1796年 |
ジェンナー(英)牛痘利用の種痘法発見 |
1847年 |
佐賀藩主が侍医から牛痘法を聞き、藩医に牛痘苗とり寄せを指示 |
1848年 |
オランダ商館医官が痘漿を持参、摂取不成功。藩医は瘡蓋を提案 |
1849年 |
瘡蓋が入荷、藩医は息子に接種して成功、藩主も子息に、全国へ波及 |
1858年 |
蘭学者の拠出金で神田お玉が池に種痘所、江戸にも種痘普及 |
1860年 |
幕府が種痘の効果を認め、官立の種痘所に。後の東大医学部の前身 |
1861年 |
種痘所が西洋医学所に改称、1863年医学所に、西洋医学を認知。漢方医vs西洋医の洋医の拠点に、漢方の凋落、洋方の台頭に役割 |
1858年 |
蘭学者の拠出金で神田お玉が池に種痘所、江戸にも種痘普及。 |