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田母神論文についての一考察

2008年11月24日(月)
萬晩報通信員 日比野 克壽
■シビリアンコントロール

田母神論文について考えてみたい。

『防衛相が「村山談話」と見解の相違があると判断して解任するのは政治的に当然だが、書いたものはいささかも間違っているとは思わないし、日本が正しい方向に行くために必要なことだと思っている。』

11月11日に行われた、参院外交防衛委員会の参考人質疑での田母神前航空幕僚長の答弁のひとこま。

田母神元空幕長は、アパグループによる懸賞論文に「日本は侵略国家であったのか」と題した論文を発表して、日本の侵略行為は濡れ衣だと政府見解と異なる主張を行い、更迭された。

当初、防衛省側は本人による辞表提出を求めたのだけれど、本人が拒否したこともあり更迭の止む無きに至った。

この問題について、マスコミやネット上で様々な意見が出されているけれど、例の論文の内容そのものはさておき、これをシビリアンコントロールと、政府見解の2つの側面から考えてみたい。

シビリアン・コントロールの定義は以下のとおり(Wikipediaより)
 『文民統制・シビリアンコントロール(Civilian Control Over the Military)とは民主主義国における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選 出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の基本原則』
国民の代表たる、政府の文民の指揮下に軍が置かれるという原則。(厳密にいえば、自衛隊は正式な軍隊ではない)

もちろん、戦争の素人である文民が軍隊を実際に直接指揮できる訳はないから、武官のトップを、任命することによって間接的に統率している。つまり武官の人事権(任命・剥奪)と宣戦布告の判断の権限を文民が握ることで、軍をコントロールするという仕組み。

シビリアン・コントロールが成立しているということは、すべからく文官が武官を任意に任命または罷免できる権限を有していることに他ならない。

だから、田母神元空幕長の論文を問題視して文官である防衛大臣が、武官高位である空幕長を更迭し、田母神元空幕長もそれに従ったということは、シビリアン・コントロールがきちんと機能していることを示してる。

■政府見解

政府見解はとても重い。それは国を代表しての意見になるから。国を代表する意見ということはそのまま他国に対するメッセージになるということ。国家間でやり取りされるメッセージは、外交や国際情勢にダイレクトに影響する。

だから、政府見解は、すべからく他国との関係を睨みながら慎重に行うべきであって、安易に連発すべきものでもない。一旦出したら、取り消したり、修正したりするのが大変になる。

特に、外交交渉なんかだと、政府見解に基づいて、会談が設定されたり、交渉が進んだりするから、状況に合わせて見解がころころ変えてしまう相手とは、マトモな交渉は出来ない。北朝鮮の瀬戸際外交がいい例。

国際関係にも影響を及ぼす政府見解は、逆にいえば大きくは世界秩序の影響を受けているとも言える。もし政府見解が、世界秩序の基となっている何がしかの価値観を否定するものであったら、その政府を奉じる国は、現在の世界秩序に対する反逆児になる。

今通用している世界秩序に公然と反発して、それを跳ね返してゆけるだけの力がその国にあれば、まだ良いかもしれないけれど、現実にそんなことは殆どありえない。たいていは現状の世界秩序を乱さない範囲でのものになる。

ここで問題になるのは、その世界秩序の基となっている価値観、正義というものは戦勝国によって作られているということ。

今であれば第二次大戦の戦勝国によって形成されているところの正義。自由と平等がそれ。そして第二次大戦の戦勝国側からみた論理でいえば、民主主義がファシズムを打ち倒したことになっている。こうした価値観が基にある。

戦勝国によって確立し、構築された世界秩序は、それが多くの人々に恩恵を与え続ける限りにおいて、正義になり是とされる。それは、必ずしも真実であるとは限らない。

真実と正義は別のもの。

だから、歴史認識なんかのように今の世界秩序を支える要素となる価値観の下敷きは、原則、戦勝国側の見方に沿ったものになっている。それは世界秩序を維持するための絶対条件。

■戦勝国の論理

戦勝国の論理で世界秩序は作られる。だから、敗戦国がその戦争の正当性を訴えることは、そのまま世界秩序への反抗となる。

日本側の論理としては、侵略国でないと言いたかったとしても、世界からみれば、それは言わせてはならないことになっている。極端なことを言えば、そうした歴史の書き換えは、もう一度戦争して戦勝国にならなければ出来ない話。

実際問題、もう一度戦争し直すなんてのは不可能だから、もし、敗戦国側の立場から、歴史修正を行いたいとするのであれば、戦勝国側の内部から、実は日本は 侵略国家ではなかったのだ、と言わせるように仕向けるしかない。それこそ、ロビー活動なり、戦勝国側の研究機関で再検証を行う作業が必要になってくる。

