ある競技が、国際的にメジャーな競技であると認知されるためには、ひとつの絶対的条件があります。その競技の発祥国であり本家を任じる強豪国が、大きな国際大会で他国に敗れることです。
サッカーやラグビーで、発祥国である英国がいつまでたっても圧倒的な強豪国であり続け、他国がどうしても国際大会で勝てないとしたらどうなったでしょうか。どうしても勝てないとしたら、本家以外の国ではその競技に対するモチベーションが高まったでしょうか。何とかすれば勝てると考えるからこそ、人間は努力と訓練を続け、創意工夫をするものです。
努力と訓練や創意工夫が無駄なことだと分かれば、サッカーの藩図が欧州から南米に広がり、アジアやアフリカまで拡大することはなかったでしょう。ラグビーでもフランスや南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドといった、本家を脅かす強豪国は生まれなかったに違いありません。
この絶対的条件は、日本も経験したことがあります。1964年の東京五輪で正式競技に採用された柔道です。柔道の発祥国であり、本家を任じた日本は全階級制覇を当然の目標としていました。しかし、この当然の目標は無差別級で神永昭夫がアントン・ヘーシンク(オランダ)に敗れてため達成できませんでした。
当時の日本人は、神永の敗北に大きなショックを受けました。敗れた神永にとっては、辛い日々が続いたことでしょう。しかしです。柔道がその後、五輪の正式競技として存続し、欧州を中心として大きな人気と多くの競技人口を抱えていることを考えれば、東京五輪での神永の敗北こそ、その第一歩になったといえます。
仮に、東京五輪で日本が全階級を制覇し、欧州から柔道のヒーローが誕生しなかったとしたら、国際競技スポーツとしての柔道は、その後違った道を歩むことになったのではないでしょうか。
国を代表するチームが集まり野球の世界一をを決めようという、第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は、まずは成功しました。決勝で、日本がキューバを破って優勝したからではありません。
その理由は、大会を主催し、各国代表を招待したMLB(メジャーリーグ・ベースボール)が当初思い描いたような、「MLBのMLBによるMLBのための」大会にはならなかったからです。
米国代表に有利な大会日程や大会規定――米国は1次、2次リーグとも中南米の強豪国とは対戦しない――に加えて、米国の勝利に絡む試合で「誤審」を繰り返したインチキ審判の加勢もあって、米国が優勝したとしたら、この大会はまさにまじめに取り上げる価値がないほどのしらけた大会になったでしょう。
大会の意義、つまり本格的な野球の国際化は、米国の2次リーグ敗退という意外な結果によって達せられたといえます。
MLBの当初の狙いはおそらくこうでした。2次リーグを突破した上で、準決勝で格下の日本か韓国を破り、決勝で中南米の強豪国・ドミニカか一時は米国政府が入国を拒否した敵国・キューバをたたきのめし、野球の本家である米国の圧倒的強さを世界に示す。それに加えて、各国別に分かれたMLBの選手の優秀さを見せつけることでした。
ところがです。米国は早々と2次リーグで敗退してしまったあげく、決勝に残った国の選手には、MLBの選手は2人しかいなくなりました。キューバ代表はMLBの選手どころかプロ選手でもありません。MLBの選手は日本のイチローと大塚晶則だけになりました。
MLBの当初の目論見はことごとく崩れたのです。しかし、結果はWBCにとって幸いしました。
準決勝進出を決めた時点で、韓国政府は韓国代表選手の兵役免除を決定しました。五輪やサッカーW杯並みの扱いをしたのです。このことは、韓国政府がWBCを五輪、サッカーW杯と同格の大会と位置づけたことになります。
日本では、準決勝の韓国戦の視聴率が平均で36パーセント台、瞬間では50パーセントを超えました。大会開幕当初の少し冷めた雰囲気は、韓国との3度にわたる真剣勝負、米国有利の「誤審」を繰り返すインチキ審判への嫌悪感によりヒートアップした結果です。
野球人気の低迷する中で、36パーセント台の視聴率を記録したことには、大きな意味が隠されています。野球も、もはや国内のリーグ戦だけに封じ込められた「鎖国スポーツ」であり続けることはできないということです。
日本のプロ野球界は、WBCに関しては極めて消極的な態度を取ってきました。大会参加もぎりぎりの段階で決断しました。しかし、国内リーグの野球人気が低迷する中で、準決勝での韓国戦で記録した視聴率は、驚異的な数字です。プロ野球界はもはやこの数字から目をそらすことはできません。
2012年のロンドン五輪で、野球が採用されなかったことを考えれば、プロ野球界もサッカーのような「A代表」を組織して国際大会に臨むというシステムを取り入れざるを得なくなったのです。
野球の発展のためには、サッカーやバレーボールなど他の競技と同様に、国際大会に出場し、そこで勝つことが必要な時代になったのです。日本のプロ野球も、WBCかそれと同格の国際大会に出場しなければ、人気を保持できない時代になったということです。
東アジアの2つの野球大国――WBCでの対戦成績を見れば、もはや韓国を格下だと見下すわけにはいきません――がWBCに本気に取り組んだことは、野球の国際化にとつては極めて重要な意味をもつことになります。北米・中南米と東アジアの国々が対等の関係で 競争することによって、野球の将来が大きく変わる可能性がでてきます。
第1回WBCは主催者であるMLBの思惑が崩れ、米国が2次リーグで敗退したことによって、野球の国際大会としての価値が大きく高まったといえるでしょう。(2006年3月21日記)
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