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津が誇る陶工、川喜田半泥子

2005年12月13日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄
 川喜田半泥子(1878−1963)という陶工が津にいた。土をこねて焼くことを生業としていた訳ではないから、正確にいうと陶工ではない。土をこねる芸術家だ。

 それでも半泥子という名は茶をたしなむ人なら誰でも知っている。今では値の付かない作品もあるというのに、半泥子は作品をひとつも売ったことがない。自分の茶会で使うのが目的で、あとは誰彼となくあげてしまうのだった。もらった人の多くは価値がわからなかったから、多くの作品がそのまま農家の押入れで死蔵しているかもしれない。

 作風といえば大胆の一言。おおらかでのびやか。そしてこだわりがない。そういうことなのだ。師匠はいない。「志野」あり「美濃」あり「備前」ありで思いに任せて土をこねた。

 それもそのはずだ。津のあたりにはよい粘土がないから全国から粘土を取り寄せた。戦前は朝鮮半島の土も多くこねた。朝鮮の土は主に全羅南道務安郡望雲半島の荷苗里(ハビヨリ)のものだった。南宋の戦乱を避けた中国の陶工たちが多く避難した土地柄らしい。青磁づくりはすでに廃れていたが、半泥子は壊れかけていた窯を再興させたという。

 大阪の「かぼちゃ」の仲間に誘われて二度ほど備前を訪れ、ろくろを回してから今まで以上に茶わんに愛着を持つようになった。それまでも関心がなかったわけではない。京都に住んでいたとき、「楽」茶わんの窯元の茶会で「300年前のノンコウの作」(ノンコウ=三代目楽吉左衛門・道入)といわれて震えながら茶をたしなんだこともあった。

 半泥子の茶わんはまだ見るだけである。津市内の石水博物館に足を向ければ、無造作にに並んでいる半泥子の作品をいつでもみることができる。何度か通ううちに好みも出来るというものだ。半泥子の作品には陶芸の専門家にありがちな銘は一切ない。出来上がった時の季節や気持ち。出会った人物への思い。そういった気分として名付けられるのだから素人にも分かりやすい。

「おらが秋」などは名前からして気に入った。志野焼きで大振りの茶わんだ。「あぢさい」というのは薄青の釉薬が薄くかかった作品だ。これは大胆というより上品な部類に入る。「昔なじみ」という銘に到ってはいう言葉がない。

 備前の先生は失敗作を捨てようとすると「せっかく作り始めたのだから完成させましょう」とやさしく指導してくれる。半泥子も同じ気持ちでろくろを回していた。半泥子には失敗作というものがなかったという。つくったものはすべてが「作品」と考えたからである。割れた陶磁器を修復する「金継ぎ」という技法が日本にはある。半泥子は焼き上がった作品に割れがあるとすべてを神戸の金継ぎ職人に出した。おかげでこの職人は金継ぎで生業がたったという逸話まである。

 朝鮮の土を使ったり割れた茶わんをすべて金継ぎに出したりと半泥子という人はよほど金に余裕があったに違いないと思うだろう。そう半泥子の本名は16代目川喜田久太夫といった。川喜田商店といえば、江戸大伝馬町では大手の部類に入る木綿問屋だった。明治以降は地元三重県の百五銀行のオーナーとなり、いまも三重財界の中核を担う一族である。

 ふつう芸術家は王様や財力あるパトロンに見いだされて世に出ることが多い。だがパトロン自らが芸術家になった例は洋の東西を問わずほとんどいない。宋の時代、文人画を描いた徽宗が有名だが、絵画や書は文人としての教養の範疇だった。古今東西、ろくろを回すことなどは職人の仕事だったはず。銀行のオーナーが仕事の傍らろくろを回して喜んでいたのだから風景として異景だったに違いない。

 一般に芸術家は芸を売るから芸術家なのであって、どんなにいい作品をつくっても生業としなければ芸術家と呼ばれない。ここらは不思議なことだと思っている。世上、半泥子は陶工ではないから「趣味人」などと呼んでいるが、茶わんづくりに異常までの情熱をかたむけた半泥子に限っていえば失礼になる。半泥子のその芸はやはり秀でていたのだから芸術家としか呼びようがない。

 半面、半泥子の趣味は「もてなし」にあったのだろうと考えている。お客さまを家に呼ぶとき、家や庭をきれいにして、おいしいごちそうを出すのはどこの家でも当たり前。半泥子の美意識では、茶会のもてなしが高じて茶わんまで自分でこねる必要があったのだ。

 半泥子が茶会を開くときは、三重自慢のうなぎを自ら七輪で焼いたともいわれる。茶室の生け花はもとより掛け軸も自筆の書や絵画を墨で描いた。客が満足し喜ぶことが半泥子の喜びだった。茶わんだけでない。最近そんな半泥子が大好きになっている。

 津市郊外の半泥子の窯跡である広永陶苑にある泥仏堂には自作の半泥仏が祀られている。その扉の裏側に「把和遊 喊阿厳」と書いてある。何と読むか。

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