だから大きくみれば、国家としての歴史認識や政府見解というものは、今の世界の中という立場と、未来のあるべき姿という二つの立場を睨みながら慎重に策定されるべきもの。

現在ただ今の国益を守るためには、世界秩序を維持する方向での見解を把持する必要があるし、長期的な国益や国家を維持する土台となるところの国の誇りや矜持を保つために、自らを貶める歴史認識一辺倒だけでなく、様々な歴史認識を許容して温めておく必要がある。議論そのものを封殺するのは行き過ぎ。

国内でも様々な歴史認識があるし、在野レベルでは色々な意見を出されているけれど、政府レベルとなると、現時点では世界秩序に則ったこの考えが政府見解です、とするしかないし、そうすればいい。

今回の問題は日本政府は世界秩序を尊守して、シビリアン・コントロールに基づいて更迭しただけのことであるし、田母神元航空幕僚長は、言論の自由を行使して、日本の将来のために、自らが真実と思う所を述べたということ。ただし自らの立場を考えると公でのこうした発言は不適切であったかもしれないことは留意すべきだけのこと。

将来、歴史修正されることがあるかもしれないけれど、それは、歴史修正によって現在の世界秩序に影響を与えないほど古くなったときか、歴史修正する側中心の世界秩序が新しく出来上がるとき。

そうした時代がくるまで、まだ時が必要だろう。

■田母神氏の弁明と東京裁判

東京裁判とそれに基づいた歴史観、これらによって現在の日本の外交的選択権は狭められている。

東京裁判では連合国によって「平和に対する罪」「殺人と通例の戦争犯罪」「人道に対する罪」によって裁判が行われ、判決がくだされた。

ここで大切なことは、裁判と判決は違うということ。

裁判は訴訟を審理して法律に基づいた判断を行なうこと。判決はその判断に基づいた罰則。

あくまでも裁判は法に照らして判断する業務であって、真実を決めるものじゃない。たとえ、訴訟内容が無茶苦茶に見えるものであったとしても、法に照らして判断する業務そのものが影響を受けることはない。

たとえば、濡れた猫を乾かそうとして電子レンジでチンして殺してしまった人がいたとする。その人が電子レンジメーカーを訴えてしまったとしても、その訴訟が受理されてしまえば、審理は行われ何がしかの判決は出ることになる。

だから、被告にとっては、訴訟自体が全然納得できないものだって当然ある。だけど一旦判決が出てしまったら、どんなに納得できなくても判決には従わなくちゃならない。もし被告がそれに従わず、国家がそれを放置するならば、その国は法治国家じゃない。

東京裁判についても同じことが言える。

渡辺昇一氏は東京裁判について、日本は「諸判決」を受け入れただけであって、裁判を肯定しているわけではなかった筈が、外務省が裁判と判決を混同したところから間違いが始まったと指摘している。

つまり日本は、連合国側の言い分はまったく承服しないし、納得もしていないが、「判決」だけは受け入れる、というのが東京裁判における当時の日本の立場だった。

渡辺昇一氏は、ソクラテスの弁明や戸塚ヨットスクールの例をあげて、裁判と判決の違いを述べている。少し長いが引用する。
『ソクラテスはアテネの裁判で、青年を堕落させたというような罪で死刑を宣告され、獄に入れられた。ソクラテスもその弟子たちもその裁判には不服である。ソクラテスは脱獄をすすめられた。しかしソクラテスはそれを拒否する。「この裁判は受諾し難いが、その判決を受諾しなければ、法治国家は成り立たないからだ」と言ったのだ。
 裁判と判決の違いの現代的例を一つあげておく。これは前にあげたこともあるが、実にわかり易(やす)い例なので、外務省の人にも容易に納得していただけると思う。 戸塚ヨットスクールで生徒が亡くなったので、戸塚宏氏は暴行致死、監禁致死で告発され、入獄数年の刑に処せられた。彼は裁判に納得しなかったが、法治国家の市民として判決に服して入獄した(ソクラテスと同じ)。
 獄中で彼は模範囚であり、何度も刑期短縮の機会を提供された。しかし、彼はすべて拒否した。というのは刑期を短縮してもらうためには「恐れ入りました」と言って裁判を認めなければならない。彼は業務上過失致死以外の罪状に服することを拒否し、刑期を満期勤め上げて出てきた。』

日本側からみれば、真実とは別に世界秩序を法治として成立せしめるために、判決だけを受諾した、ということ。

ここで、田母神論文問題に戻って、東京裁判における日本の立場を田母神氏に置き換えてみると、驚くほど同じ構図になることが分かる。

田母神氏にとって、自分の論文を理由もなく否定されるという「裁判」は到底受諾できるものではないし、その理由を聞かせてほしいと再三再四訴えていたけれど、とうとうその理由が明かされることはなかった。だけど、田母神氏はその「裁判」の判決である「幕僚長更迭」には従った。脱獄のすすめを拒否したソクラテスや、刑期短縮の機会を拒否した戸塚宏氏と同じく、自らの辞表の提出を拒否して。

ソクラテスと同じく「裁判」は受諾しないが、更迭という「判決」を受け入れることで法治国家のルールを守った。

田母神氏問題は、東京裁判の縮図でもある。

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