにメール Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
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