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核の抑止力について

2006年11月01日(水)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
 北朝鮮核実験の後、ドイツのベルリンにあるシンクタンクSWPの核問題専門家オリバー・トレーネルトさんはインタビューで「北朝鮮が核による生命保険に加入した」と表現している。私は彼が昔ボンで別の機関の研究員をしていた頃何度か会って話をした。「核による生命保険」と彼がいうのは、今まで核保有国が他の国から攻撃されたことがなかったからである。周知のように、現在「核による生命保険」加入希望国が増加するばかりで核拡散防止体制が危機に直面している。

 ■ 二番目に死ぬ選択

 「核による生命保険」加入を希望するのは核に抑止力があると思うからである。核兵器保有国は攻撃されると核で反撃する可能性があり、その結果他国は攻撃をひかえる。これが核の抑止力で、次に核保有国と同盟関係にある国も抑止力の範囲、核の傘の中に入り攻撃されない。冷戦時代ソ連から脅かされていると感じていた西ドイツ国民は自国に駐留する米軍兵士をこの核の傘が機能するための保証・「人質」と見なしていた。核の抑制力がどのように発揮されるか複雑な問題で、冷戦時代のヨーロッパ、特にドイツで1980年代中距離核戦力(INF)が配置されるときに散々議論された。 

 当時、東西間の「恐怖の均衡」は、米ソ政治指導者に共通する合理主義の上に乗っかって機能していると説明された。ここでいう合理主義とは、例えば東西の政治指導者が生存を優先して自殺的行為に及ばないことや、また彼らが自国民の大多数の死をいとわず自分たちだけで地下壕で生き残る選択をとらないことや、また一時の感情に駆られて決断しないことなどが前提条件とされ、この枠の中で東西の政治家が合理的に行動することであった。

 これらの前提条件と同じように重要だったのは、米ソの間に暗黙のコンセンサスがあった点である。私たちが大量の核兵器による先制攻撃をかける。それを知った相手も核弾道つきミサイルを私たちに向かって発射する。こうして相手はこちらの先制攻撃で倒されるが、私たちのほうもしばらくして倒れる。こうして先制攻撃とは、せいぜい死ぬ順番の違いをもたらすことで、敵が一番目に自分たちが二番に死ぬ選択に過ぎない。こうして、先制攻撃をしても得にならないことが「恐怖の均衡」もしくは「相互確証破壊」とよばれる方式が機能して平和が維持された理由であった。先制攻撃を成功させないようにすることは共通認識として米ソ双方から尊重された。

 飛んでくる敵の弾道ミサイルを迎撃して撃破できるミサイルシステム(ABM)をもつようになったら先制攻撃が成功する状況がうまれる。こうなるべきでないという共通の認識から米ソ間でABM制限条約が締結された。また敵の近くにミサイルを置くことも、相手に反撃のチャンスをあたえないことになりその結果先制攻撃が成功するので、避けるべきこととされた。

 ■ 抑止力は揺るぎない?

 以上が冷戦時代の核の抑止力モデルである。
 
 北朝鮮の核実験後、安倍首相は自民党吉村剛太郎議員の質問に対して、「『日本に対する(北朝鮮の)攻撃は自国の攻撃だ』と宣言しているアメリカの存在は重要で、日米同盟による抑止力が揺るぎないことで日本の安全や平和は守られている。さきにアメリカのブッシュ大統領と電話で会談した際も『抑止力は揺るぎない』という話をしたが、これは北朝鮮や世界に向かって発信したものだ」(NHK・10月12日)とこたえた。
 
 安部首相の祖父にあたる岸信介が首相だった冷戦時代なら「抑止力はゆるぎない」は正しかったかもしれない。また政治家がこのように発言するのもその立場上どこか当然である。私に不思議に思われたのは、政治家でもない人々までもが米国の核に抑止力があって「核の傘」が機能すると考えて「核の傘の抑止力を再確認した」とか書いたりしている点である。まるで今でも冷戦時代が続いているかのようにだ。

 ところが、周知のように国際社会も戦争もその性格をすっかり変えた。例えば、イスラエルの著名な軍事史家マーチン・ファン・クレフェルトは国家、軍隊、非戦闘員の国民という三つの要素が区別できた国対国の戦争の時代が終わったという。アフガニスタン、イラクで、米国やNATO加盟国は、このような時代の変化を無視して以前と同じ軍事行動で対応した。その結果、タリバンとかフセイン政権といった具合にそれまで敵の姿が見えていたのに、イラクでは米英軍にとって、アフガニスタンでNATO軍にとって、それぞれ見えない敵、ゲリラやテロリストと戦う「低強度紛争」に変わってしまった。

