皆さんは「人間の安全保障」という言葉を耳にされたことがおありだろうか。
一般に安全保障といえば、外からの侵略に備えて領土を守る軍事的取り組みや、外交政策を通じて国家の利益を守ろうとすること、「核」の脅威から人類をどう守るかといった国際的連携などが思い浮かぶだろう。安全保障の概念は、とかく「国家」の枠組みを中心にとらえられがちだった。「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀、国際社会は、帝国主義による大戦とその戦後処理に追われ、安全保障の道筋を国家単位で探った。
しかし、多くの人々の「安全・安心」は、国際的な武力衝突や政情不安ばかりでなく、日常生活における困難によって崩される。自分と家族の食べ物は十分にあるか、病気に罹ってもちゃんと治療を受けられるか、仕事を失わないか、犯罪に巻き込まれないか、住む場所を失うことはないか、言いたいことが言え、思想や宗教によって弾圧を受けたり、暴力を振るわれたりしないか……など、身のまわりにこそ危機の火種は潜んでいる。
市場原理に重きを置くグローバリズムが全世界を覆うなか、貧困が構造的に固定されている途上国の人々は、これらの身のまわりの危機が現実のものとなっている。各国別の「平均余命」を見ればいい。アフリカやアジア、中南米諸国の人々の命の短さ……。人、モノ、資金、情報が国境を越えて移動する現在、地域的な紛争やテロ、感染症などの脅威もボーダーレスで地球に拡がる。もはや国家単位の防衛思想だけでは、人々の安全は守れない。
大切なのは現実に生活を圧迫している状況をいかに取り除くか。途上国に負担を押しつければ済むのではなく、国境を越えて「人の生活を守り、維持する」取り組みが不可欠となってきた。そこで国際的な開発支援に取り組む人たちのなかから「人間の安全保障」という実践的概念が提示されてきたのである。
国連で人道支援に長く携わった緒方貞子氏(現JICA理事長)とノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン氏(現ハーバード大学教授)のふたりを共同議長とする「人間の安全保障委員会」が作成したリポートは、人間の安全保障を「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」と説明している。
具体的には「恐怖」と「欠乏」を生活の脅威ととらえ、それを取り除かねばならないとする。「恐怖」は、紛争、テロ、人権侵害、難民、感染症の蔓延、環境破壊、経済危機、災害など、「欠乏」は貧困、飢餓、教育・保健医療サービスの欠如などによって深刻化する。
「恐怖」と「欠乏」がキーワードだ。われわれが身をおく医療界が果たす役割がいかに大きいことか……。03年8月、日本政府も遅ればせながら「人間の安全保障」の考え方を取り入れたODAの実施を謳った。途上国支援でこの考え方が大切なのは言うまでもない。だが、ほんとうに重要なのは「人間の安全保障」が先進国、途上国の区別なく、普遍的なテーマだという認識であろう。
長野県上田市の作家・伊波(いは)敏男さんは、私の大切な友人のひとりだ。伊波さんはハンセン病回復者で社会福祉の分野でも活躍している。自らの半生を描いた『花に逢わん』『夏椿、そして』(ともに日本放送出版協会)は、珠玉の名作だと思う。
伊波さんが左足の異変に気づいたのは故郷・沖縄で暮らしていた小学六年のときだった。その時点でハンセン病の診断がついていれば、すでに特効薬はあったので手足が不自由になることはなかったと思われる。ところが診断まで2年半かかり、療養所での生活へ。25歳で療養所から出て、福祉工場に職を得て自立。10年前、52歳で退職した。
日本政府は、01年、それまでのハンセン病患者に対する「隔離政策」の非を認め、元患者に賠償金を支払った。そのとき、伊波さんから「何かの役に立てないか」と相談を受けたので、私はフィリピンには医師や看護師の「頭脳流出」で満足に医療サービスを受けられない人が大勢いることを話した。「昔の沖縄とそっくりですね」と伊波さんは、賠償金のほとんど約700万円を「フィリピンの医学生奨学金」として寄付。「伊波基金」が創られたのだった。
この基金は、フィリピンで「ふるさとに留まって地域のために働く医師や看護師の育成」を目的として設立された。伊波さんのお金は、マニラの銀行に預けられる。この銀行の経営者は、通常より2%ほど高い「10〜12%」の金利で基金を運用。仮に100万円の基金で年間10〜12万円の利息がつけば、利息分だけで学生1人1年間の学費、生活費が賄える。700万円あれば、元金を取り崩すことなく、年間、7人の医学生の勉強と生活を保障できるというわけだ。
伊波基金発足から5年、先日、その奨学金を得て助産師となり、クリオン島という小さな島で働いているチョナさんという女性の話が新聞に載った。クリオン島は60年代半ばまでハンセン病患者の隔離場所だった。以下、記事を引用。
「優秀な成績で高校を卒業したチョナは、父の借金と地元自治体の奨学金で99年、レイテ島のフィリピン国立大学医学部レイテ分校に進学した。同校は学ぶ期間に応じて順に保健師、助産師、看護師、医師の資格を得られるステップアップ方式を採っている。家計の事情で短期間しか学べなくても何らかの資格が得られるように、との配慮だ。
02年、チョナは助産師の国家試験に合格。だがこれ以上、父に借金を負わせるわけにはいかない。進学を断念しかかった時、大学から伊波基金の話を聞かされた。(中略)04年春に卒業したチョナはクリオン島に戻り、島にある唯一の病院で働く。島外から来てくれる医師や看護師はほとんどいない。逆にチョナが島外、海外に働きに出れば、父の借金はたちまち返済できるだろう。『でも、島に育ててもらった私はここで恩返ししたいのです』」(朝日新聞・大阪本社版 4月17日付け)
伊波基金は、政府のODAに比べれば規模は小さいが、より本質的な「人間の安全保障」といえないだろうか。
色平さんにメール mailto:DZR06160@nifty.ne.jp
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