しばらく前から欧米の新聞を読んでいると「慰安婦」についての記事を見かける。これは、米国下院で日本政府に対して「慰安婦」問題の公式謝罪を求める決議が上程されたからである。この数年来、欧米メディアでこのテーマは靖国神社の陰にかくれてしまっているところがあった。
■責任逃れの隠れ蓑
この「慰安婦」についてよく報道されたのは1990年代である。当時も今も欧米では「過去から目をそむける日本」という内容の記事が多い。そのために、4月10日付けの「BBCニュース」の記事を読んでいて私は少し驚く。というのは、「アジア諸国は日本が第二次大戦中の残虐行為を直視しないといいはる。でもこのような非難にもかからず日本国民も過去の傷跡をいやすために少なくともいくばくかの努力をした」と書いてあるからだ。
クリス・ホッグさんが書いたこの記事は「対立をひきおこした日本の『慰安婦』基金」という題名で(http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/1/hi/world/asia-pacific/6530197.stm)、1995年に設立されて先月解散した「アジア女性基金」を扱っている。ちなみに日本がこのような基金をつくったことはあまり知られていない。数年前ドイツの日本学関係者と議論する機会をもったが、彼らもろくろく知らないことに気がついて私は驚いた。
この記事の読者は、「はじめから議論が分かれていて、右翼が補償や謝罪に反対するだけでなく、『慰安婦』の出身国の活動家は謝罪も補償金も政府からでないために公的なものでないと怒った」こと、また「日本政府がたくさん支出した」のにもかかわらず、この基金が「日本政府の責任逃れの隠れ蓑」と思われて、韓国と台湾ではボイコット運動にあって用意した償い金をうけとってもらえなかったことなどをはじめて知る。それだけでない。「これらの国では、女性は日本からお金を受けとらないことを条件に自国から補償を受けることができた」とある。とすると、彼女たちは同国人もしくは自国政府から日本から受け取らないように圧力まで受けたことになり、このようなことは、ほとんどの欧州の読者にとって想像外のことである。
クリス・ホッグさんは「、、、これらの困難はかならずしも日本側ばかりを咎めることができない」と書いているように、この東京発の記事を読んだ人は、東アジアには「過去を直視しない日本」だけでは片付かない問題があることを感じたのではないのだろうか。
「アジア女性基金」は「女性のためのアジア平和国民基金」の略称であるが、なぜこれほど韓国や台湾の活動家の反発をかったのであろうか。この記事からはわからないが、日本で補償推進活動をしていた人々もこの基金方式に反対した。その理由は、この記事の中で和田春樹前基金専務理事が発言しているように、「これ(基金)が国家補償でなかったことは事実だ」からである。それなら、ここでいう「国家補償」とは何なのだろうか。
■補償先進国ドイツ
好奇心に駆られた私は「アジア女性基金」のホームページ訪れて、いろいろ読みあさる。1996年2月5日付けの「アジア女性基金ニュース」の第4号に「寄付をいただいた方からの声」という欄があり、そこに「ドイツと同様に国家が補償すべきと思います」(横浜市男性)という文句が目にとびこんできた。その途端、1990年代前半、よく日本人の口から「補償先進国ドイツ」というコトバを聞いたことが思い出された。
メディア関係者、補償推進の活動家、政治家とかいったさまざまなカラーの日本人がドイツを訪れてこの国の補償関係者(活動家、政治家、補償関連官庁の役人)と会った。私もいろいろなきっかけからその場にいたが、もともと狭い世界で同じドイツ人に何度も出会う。また日本人から質問をされたりすることもあって、当時私も、誰も読まなくなった昔の法律・連邦補償法を手に取ったり、そのコメンタールを参照したり、補償関係の本を読みかじったりした。
しばらくして日本でこのテーマに対する関心が下火になり、「アジア女性基金」ができたのに評判が悪いという話を聞く。当時私は何も考えなかったが、今解散されたこの基金のホームページを眼の前にして奇妙な疑いが浮かぶ。
「BBCニュース」の記事の題名は「対立をひきおこした日本の『慰安婦』基金」で、基金に関して賛否両論が対立している印象をあたえる。でも「アジア女性基金」に心から賛成していた人がいたのだろうか。というのは、基金賛同者も本当は国家が補償すべきと考えていて、基金方式が国家による補償でないと思いながら仕方がなしに賛成しているようにしか見えないからだ。
次に、基金方式に反対した日本人も、またアジアの活動家も上記の横浜市男性と同じように「ドイツと同様に国家が補償すべきと思います」と考えていたのだとしたら、それはとんでもない誤解である。
■ドイツも基金方式
1990年前半ドイツの補償問題関係者は、日本から訪れたメディア関係者や活動家に(連邦補償法のような)法律をつくって補償をするのでなく基金方式で解決することをすすめた。例えば、緑の党の補償問題助言者で、何度も訪日した歴史家のギュンター・ザートホフさんも、そのように考えていた人々の一人で、私はボンで彼から何度もそう聞いている。