 これほど状況が変わった以上、(冷戦時代と同じように)私たちが核の抑止力、核の傘が機能していると思っていることはできないと思われる。すでにふれたように、冷戦時代には政治指導者が自国民のかなりの部分を(、当時7分の1とか5分の1とかいわれたが、)犠牲にする選択肢をとらないことを前提にして核の抑止力が機能すると考えられていた。現在どうして私たちは、自国民が餓死しても平気でいる指導者に対して米の核の抑止力が働くと思っていられるのだろうか。念のためにいうと、攻撃されないように働くのが抑止力である。米国の核の抑止力が機能しているかもよくわからない以上、日本が核を保有しても、この事態は変わらない。

 お世辞にも成功したとはいえない今回の核実験で北朝鮮の脅威度が突然増大したわけでない。とはいってもこの国が国際的社会で以前から危険な国と思われているのは、他の大量破壊兵器を保有しているためだけでなく、国際的に孤立し被害妄想に陥っていて暴発する危険があるからである。ドイツには「日本政府が平和憲法を改正するためにナショナリスティックな雰囲気を煽り、そのために必要以上に北朝鮮を敵対視する」と思っている人は少なくない。その通りならこれは危険な火遊びで、またそのことに気がつかないのなら「平和ボケ」の一種である。 
  
 ■ 冷戦ノスタルジー

 現在「核による生命保険」加入希望国が30国にも及ぶといわれる。ということは、これらの国々が核を保有すればそれに抑止力があると思っているからである。事実、攻撃するほうが二の足を踏むのは、北朝鮮について考えればわかるように、核など大量破壊兵器だけを軍事的に破壊することは技術的に困難で、多大の犠牲者をださなければいけないからである。これは、核兵器を持とうとする政治指導者が隣国だけでなく自国民を人質にとっているようなもので、人質をとった強盗がたてこもる銀行を包囲した警官が攻撃をためらっているのと似ている。

 この事情は、21世紀の国際社会では武力紛争が以前のように同じ土俵の上で国家同士が戦う戦争でなく、警察行動に似た一方的に武力行使に似てきていることをしめす。9.11・同時多発テロ以来、このような警察行動に似た戦争が相互的でないことをしめすために「非対称的戦争」と、以前の国家同士のほうは「対称的戦争」とよくよばれる。冷戦時代の米ソの間では核の抑止力が両方向に働いてくれたのが、現在の非対称的戦争ではそうなることが期待できない。対北朝鮮との武力紛争は「非対称的戦争」となるが、「悪の枢軸」でも国家であり、テロリストやゲリラ相手の「低強度紛争」と異なることがさいわいである。というのは、核兵器がテロリストのような「見えない敵」に渡った場合、米国の核の抑止力もゼロに近づく。

 昨年9月11日に米国防省があたらしく「核ドクトリン」を作成していることが知られて大騒ぎになった。内容は、米とその同盟国に対して大量殺戮兵器を使用しようとする国にも、また大量殺戮兵器をテロリストに流そうとする国にも、予防的に核で先制攻撃をくわえるという米国の意思表示であった。これは、現在の国際社会で自国保有の核兵器に何とか冷戦時代と同じような抑止力をもたせようとする試みと考えることができる。でも読むと本来区別されるべき抑止と予防という二つの概念がまぜこぜになっている。

 少し前の10月27日付けのワシントンポストで安全保障専門家のグラハム・アリソンが書いていることも冷戦時代に有効だった核の抑止モデルへの回帰願望の表現で、一種の冷戦ノスタルジーである。そのために彼は、「金正日に米国が北朝鮮から(テロリストに)渡った核兵器の身元を技術的に明らかにできることを確信させなければいけない」とか「北朝鮮の指導者が脅かされていることを心底から感じなければいけない」とかいった涙ぐましい提案をする。

 冷戦時代の核の抑止モデルにもどりたい気持はわからないでもない。またその一部の踏襲が効力を発揮するかもしれない。でも当時核の抑止を可能にした条件が現在どこまで存在しているのだろうか。もともと同盟関係にあった米ソが対立するようになった冷戦とくらべて、現在の国際関係は何世紀にも渡って蓄積したうらみつらみや、また優越感とか劣等感とかいった感情的要素がはるかに大きな役わりを演じている。米ソ間では生存を優先し、自殺的行為に及ばないといことが共通の認識であったが、多発する自爆テロを見てわかるようにこの条件もほぼ欠如している。

 暴発は、冷戦時代のようにレーダーにうつって渡り鳥を爆撃機と誤解して起こるといった事故的なものでなく、紛争の性格そのものに内在していることになる。このように考えてわかるように、国際社会や戦争の性格が変化したことを無視して、今や核の抑止力について論じることはできない。

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

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