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イギリス兵が日本人捕虜を殴らない理由

2005年11月20日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄
 会田雄次氏の『アーロン収容所』では“アジア人家畜論”が続く。

「はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らなければならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるときに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである」

「私はそういうイギリス兵の態度にはげしい抵抗を感じたが、兵隊の中には極度に反発を感じるものと、まったく平気なものとの二つがあったようである。もっとも私自身はそのうちあまり気にならなくなった。だがおそろしいことに、そのときはビルマ人やインド人と同じように、イギリス人はなにか別種の、特別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。そうなってから腹が立つのは、そういう気分になっている自分に気が付いたときだけだったように思われる」

 会田氏によれば、イギリス人は、ヨーロッパでの牧羊者が羊の大群をひきいていく特殊な感覚と技術をもっていると同じように、いつの間にかアジア人を家畜として手なずけているというのだ。日本人には決してできない特技を長い間の植民地支配で身に着けてしまったというわけである。

 だからイギリス兵は決してアジア人や日本人捕虜を殴ったりはしなかった。日本兵のように“凶暴”でないが、その代わり人間扱いしなかっただけのことなのである。

 高校生だった筆者は「なるほどこういう見方があったのか」と頭を殴られたようなショックを受けた。南アフリカの白人たちが黒人を「キャファー」と呼んでいた意味がようやく分かったような気がした。アラビア語で異教徒という意味のキャファーは「相いれない」という意味でもあるのだろう。

 当時の筆者にとって、問題は「そのように飼いならされた」アジア人たちであった。白人には決してかなわないとあきらめてきたその卑屈な根性である。「なんで支配を許したのか」「なぜ戦わないのか」。そんな苛立ちがあった。

 いま中国経済が隆々として脅威論すら出てくるようになっているが、たった15年前までは「貧困」こそがアジアの枕ことばだった。1960年代のアジアはアフリカ同様にもっと貧しく卑屈で、先進国経済のお荷物だった。だから「がんばらないとアジア人は永遠に白人たちに支配され続けられることになる」という危機感があった。

 国際情勢は冷戦構造の真っただ中で、アメリカを中心とする自由主義陣営がソ連や中国などの社会主義陣営と真っ向から対峙していた。だから多くの日本の知識人は心情的に社会主義に肩入れしていて、階級闘争によって貧富の格差や差別がなくなるのだと主張していた。

 当時の筆者にはなじめない議論ばかりが横行していた。世界には階級による対立より深刻な人種差別が厳として存在するのだと考えていたのに、誰も耳を貸すものはいなかった。『アーロン収容所』は筆者の心を癒やす数少ない書物であった。

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