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日本の祭の原点を見せる尾鷲のヤーヤ祭

2006年02月04日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄
 朝起きると一面の雪。昨夜から大寒波が列島を襲っている。午後3時、支局の後輩と津を発って尾鷲のヤーヤ祭を見に行った。尾鷲には5時ごろ着いた。

 町は静かな面持ちでどこで祭があるのか分からない。尾鷲神社で法被を着ていた男性に聞いた。

「どこへ行けばヤーヤは見られるんですか」
「うーん。ことしは林町の番だから、一番にぎやかかな」
「ほかではないんですか」
「うん、そこの橋を渡って真っすぐ行くと練りがあります」

 インターネットでヤーヤ祭がどんなものか一応見てきたが、実際にどういう祭か知らないまま出掛けてきた。日本の奇祭のひとつで、15歳になった男たちがふんどし一つで「チョーサじゃ」と呼び掛けながらもみ合うというのだ。

 とにかく町をドライブしてみようということになった。

「おー、見たか。若い女だ」

 尾鷲の町には似つかわしくない着飾った若い女性が路地裏でうろうろしているのだ。

 尾鷲駅に行ったらもっと情報があるかもしれない。そう思って駅構内に車を入れると、また若い女連れが帰りの電車の時刻を確認している。

「おー。あのコンビニにも女連れがいる」
「うーん。これはなんだ」
「尾鷲であんな女がいるはずがない。どこから来たんだろう」

 われわれは何だかわくわくしてきた。静かな町が暗くなると若い女性連れとの出会いが増えてきたのだ。路地に男たちの姿はない。若い男たちのエネルギーを自らのものにしようと女たちが群がる。今晩は日本の祭の原型に出会えるかもしれない。そんなふしだらな気分が高まってきた。

 小さな居酒屋で腹ごしらえを終えたころ、ヤーヤ祭の全貌が分かりかけてきた。ヤーヤの由来は「やあやあ我こそは」という戦いの時の名乗りであるとされている。約20の町ごとに若衆が集まり、市内3カ所の番当(番祷=ばんとう)という名の路上会場でぶつかり合い「練り」を楽しむのだ。「チョーサじゃ」のチョーサは「丁歳」の意味で「一丁前、つまり15歳になったぞ」というような意味合いである。

 番当は1番から3番まで3カ所あって、2番当、3番当で練りを終えた若衆が1番当に集いさらに大規模な練りでぶつかり合う。

 われわれは2番当の川原町に向かった。狭い道の両側は木でやぐらが組まれている。やぐらは舞台のようなものではなく、道路脇に組まれた格子状の枠。見物客を練りの激しさから守るために設けられたいわば“防御柵”である。そこに町ごとの提灯竿をくくりつけて闘いが始まる。

 若衆の一団が番当に近づくと双方の闘争心が高まる。やがて接近すると「チョーサじゃ」の掛け声が高まり、行司役の「それいけ」の合図でぶつかり合いが始まる。若衆は一団、一団と集まり、練りに加わる人数はどんどん増えていって、酷寒の中でも汗がほとばしるほどの熱気となる。

 練りは数分間続くが、行司役が「まだまだ」と煽ると興奮はさらに高まる。やがて若衆は我を忘れ、やぐらの外にいて何度も危険を感じるほどの激しさを増した。

 くだんの若い女性はというと、やはりそれぞれにお目当ての若衆がいると見えて、応援に熱気を帯びる。また練りが終わると若衆との会話も弾んでいるようだ。男とは何かを考えさせられる一夜だった。

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