多数のドイツ人が基金方式をすすめた理由は、戦後実施した「連邦補償法」による補償に対する反省のためである。これは煩雑な法律であっただけでない。補償される権利を認めるために犠牲者に厳格な被害証明を要求する官僚的手続きが不可避になり、強制収容所で受けた迫害の記憶をよみがえらせて再度迫害することになったと、当時ドイツの補償関係者のあいだでは評判がよくなかった。だからこそ、彼らは柔軟に対応できて被害証明も簡略にする基金方式のほうがよいといった。
その証拠に、ザートホフさんの緑の党も、また社民党も、1989年に(うまく行かなかったが、)戦時下に強制労働に従事した人々の補償のために基金をつくろうとした。また東西ドイツ統一後、ドイツは基金方式でソ連、ポーランドなどのナチ不法行為犠牲者に対して補償した。また1990年代後半、米国で戦時下の強制労働補償を要求する集団訴訟に遭った自国企業のために何かしなければいけないと思ったドイツ政府は、2000年にドイツ経済界からの寄付と税金の半々で基金を設立して償い金を支払った。
ドイツが設立したこれらの基金は、日本の「アジア女性基金」とどこが違うのか。ドイツのほうは基金設立のために法律をつくることがあったのに、日本は政府の意思表示だけですませた。この相違も、ドイツのほうが日本よりはるかに多数の犠牲者を対象にしているに対して、日本の基金の規模が小さいことを考えると、本質的だと思われない。また2000年に設立された基金に関連して独米二国間協定が調印されているが、これはドイツ企業が将来にまた集団訴訟をおこされることを心配したからである。
日独どちらの場合も、国家の代表者とおぼしき人々が、遺憾を表明したり謝罪したりして設立しただけでなく、彼らの似たような内容の謝罪の手紙が償い金といっしょに渡された。このような事情を考慮すると、日本もドイツも同じようなことをしたことになる。ところが、ドイツのほうは国家が償いをしたことになっていいるのに、日本のほうはそう思われない。
そうであるのは東アジアの「官尊民卑」と関係があったのだろうか。それ以上に、ほんとうの理由は、日本で補償を推進していた人々にとって、「連邦補償法」という法律によって西ドイツが戦後実施した補償が理想だったからである。彼らにとって、ドイツは「戦後に日本国民にしそこなったことがある」ことを警告するためにのみ存在し、だからこそドイツがした「戦後補償」が重要であった。だから彼らは(戦後でなく)今のドイツ人が説明する基金方式にろくろく耳を傾けなかった。ちなみに「戦後補償」というコトバはドイツであまり使用されない日本独特の表現である。
■前に進めない構造
「連邦補償法」が、(すでに指摘した「煩雑で官僚的な手続き」という欠点以外に)ドイツの補償推進派にとって参考にならない別の重要な理由があった。それは、ナチの不法行為(人種・宗教・世界観のためからの迫害)の犠牲者を補償するこの法律が国内法で、(歴史家のウリリッヒ・ヘルベルトによると)これによって補償された90%以上がドイツ人もしくは戦前の旧ドイツ領居住者であった。迫害に遭ったユダヤ人の大多数が戦後イスラエルや米国に移住してそこで年金方式の補償を受け取っているからといって、国内法という性格が変わるものではない。
ところが、80年代、90年代にドイツの推進派が補償しようとしていた人々は外国に居住していた。このような人々に対して、敗戦国が補償法をつくって個人請求権を認めることは誤解を招く行動とされる。というのは、隣国の人々が戦争で破壊された家屋の修理費までいっせいに請求しだしたら厄介なことになるからである。「賠償問題は解決済み」というのがドイツの立場である以上、自国が犯した特別の悪事(=「ナチ的不法行為」)だけに限定する基金方式がベストであり、それも大声で「補償」といわずに「人道的性格」を強調するほうがよいことになる。
以上ドイツについて述べたことはほとんどすべて日本にもあてはまる。私たちも「賠償問題は解決済み」という立場をとっている。1990年代前半に、私たちも外国に居住する「慰安婦」だった人々に対して「償い」をしたいと思った。これは、どこかの国のように自国製品不買運動が起こる前に、自発的にそう思ったので、りっぱなことである。こうして目的が限定された「アジア女性基金」を設立した。本来、当時日本もドイツとほど同じ頃に同じようなことをしたことになる。
ドイツにいて、こう考える私から見て、すでにふれた「ドイツと同様に国家が補償すべきと思います」という横浜市の男性の見解に賛成できない。
このような意見を聞くと、私は、買い物をして(他のお客と同じように)レジで代金を支払ったのに外に出てから「自分たちはちゃんと払わなかった」と嘆いている人を連想する。この奇妙な人に挑発されて、別の奇妙な人が「買ったものなかに不良商品があった」と怒りだす。これこそ、私たちが同じ議論を繰り返して、いつまでも前に進めない構造である。そのうちに近くでこの議論を聞いていた人々も「ちゃんと払わなかった」といいだす。これは、ほんとうに残念なことである。
美濃口さんにメール Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
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