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アンコール小児病院と赤尾和美さん(1)

2007年12月03日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄
 8年前、1999年2月、カンボジアに小児病院が誕生した。ニューヨーク在住のカメラマン井津建郎さんが友人に呼び掛け、NPO「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー(国境なき友人)」が生まれ、募金から建設、運営にあたっている。

 アンコールワットの撮影ではいつも子どもたちがたくさん寄ってきた。その中に足のない子、手のない子もいた。地雷で手足をなくした子どもたちだったが、無邪気でたくましかった。それまでずっと写真を撮り続けていて、「picture」を「take」するばかりで「give」がなかったことに気付いたのだそうだ。「お返し」をしたいと考え、子どもたちのために専門家を集めた病院づくりが始まった。

 そのときから、看護師として病院の運営を支えてきた赤尾和美さんと出会いがあり、インタビューした。以下はその内容である。

 赤尾和美さんはカンボジアにできたその病院でエイズの子どもたちを養っている。外来と入院でベッド数は50。8年前にやってきたときは二つの病床しかなかった。いまでは外来が日に300人から350人やってくる。今年、テング熱が流行ったときは600人以上が押しかけた。

 診療費は一回、どんな病気でも500リエル(約12年)。それでも支払いができない人たちがいて、「回収率は半分ですか」。それも本当は診療費という名目ではなく、病院では「コントリビューション」という意味で支払うように求めている。

 公立の病院にいくと20−30ドルは取られるから、私たちの病院は格安であることは事実です。カンボジアの医者はポルポト時代に虐殺されて、一時35人にまで減った。それが2000人に回復しているのだが、人口規模からいえば圧倒的に少ない。

 カンボジアの医療制度では、医者や看護士の開業は自由なので、村で好き勝手に開業している。公立病院の医者も二足のわらじをはいているのが実情。医療報酬などは決まっていないので「気分」によって請求されている。点滴1本50ドルなどということもあるが、「同じ診療が日ごろ世話になっている人だと20ドルだったりする」。

 つまり「1回の診療で公立病院の月給分ぐらいが稼げてしまう」のである。だから公立病院のお医者さんへの村人の信頼感はきわめて低いものになる。医療の質が低いうえに倫理観も低いのである。

 カンボジアの宗教は仏教だが、過酷過ぎる時代を過ごしてきたせいか、「お金イコール力」「お金があれば世の中だって変えられる」。そんな国民意識が蔓延している。特にタイやベトナムといった隣国が経済的に発展しているため、よけいお金の意識が強くなっている。

 カンボジアはいま、土地が急騰してバブル経済になっている。農民たちは土地を売ることで成金と化し、家を買って、車を買って、子どもたちに贅沢をさせることを誇示している。国民性なのか「どれだけ持っているか」を見せたがる。

 病院の経営は現在、医者18人、看護士89人、あとハウスキーパーとかセキュリティー、事務などで惣菜200人もいる。外国人は4人だけ、院長と私とドクター。年間の経費が1億3、4000万円ぐらいかかる。アメリカや日本の基金や企業からの大口寄付に加えて「500円基金」といって個人が月額500円ずつだしてくれる小口の寄付がある。日本では5000人もの個人の人たちが支援してくれている。「おもしろいのは企業やお寺、病院を中心に社員や職員、檀家に呼びかけてくれるの」。

 カンボジアに行く前は、ハワイの病院でナースをしていた。その院長さんが「カンボジアに行くことになって、で英語で看護を教えられる人が必要なんだ。来てくれないかって誘ってくれた」。「2、3カ月ならって軽い気持ちで参加したら、8年になってしまった」。

 そもそもハワイに行ったのは「日本でナースを7年やって、海外でも免許を取りたい」と思ったから。29歳、1991年のことだった。日本の病院にいて目標を失っていた。このまま日本にいると大病院を出られなくなるという不安に苛まされた。「私がナースになったころ看護婦ってお手伝いという感じだった。ドクターと対等に話もできなかった」。

ハワイでHIV専門のクリニックで働いていて、いつもドクターから意見を求められた。「患者さんを一緒にみているのだから、君の意見がないと責任が持てないなんていわれる」。アメリカでは医療のヒエラルキーがなくて、患者を取り巻く役割があるだけだと感じた。また、ハワイは多民族国家で、中国人、フィリピン人、日本人とたくさんいる。「目からうろことはこのことだ」と思った。

 アメリカでの経験を「これだ」と思っていたところに、カンボジアが現れた。行ってみると、日本と同じ絵にみえた。「言いたいのだが言ってはいけないというか勇気がない。日本は言うもんではない」。カンボジアの病院ではそんな感じだったが、われわれが行って、だんだんと「ドクターも一緒にやったほうが楽だ」ということが分かってきた。新米のドクターに「ここは違うよ」とナースたちも言うようになった。ナースたちもびびらなくなった。

 99年にカンボジアに行ったころ、「この国は10年たっても20年たっても医療レベルは上がらないのではないか」という不安があった。しかし、実際にやってみると、5年ぐらいで急速にレベルが上がってきた。いまではマネージャーレベルの人たちが「近頃の若いもんは」なんていうようになっている。

 フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダー http://www.fwab.jp/
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