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ムハンマド風刺漫画をめぐる紛争

2006年02月19日(日)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
 預言者ムハンマドの風刺漫画に対するイスラム教徒の怒りは、デンマーク製品・不買運動をしたり、路上で国旗を焼いたりするだけではおさまらない。インドネシアや中東諸国では、デンマークをはじめ欧州諸国の外交施設が襲撃され放火されただけではなく、死者まで出ている。デンマークの風刺漫画の件がおさまっていないのに、今度はベルリンの新聞に掲載された別の風刺漫画のことでイラン人が憤慨して、連日テヘランのドイツ大使館に押し寄せて火炎瓶を投げる。

 このような状況を見て、「西欧」対「イスラム」の「文明の衝突」が勃発したように思う人も少なくないし、欧州では今後、イスラム教に対する不安や反感が強まりそうな気がする。 
  
 「言論の自由」のテスト

 去年の8月頃、デンマークの児童文学作家カーレ・ブルイトゲンが預言者ムハンマドとコーランについての子ども向きの本を書きイラストレーターをさがした。イスラム教ではムハンマドを描くことがタブーである。また前年オランダでイスラムをテーマにした映画監督が殺されたこともあって、彼から話をもちかけられた3人のイラストレーターが断る。4人目は名前を出さない条件の下で承諾。児童文学者はこのように人々が自己検閲をする状況について嘆いた。

 「ユランズ・ポステン」誌は人口550万のデンマークで、発行部数15万を誇る最大の新聞である。児童文学者の嘆きを耳にした文化部編集長は、「デンマークで自己検閲がひろがって、表現の自由がイスラム・テロの脅威で制限されているかどうかのテスト」をすることにして、40人のイラストレーターに預言者ムハンマドの漫画をかいてくれるかどうかを尋ねた。そのうちの12人が承諾し、昨年の9月30日に彼らの風刺漫画が新聞に掲載された。ちなみに、これらの風刺漫画はインターネットで見ることができる。

http://face-of-muhammed.blogspot.com/

 掲載された漫画を見ると、挑発することが風刺の目的であり、そのためか、ムハンマドを犯罪者、自爆テロと結びつけようとする傾向が眼につく。一番イスラム教徒を怒らせたのは点火された爆弾付きのターバンをまいたムハンマドで、これは自爆テロの風刺である。別の漫画では、預言者が雲の上に立っていて、列をつくってのぼって来る自爆テロリストに対して「ストップ。(天国には)処女が品切れだ」といっている。これは、自爆テロに走るイスラム教徒の男性が死後天国で処女にかしずかれると信じているといわれるからだ。

 すべての風刺がこうだったわけでなく、なかには抽象的で意味がよくわからないものもある。興味深いのは緑色の黒板の前に立つ「7年生A組」の生徒になったムハンマドで、生徒は黒板にアラビア文字で書かれた「ユランズ・ポステン誌は反動的挑発者集団」を棒でさしている。これは新聞社側が理解できなかったので掲載されたといわれる。

 訴訟と外交ルート
 
 掲載後ユランズ・ポステン誌に謝罪を求めるイスラム教徒住民の抗議デモがあった。二人のイラストレーターが殺すと脅かされて隠れなければならなくなり、「表現の自由がイスラム・テロの脅威で制限されている」ことが証明される。

 掲載されてからほぼ一ヶ月後の10月28日に、デンマークのイスラム関係11団体がユランズ・ポステン誌の冒涜罪違反を告訴した。記者会見で代表者は、風刺漫画より、それといっしょに掲載された記事のほうに「イスラム教徒を侮蔑するユランズ・ポステン新聞の意図が表現されている」と説明している。これは風刺漫画より、記事のほうが裁判で証拠として認められると彼らが判断したからである。今年に入って1月に地区検事が彼らの告訴を却下した。

 昔からデンマークは「表現の自由」に対する権利が他の基本的人権より保護されている国として知られている。前世紀の60年代ドイツでポルノが解禁されていなかった頃、その種の出版物はこの国から来た。少し前まで、ドイツをはじめ隣国で禁止されているネオナチ関係出版物もこの国で入手できた。この国で冒涜罪による最後の有罪判決が1934年に下されたことも、「表現の自由」の伝統を物語る。このような事情から、告訴が受理されなかったことも当然で、イスラム関係団体は欧州人権裁判所に提訴すると発表している。

 この紛争に関して外交ルートも早い時期に機能しはじめた。10月19日デンマーク駐在イスラム諸国・11カ国(トルコ、イラン、パキスタン等)の大使が共同でデンマーク首相に手紙を出し、ユランズ・ポステン誌の謝罪を求めて外相と会見する。彼らはデンマーク側の対応に満足できず、問題をイスラム諸国会議(OIC)やアラブ連盟といったより高いレベルに格上げする。

