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砂糖菓子「榧太郎生」と久子さん

2005年11月23日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄
 数日前、津市内のいきつけの喫茶店で「榧太郎生」という砂糖菓子を食べさせてもらった。「かやたろお」と読む。カヤの実のお菓子は初めてである。少しだけ渋味があるがなんとも上品な味だった。

 喫茶店のママさんにこの砂糖菓子の由来を聞いた。

「この時期になるといつも買ってきてくれるお客さまがいるの。これを読んでご覧なさい」

 差し出された薄茶色の小さな紙片には「私だけの特産品」と題して次のように書かれていた。

 私が嫁いで来た家はもと造り酒屋で、裏庭に樹齢三百五十年と言われる榧の木があって、秋のかかりの九月中頃になるとよく熟した実が落ち始めます。

 姑は、毎年その実でお菓子を作りながら、「このお菓子は、杜氏さんや蔵人さんのおやつに出していたもんや」と、懐かしそうに酒造りをしていた頃の話を聞かせてくれたものです。

 あれから幾度かの秋が巡って、その姑もこの世を去ってしまったけれど、榧の木だけは、昔のままで秋になると今もいっぱい実をつけます。
 そんな姑の思い出から蘇ったお菓子『榧太郎生』。

 熟れた実を一粒ずつ大切に拾い集めてから、縁皮むき、木灰さわし、水洗い、天日干し、殻割り、渋取り、炭火炒り、……と、おおよそ二カ月余りもかかって磨き上げた榧の実にさらに純白の砂糖の衣を着せて、もう一度炭火で乾かしあげたのがこの『榧太郎生』です。

 ぽた! と榧の実の落ちる音で目を覚まし、秋の訪れを感じるとともに、姑の背中を思い出しながら作っている「私だけの特産品」です。

 一から十まで手作りの『榧太郎生』をじっくりご賞味ください。久子。

 もうこれを呼んだだけで久子という女性に会いたくなり、きょう、三重県一志郡美杉村太郎生の丸八商店を訪ねた。店に入ったとたんに奥から出て来た女性を見て、きっとこの人が久子さんだろうと思った。

 美杉村には申し訳ないが、山奥ではめったに出会えるような人ではない。美人というのではない。情感が体一杯に弾けだしている。ほとんど数日前から思い描いていたそのままの人物がそこにいた。

 久子さんは裏庭まで連れて行ってくれて、「これがその榧です」と案内してくれた。「太郎生の傾斜地の家の近くには必ず榧の木が生えています。根っこがしっかり大地をつかんでいるので災害から家を守ってくれるのです。その昔、この村が貧しかった時、飢饉の年にはこの榧の実が飢えをしのぐ役割を果たしたとも言われています」。まだ落ちていた榧の実をいくつかポケットの押し込んで店に戻った。

 久子さんの店のメモ帳には県内外からの『榧太郎生』ファンの名簿がぎっしり詰まっている。

 もう一人、日本の一隅を照らす女性と出会えて、なんともいい晩秋の一日だった。久子さんありがとう。

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