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日印中、新たなトライアングル(インド訪問メモ)

2007年05月08日(火)
早稲田大学アジア太平洋研究センター特別研究員 文 彬
 ■中国+インド=CHINDIA

 世界の成長センターとして、中国とインドは2006年にそれぞれ2・6兆ドルと0・8兆ドルのGDP(国内総生産)を記録した。経済大国アメリカの12・33兆ドルや日本の4・5兆ドル(いずれも2005年)と比較すればまだまだ規模が小さいと言わざるを得ないが、ゴールドマン・サックス証券が2003年に発表したレポート「Dreaming with BRICs: The Path to 2050」では、2050年頃にはGDPの順位が@中国(44兆ドル)、A米国(35兆ドル)、Bインド(27・8兆ドル)、C日本(6・6兆ドル)になると予測されている。

 一部の国際アナリストやメディアでインドの台頭を、急成長を続けてきた中国をけん制するパワーと考えている気配もある。これはインドと中国との間にある過去の対立関係や、異なる政治体制を理由にしているようだが、世界経済の融合と連携深化が進むグローバリゼーション時代において、広大の国土と膨大な人口を擁する二つの国は世界の生産拠点と消費市場として共生できるように思われる。

 インド経済成長の「立役者」とも言われているインド商工大臣のカマル・ナート氏が3月に、フォーブス誌の質問に対して、「『中国対インド』ではなく、『中国とインド』というとらえ方をしてほしい」と答えたのも同じ考え方を持っているからだろうと思われる。実際、ここ2、3年来、中印の指導者が頻繁に相互訪問を行っており、貿易規模も年々健康的に拡大している。

 最近、「CHINDIA」(シンディア)という合成語がメディアに頻出している。「CHINA」と「INDIA」を組み合わせたこの新しい言葉を世に送り出したのは、インドの著名な経済学者であり商業・産業担当国務大臣でもあるジャイラーム・ラメーシュ(Jairam Ramesh)氏である。氏は『Making Sense of Chindia』 という本を書き、政治経済、文化歴史等の多くの角度から世界で最も人口の多い二つの大国を分析し、「世界の工場」の中国と「ソフトウェアとITサービス」のインドの補完性を力説している。

 実際、中国の情報産業は昔からインドをモデルとしてきた。情報産業省(信息産業部)の確立、ソフトウェアパークの建設等のアイデアにインドの経験が多く生かされていることは周知の事実である。現在も日本向けオフショアリングで知られている大連のスローガンは「中国のバンガロールを目指そう」である。そして最近、天津や成都も将来「中国のバンガロール」になると宣言している。成都は昨年4月、バンガロールと姉妹都市の条約を交わし、成都来訪のバンガロール市長Mumtaz Begum女史よりIT分野の協力を約束してもらった。この領域ではインドは紛れもなく中国の鑑である。

 このようにある種の憧れを抱きつつ、2月25日から6日間インドを訪問した。NHKスペシャル『インドの衝撃』が放送されてから約1カ月後のことだった。

 ■プネー、東方のオックスフォード、第二のバンガロール

 日本航空JL471便が成田空港の滑走路に入ったのは午前11時10分だったが、デリーのインディラー・ガーンディー国際空港に着陸したのは21時30分だった。それからシャトルバスで6km離れたパーラム国内線空港に移動し、遅刻して夜中2時に出発したキングフィッシャー・エアラインズで、同3時30分に最初の目的地プネーに到着した。30分後市内のホテルにたどり着いたが、自宅を出たのは7時過ぎだったことを考えるとちょうど16時間を費やしていた。インドは遠いことを実感した。(時間はすべて日本時間。インドと日本の時差は-3時間30分。)

 ちなみに、キングフィッシャー(Kingfisher Airlines)は「キングフィッシャー」ブランドのビールで有名なユナイテッドブリュワリーズ財閥(UB)の航空部門である。我々はパーラム空港の同社専用待合室で初めて、インドで一番有名であり、1994年のストックホルム国際ビールフェスティバルで「最優秀賞(ベストラガー賞)」を受賞したキングフィッシャービールで乾杯した。旅の疲れを忘れさせる味だった。

 プネーは人口488万人でインド8番目の都市である。ムンバイから120km離れた海抜600mの高原に位置しているため、大都市の富裕層の避暑地としても名高い。更にここはインド教育や学術研究の中心地として東方のオックスフォード(Oxford of the East)と呼ばれ、インド国内だけでなく、世界の若者が集まってくる憧れの地である。総合大学のプネー大学以外にも17校の工科大学があり、毎年数多くのITエンジニアを世に送り出している。また、インドで最も権威があるIT研究開発機関であるC-DAC (Center for Development of Advanced Computing)の本部もプネー市内にあるため、昔からソフトウェア人材が集中している場所でもある。

 プネーは、「東方のシリコンバレー」とも呼ばれている。郊外にはHinjewadi、Talwade、Kharade、 Pune IT Park、Magarpatta Cityといった、5つのソフトウェアパークが点在し、多くのオフショア・ベンダーがここに開発拠点を持っている。オフショアリングの分野においてはバンガロール程知名度は高くないが、欧米のエンドユーザの間では第二のバンガロールとも呼ばれている。

 また、プネーはインドで最も日本語教育が早く盛んな町でもある。1971年、プネー印日協会によって日本語教育が始まって以来、約1万人の学生が日本語を勉強しており、毎年約2000人が日本語能力試験(JLPT)を受けている。このためインドではJLPT受験者数の最も多い都市でもある。