 このムハンマド風刺漫画問題は、昨年の11月、12月の段階ではデンマークの国内で議論されて報道されたかもしれないが、当時欧米のメインストリーム・メディアはほとんど取り上げていない。それなのに、さまざまなカラーの国際機関が心配して介入しているのは、イスラム諸国会議(OIC)をはじめアラブ諸国関係の国際機関が議題として取り上げ抗議したからと思われる。こうして、言論の自由が問題にされていることから「世界新聞協会」、また欧州審議会(CoE)、欧州連合(EU)、国連人権高等弁務官事務所などが怒っているイスラム諸国をなだめようとする。

 例えば、12月7日付けの「コペンハーゲン・ポスト」によると、ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務官はイスラム諸国会議(OIC)に「彼ら(デンマーク在住のイスラム教徒)の心配が私に理解でき、、、他の人々の宗教に対する尊敬の欠如をしめす発言や行為を残念に思う」と回答した。二週間後、フランコ・フラッティーニ欧州委員会・副委員長も「正直なところ、この種の絵は欧州のイスラムに対する不安を増大させる可能性がある」と風刺漫画を掲載したユランズ・ポステン誌を批判した。

 このような国際社会での反応に接して、ラスムセン首相は年頭のあいさつの中で「デンマーク政府は宗教団体や少数民族を悪者扱いする試みをいっさい弾劾する」と述べ、この発言はイスラム諸国から肯定的に評価され、デンマーク側は事態が沈静化すると判断したといわれる。

 紛争のグローバル化
 
 デンマークに20万人あまりいるイスラム教徒のなかには、原理主義者とよばれる過激な人々もいる。5千人から1万人が過激なイマーム(宗教指導者)の影響下にあるといわれている。

 この過激なイスラム教徒は、訴訟とはまったく別の道を歩む。それは紛争のグローバル化で、彼らはイスラム教徒がデンマークで陥った窮状を訴えるために昨年の11月と12月にイスラム諸国に使節団を派遣した。使節団は、主要イスラム諸国で宗教関係者や政治家と会談したといわれる。

 現在、問題にされているのは、彼らが訪問先で配布した43頁に及ぶ資料集である。というのは、「(デンマークには)人種差別を育成する風土がある」という文章ではじまるこの資料集には、ユランズ・ポステン誌に掲載された12枚だけでなく、3枚の出典不詳の風刺漫画も含まれていたからである。それらは、子どもや動物相手の性行為をテーマにしたものと、預言者の顔を豚として描いたもので、普通の新聞には掲載されそうもないものである。使節団主要メンバーのイマームは、記者に対して、これらの出典不詳の漫画と新聞に掲載されたものとを区別して提示したと強調している。とはいっても、使節団からデンマークの状況説明を聞いたイスラム諸国関係者の誤解を招く行為であったことは間違いないようだ。

 預言者ムハンマドの風刺漫画がユランズ・ポステン誌に掲載された9月30日から大使館焼き討ちがはじまる1月末までの4ヶ月間にイスラム諸国で起こったことはあまり報道されていない。でも12月のはじめにデンマーク人がパキスタンに滞在しないようにという警告が発されたことや、カシミールのパキスタン人が風刺漫画のために抗議ストライキをした外電がある。
 
 イスラム圏で抗議デモをしている人々のほとんどは、自分で見たことないもない風刺漫画について怒っているといわれる。こうなるのは、欧米人が自分たちを見下して屈辱感をあたえる機会を待っていると思い込んでいるからである。今回の風刺漫画も、彼らのこの固定観念を証明する無数の事例の一つにすぎない。

 12月エジプトの選挙でムスリム同胞団が躍進した。またパレスチナでハマスが圧倒的勝利をおさめた。このような「反西欧感情」の高まりを見たイスラム諸国の政権担当者が、国内で過激派だけがこの追い風を利用できないようにするために、沈静していた風刺漫画事件を蒸し返した。これが、今回燎原の火のようにひろがった抗議デモのきっかけだったといわれている。

 謝罪と同情

 イスラム諸国は、ムハンマド風刺漫画を掲載したことでデンマーク政府に謝罪することや掲載新聞社を処罰することを求めた。またノルウェー、フランス、ドイツなど他の欧州諸国の新聞社もユランズ・ポステン誌を援護して風刺漫画を転載したので、イスラム諸国は、これらの欧州諸国政府にも同じように謝罪や処罰を要求している。

 西欧社会で暮らす平均的人間からみると、謝罪の対象になるのは、自分がしたことか、自分の依頼や命令で実行されたこと、また自分の監督下で起こったことである。こうであるのは、謝罪と責任が彼らの頭の中では組み合わさっているからだ。イスラム諸国の要求がヘンに感じられるのは、風刺漫画を掲載した新聞社が国営企業でないし、国家が「言論の自由」をはじめいろいろな人権が遵守されることに関して責任をもっていると人々が思っているからである。

