「今日はスフミからお客さんが来るからご馳走つくらなくちゃ・・・。一緒にバズロバ(市場)に買い物に行こう」とヴィカは朝からはりきっていた。
スフミは黒海沿岸にある町でヴィカの故郷だ。ソヴィエト時代の要人の保養地のひとつで、風光明媚とか気候温暖で椰子のような木が茂ってるとか、チョールナヤモーレ(黒海)で泳ぎ遊んだ話とか日本に居る頃からよくリューバ母さんからも聞いていた。現在、日本の相撲界で活躍している「黒海関」もスフミの出身で、私がグルジアにいる間にぜひとも訪れて見たいと思っているところのひとつだ。
「遠来の客」は二人だそうだが駅前バズロバでいつものように山のように買い物をして4時ごろアパートに戻ってみると、もうお客様は到着していた。
急いで台所に立ちヴィカ、リューバ母さん,私の三人でパーティの準備にとりかかったら何てこった! こんな日にかぎって間もなく断水してしまった。
肉、魚、ザリガニなどを冷蔵庫におさめ、なす術もなくケーキとくだものをテーブルに並べ、今日のためにバチャーナ社長の工場から買ってあったワインを開けてすぐにパーティは始まった。
二人とも学校の先生だそうでパスポートの重要な手続きのためにスフミからクタイシまで3時間、クタイシからトビリシまで3時間とバスを乗り継いでやって来たのだ。
さぞかしお疲れであろうと思われたが、仕事を終えてやってきたマナーナやレナも加わり10人近い女ばかりのパーティは盛り上がってきた。
みんなスフミ出身、つまり同郷という事だ。しかし現在グルジアのパスポートを所持するものは、たとえ故郷であろうとスフミには立ち入りを許されない。
たとえばレナはスフミに家があり母親がいるが、夫がグルジア人なので向こうで一緒に暮らしたくてもできない。何とも悲しいことだ。
私だけ蚊帳の外であまり話にも入れずギターを取り出して唄い出だしたら、お腹ポッコリの先生が私のそばに来て「今日はとっても疲れたの。もっともっと歌って」と次から次と歌をせがんでじっくりと聞いていた。
10時頃やっと水が出たので、せっかくだからとざりがにを茹でて出した。ワインとケーキとくだものとざりがにという何とも変な取り合わせになってしまったが、断水とあらばいた仕方ない。ワインはすでに9本も空いていた。
いったいパーティはいつまで続くのかわからないので、12時すぎにはこっそりと自分のベッドに戻った。それからすぐにお腹ぽっこり先生も隣のベッドにきて寝始めたがあまりのいびきの凄まじさで眠れず彼女を覗き込んだら、わーすごい!すごい!タイトスカートのまま見事に大の字である。思わずリューバ母さんと顔を見合わせくすくす笑ってしまった。
夜中の2時、ヴィカはもう少し年配の先生を誘ってバーニャ(温泉)に出かけ朝方帰って来た。相変わらずすごい体力だと感心する。翌朝、二人の先生はけっこう早い起床でリューバ母さんが朝食の用意をしてたら、お腹ポッコリ先生がウイスキーのボトルをさして「これ何?飲んでもいいかしら」とコップにどくどくっと注いでいっきに飲み干した。
ひえー!並みの男よりすごい!と驚いていたら、呆れたことに「初めて飲んだけど結構おいしいね」とまたまた自分で注いでお変わりした。もう私は言葉もなかった。
そそくさと二人が帰った後、リューバ母さんに「どんな友達なんですか?」と聞いたら「一度も面識はないし友達と言うほどの関係でもない」とあっさりいった。では何故あれほどまでに歓待するのだろう????
同郷のよしみということで友達の友達を伝ってきた人でさえ思いっきり歓迎するこのやり方は、いわゆるグルジアンホスピタリティーというやつなのだろう。兄弟や親戚だったりしたらいったいどれほど歓迎されるのか・・・全く恐ろしい限りだ。
そういえば私がトビリシにやって来た日、夜中の4時(朝と言うべきか?)に無事到着を祝って乾杯!いい加減酔っ払ったところに、朝方駆けつけたヴィカの友人があってビックリしたのを思いだした。私が寝た後も二人は昼近くまで飲んでたらしい。とにかく飲みはじめるとみんな長〜いからね。
ここにホームステイしてから何度パーティがあったか知れないが、もう今では慣れたもので自分の体力にあわせてどの辺で逃げ出すかよくよく考えることにしている。でないと命が幾つあっても足りない。
ニーナにメール mailto:nina2173@v7.com
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