 2月26日、我々は従業員数200人規模のある中堅ベンダーを訪問した。まず驚いたのはこの会社の日本語コミュニケーションスキルの高さである。2004年から日本よりプロの日本語教師を2名採用し、年間目標を立てて日々の日本語教育プログラムをこなしてきた。プネーにいた2日間に、CEOからプログラマーまで同社のスタッフ十数名と会ったが、ほぼ全員が流暢な日本語で応対してくれた。同社CEOは、日本語コミュニケーション力を生かし、インドのベンダーの中で日本向けオフショア開発のナンバーワンを目指したいと語った。

 ■バンガロール、インドのシリコンバレー

 2月28日、インド時間朝6時30分。Jet Airways社のエアバスでプネー空港を立ち、バンガロールへ向かった。

 ナショナリズムの高揚からだろうか、近年、インドでは地名の変更が相次いでいる。マドラスがチェンナイに、ボンベイがムンバイに、プーナがプネーに、カルカッタがコルカタにというふうに、イギリス植民地時代の名前が旧称に戻されていっている。そして昨年11月、カルナータカ州政府はバンガロール(Bangalore)をベンガルール(Bengalooru)に変更すると宣言した。しかし、外国人のみならず、現地人もこの地名変更には馴染めないようだ。バンガロールは今、すでにインドのシリコンバレー、世界のオフショアリングセンターとしてのブランド名となっており、安易な名称変更は歓迎されないからである。

 JISAの統計によると、2005年、日本向けオフショア開発の71%は中国で、インドはわずか3%に過ぎない。だが、インドは世界全体のオフショア市場の80〜90%を占めている。2005年のインドのソフトウェア輸出は172億ドルで中国(36億ドル)の約5倍、そしてその輸出額の約半分がバンガロールで創出されたと言われている。オフショアベンダー1500社、システム開発技術者15万人を擁するバンガロールは、欧米のIT産業のアウトソーサーやバックオフィスとして大きな役割を果たしている。

 バンガロール近郊にはインフラ整備の行き届いた主なハイテックパークが3つある。インド・ソフトウェア・テクノロジー・パーク(STPI、Software Technology Parks of India, Bangalore)、インターナショナル・テクノロジー・パーク(ITPL、International Technology Park Ltd.)、エレクトロニクス・シティ(Electronics City)である。今回は時間の関係もあり、中に入ることは出来なかったが、外から眺めていてもこれらのハイテックパークには整備された道路、立派な住宅や安心できるサービス施設まで揃っていることが伺える。バンガロールの大企業はゲートに自動小銃を手に持った警備員がおり、物々しい雰囲気に最初は違和感を覚えるものの、一歩中に入れば、学園都市のキャンパスのような綺麗で広々とした敷地が広がっており、快適な空間である。

 バンガロールで現地企業に勤める若い日本人技術者と昼食を取るチャンスがあった。社命によりプネーで研修をしている間に、すっかりインド企業に惹かれ、研修が終わってからも日本の会社に戻らずそのままバンガロールのIT企業に転職したという。

 ■日・印・中、新たなトライアングル

 3月1日夕方、すべての訪問を終えてインディラー・ガーンディー国際空港の待合室で日本航空JL472便を待っていると、隣の席で学生風の若者4人が中国語で談笑していた。話しかけると、清華大学電子工学部の学生だと分かった。ホームステとインド大学生との交流を兼ねてデリーやプネー等に1カ月滞在しており、これからスリランカのコロンボ経由で北京に戻るのだという。

 そういえばバンガロールで聞いた話だったが、中国の若者にも直接中国やアメリカ経由などでインドに来て勉強したり仕事したりする人が増えてきたそうである。一方でインフォシスは上海や杭州に、iGATEは無錫や大連にという風に、インドのオフショア・ベンダーも日本だけでなく、中国にも積極的に進出しているのである。中国市場を狙いながら、日本文化を熟知している中国ベンダーを巻き込んで日本の顧客を獲得するためである。

 古代の日本では、仏教は中国を経由してインドより入ってきたため、天竺(インド)、震旦(中国)、日本をあわせて「三国」と呼ぶこともあったそうである。これからは仏教ではなく、ITというキーワードで日・印・中は再び新たなトライアングルを構築しても良いのではないかと、4人の若者と話しながら考えていた。

参考:日本に進出している主なインドアウトソーサー

・インフォシステクノロジーズ- Infosys Technologies Ltd.
社員数:66,000人
<http://www.infosys.com/Japanese/default.htm>

・ウィプロ・テクノロジーズ- Wipro Technologies
社員数: 61,000人
<http://www.wipro.com/japanese/index.htm>

・サティヤムコンピュータサービス- Satyam Computer Services Ltd.
従業員数:38,000人
<http://www.satyam.co.jp/>

・タタコンサルタンシーサービシズ- TATA Consultancy Services
従業員数:32,000人
<http://www.tcs.com/japan/index.htm>

・ポラリスソフトウェア・ラボ- Polaris SOftware Lab
従業員数:6,000人
<http://www.polarissoftware.co.jp/>

・アイゲート・グローバル・ソリューションズ- iGATE Global Solutions Ltd.
従業員数:6,000人
<http://www.igate.com/>

・NIITテクノロジーズ- NIIT Technologies
従業員数:4,600人
<http://www.niit.co.jp/>

・Vertex Software Pvt. Ltd
従業員数:200人
<http://www.vertexsoft.com/>

 文さんにメール bun008@hotmail.com

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