 テレビに出て来たドイツのショイブレ内相がむっとして「なぜ政府が『報道の自由』の行使中に起こったことのために謝罪しなければいけないのか。国家がそんなことに介入したら、それこそ報道の自由の制限への第一歩になる」と謝罪要求を断ったが、これがヨーロッパ人の平均的考え方である。

 イスラム諸国が求めている謝罪には法的な意味合いがあまり含まれていないかもしれない。彼らが要求しているのは、ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務官やフランコ・フラッティーニ欧州委員会・副委員長が実行したように、理解や同情である。ところが、風刺漫画に怒りながら理会や同情を求めることができないために「謝れ」というしかないようにも思われるが、この点がはっきりしない。

 もうかなり前、サミュエル・P. ハンチントンが、21世紀の紛争は、資本主義対社会主義というイデオロギーの対立でなく、文化や宗教の相違による「文明の衝突」になると書いた。イスラム諸国の謝罪要求とそれに対する西欧諸国の反応を見ていると文化的相違というべきものが目立つ。でも「イスラム対西欧」という紋切り型の「文明の衝突」ではなく、法意識の違いである。

 ボーダーレス現象

 デンマークのイスラム関係団体が訴えた理由の冒涜罪は、古臭い響きがあるが、現代風に言い換えれば「信仰の自由」である。ここから、新聞に描かれた預言者ムハンマドの姿によってイスラム教徒としてその宗教的感情を傷つけられることを禁じる権利を導きだすことができる。とすると、今回の対立は「信仰の自由」と「表現の自由」になる。どちらも、欧米諸国をはじめ地球上のいろいろな国の憲法で保護されている権利である。これも、「イスラム対西欧」という紋切り型が胡散臭い理由の一つである。

 次に、(すでに述べたが、)デンマークは、隣国とくらべて「信仰の自由」よりも「表現の自由」が尊重されて冒涜罪が成立しにくい社会である。でもこれがこの国の伝統で、昔は、(イスラム教徒をはじめ)外国から移住した人々は「郷に入れば郷に従え」でこの事情を尊重すべきであるとされた。その結果、今回のような風刺漫画紛争など以前は起こりにくかった。

 ところが、今私たちは20世紀後半とは異なった国際社会に住んでいる。ひところ日本で「ボーダーレス」というコトバがよくつかわれた。確かにその通りで、外国で暮らしているのに自分の国を離れて外国に来ているという意識が希薄なボーダーレス人間が増えつつある。今回、デンマーク国内法を尊重してそれにもとづいて訴訟するのではなく、イスラム諸国に使節団を派遣して紛争をグローバル化したデンマークのイスラム過激派はボーダーレス人間である。

 このようなボーダーレス人間が増大したのは、前世紀の終わり頃から衛星放送やインターネットなどが発達したからで、ちなみに、現在ヨーロッパから市内通話とあまり変わらない料金で遠い故国と電話ができる。こうして人々の意識のなかで国境線がどんどん細いものになり、遠くの国も近くなる。このようなボーダーレス現象を「地球市民」の誕生として歓迎する人もいる。

 デンマークの新聞にどんな風刺漫画が掲載されているかなど、昔は、カシミールに住むパキスタン人にとってどうでもいいことであった。そうであったのは、デンマーク人が遠くの国に住み、よく知らない存在であると思っていたからである。だから知らないことを知ろうとする人もいた。ところが、今や遠い国もボーダーレス現象で近い国のように錯覚されて、その結果イスラム教徒でもないデンマーク人がムハンマドの漫画をかいたことで怒り、抗議デモにでかけて人死にまで出る。これは残念なことである。

 昔東欧圏から逃げてきた人々の緊急収容施設を訪れたことがある。それは町の体育館で、たくさんのベッドが並べられていて、いろいろな国の人々がプライバシーももつこともできないまま、不機嫌な顔をして暮らしていた。テレビで遠くの国の人々が怒ってよその国の国旗を燃やしているのを見ると、あのときの体育館の場面を私は連想する。

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

 【編集者注】実は僕の高校時代の世界史の教科書にムハマンドの肖像画が載っています。このイラストには「マホメットの伝記に描かれた細密画。天使がマホメットに現れているところ」というキャプションがあります。
 細密画はイスラム世界の芸術です。回教徒が自ら書いたものだと思います。このことについてどこのメディアも指摘していません。
 きっとデンマークでの問題はムハンマドをへんな風に描いたことが問題なのだと思います。ムハンマドの肖像画は世の中に少なくないはずです。
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